王陽明:山石 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○「蔽月山房」「憶竜泉山」「雪竇山」「宿浄寺」と、王陽明の詩を紹介しているが、王陽明の詩には考えさせられることが多い。

○中国の検索エンジン「百度」の、『百度百科』が載せる『王守仁』の記事の中に、『山石』詩がある。これもなかなか奥の深い話である。

      山石
    山石猶有理
    山木猶有枝
    人生非木石
    別久寧無思
    愁来歩前庭
    仰視行雲馳
    行雲随長風
    飄飄去何之
    行雲有時定
    遊子無還期
    高梁始帰燕
    鵜晙已先悲
    有生豈不苦
    逝者長如斯
    已矣復何事
    商山行採芝

  【書き下し文】
      山石
    山石に猶ほ理有るがごときは、
    山木にも猶ほ枝有るがごとし。
    人生は木石に非ず、
    別久は寧ろ思ふこと無し。
    愁来、前庭を歩き、
    仰視す、行雲の馳せるを。
    行雲は長風に随ひ、
    飄飄と、去り、何にか之く。
    行雲に時に定まる有り、
    遊子には還る期も無し。
    高梁に始めて帰る燕あり、
    鵜の晙きは已に先に悲し。
    生有るに豈に苦しまざらんや。
    逝く者は斯くの如く長し。
    已ぬるかな、復た何事かあらん。
    山を商り、行き、芝を採る。

  【我が儘勝手な私訳】
      山石
    山に転がっている石にさえ、やはり道理があるようなのは、
    山に生えている木に、ちょうど枝があるようなものか。
    人生は木石以上にあれこれと考えることが多い。
    それでも、生死については、どちらかというと、考えないことにしている。
    悩み事がある時には、庭に出て歩き、
    空を行く雲をじっと見上げることにしている。
    空を流れる雲は全くの自然の風任せで、
    飄然と流れて、何処かへ去っていく。
    そういう雲であってさえ、じっと動かない時だってあるのに、
    人間には再びこの世に現出することは無い。
    春になると、屋根の軒先に燕は帰って来ると言うのに。、
    鵜には魚を捕る素早い動きがあるのに、人に魚は取られてしまう。
    折角生を受けたからには、もがき苦しんで生きなくてはならない。
    自然の流れは永遠だと言うのに、人生は何とも短い。
    今ここに存在する限り、今を精一杯生きるしかないのだ。たとえ何があったとしても。
    今大事なのは山の深さを量り、歩き回り、取り敢えず薪を拾うことである。

○詩中、『人生非木石』表現は、もちろん、司馬遷の「報任少卿書」の中にある、『身非木石』からの引用であることは間違いない。

○同じように、『逝者長如斯』も、「論語」子罕篇、『子在川上曰逝者如斯夫不舎昼夜』からの引用であろう。

○また、同題「山石」は、韓癒の詩題として知られる。王陽明が相当、韓癒の影響を受けていることは、次の詩を読めば明らかである。

      山 石
    山石犖確行径微
    黄昏到寺蝙蝠飛
    升堂坐階新雨足
    芭蕉葉大梔子肥
    僧言古壁仏画好
    以火来照所見稀
    舗床払席置羹飯
    疎糲亦足飽我飢
    夜深静臥百虫絶
    清月出嶺光入扉
    天明独去無道路
    出入高下窮煙霏
    山紅澗碧紛燗漫
    時見松櫪皆十囲
    当流赤足踏澗石
    水声激激風吹衣
    人生如此自可楽
    豈必局束為人靰
    嗟哉吾党二三子
    安得至老不更帰

○王陽明の思索は深い。それが、ほとんど現代の哲学、実存主義と同じであることに驚く。ちなみに、彼が生きた時代は、1472年から1523年である。