○大雄宝殿の向かいには、護法堂があって、護法堂は手前から関帝堂、観音堂、天王殿の三つに区切られている。もちろん、関帝堂は関帝廟で関羽を祀り、観音堂は観音菩薩を祀っている。しかし、天王殿には、護法蔵の扁額とともに、祀られているのは韋駄天であって、四天王ではなかった。
○護法堂の奥に鐘鼓楼があった。楼前には、次のような案内板が設置されていた。
国指定重要文化財 崇福寺鐘鼓楼
指定年月日:昭和43年8月29日 所有者:崇福寺
上階に梵鐘を吊り太鼓を置いて、鐘楼と鼓楼とを兼ねる。鐘楼はもと書院前庭南隅にあったが、
享保13年(1728)ここに位置を変え新築した。軸部は中国で切組み、日本人棟梁が建てた。
建物の特徴は護法堂に同じ。雨がかり部分だけ朱塗りである。上層下層の比例に安定感があり、
円窓・華頭窓・白壁の取り合わせの意匠も秀れている。
梵鐘は正保4年(1647)鍛冶屋町住の鋳物師阿山氏初代の作。県有形文化財指定。
○聖寿山崇福寺の大雄宝殿は国宝となっているが、現在でも使用されている。その大雄宝殿前に、以下のような案内板が設置してあった。
国宝 崇福寺大雄宝殿
指定年月日:昭和28年3月31日 所有者:崇福寺
本尊に釈迦(大雄・だいおうの読みもある。)を祀る。中国で切組み正保3年(1646)建立した。
寄進者は唐商何高材。長崎に現存する最古の建物。はじめ単層屋根であったが、天和元年(1681)
魏之琰が日本人棟梁をつかい入母屋屋根の上層を付加し、現在の姿になった。
特徴としては、軒回りの擬宝珠付き垂花柱が珍しい。前面吹放ち廊下のアーチ型天井は、俗に黄檗
天井と呼ばれ、黄檗建築独特のものである。下層部の当初材は広葉杉(こうようざん)と推定される。
殿内の釈迦三尊や十八羅漢の仏像群と寺内の聯(れん。柱にかける文字を書いた板)や額(但し、
隠元・即非・千獃が書いたものだけ)は県指定有形文化財。
○寧波の天童寺や阿育王寺の大雄宝殿とは比ぶべくもない。しかし、長崎崇福寺の大雄宝殿は、観光地のそれではなくて、まさに現在でも現役のお寺としてその役目を果たしている。その分、尊い気がした。
○大雄宝殿の案内板の横に、崇福寺本堂の仏像に関する案内板が設置してあった。
県指定有形文化財 崇福寺本堂の仏像群(釈迦三尊と十八羅漢)
指定年月日:昭和35年7月13日 所有者:崇福寺
大雄宝殿の本尊は釈迦如来座像。向かって右脇侍は迦葉尊者、左は阿南尊者、ともに立像。みな
中空の乾漆像。胎内から銀製の五臓と布製の六腑が発見された。前者に承応2年(1653)化主
(寄附集め世話人)何高材、後者に江西南昌府豊城県仏師徐潤陽ほか2名の墨書があった。
左右に並ぶ十八羅漢は中空の寄木造で麻布置き漆で固めたもの、延宝5年(1677)奉加人数
という巻物が三尊の胎内から発見されたことと、唐僧南源の手紙に唐仏師三人が崇福寺で羅漢を造る
と書くので、この三人が徐潤陽ほか2名ではないかと疑うこともできる。どれもみな中国人仏師の作
で当寺を示す貴重な作例である。
長崎市教育委員会(63、3設置)
○当日、聖寿山崇福寺の大雄宝殿内は、大勢の信者で溢れかえっているので、これらの尊像を拝見することは適わなかった。それ以上に、崇福寺がこのように現在でも多くの信者を集めている様子を見ることができたことが嬉しかった。
○大雄宝殿の隣、鐘鼓楼の向かいには、媽祖堂門が存在し、その奥に媽祖堂があった。それぞれに案内板が設置してある。
国指定重要文化財 崇福寺媽祖門
指定年月日:昭和47年5月15日 所有者:崇福寺
媽祖堂の前にあるから媽祖堂門と呼ばれるが(文化財の指定は媽祖門となっている)、大雄宝殿と
方丈とをつなぐ廊下を兼ねた巧みな配置となっている。現在の門は文政10年(1827)に再建
したもので、建築様式は和風が基調をなしているが、扉前面に黄檗天井がある。本割が大きく外観が
よい。主要材はケヤキである。
媽祖は、まそ・まぁずぅ・ぼさと読むが、また天妃・天后聖母・菩薩・老媽などの呼び名がある。
海上安全守護の女神で、各唐船には船魂神として媽祖の小像を祀る。
県指定史跡 崇福寺媽祖堂
指定年月日:昭和35年7月13日 所有者:崇福寺
海上安全の守護神媽祖を祀る媽祖堂は当寺草建後間もなく、現状より小さなお堂として建てられた。
航海安全を最上の願いとする来航唐商たちが祀っていた。ここ崇福寺のほか、唐人の建てた興福寺に
は媽祖堂があり、福済寺は観音堂の脇壇に媽祖を祀った。寺に媽祖を併せ祀ったのは、長崎の唐寺の
特色である。来航唐船に祀る船魂神の媽祖像は、在港中これら唐寺の媽祖堂に奉安した。現存建物は
寛政6年(1794)再建のものである。
媽祖堂は唐人屋敷内にもあった。天后堂という。
○崇福寺に参拝した9月14日は、蘭盆勝会であったから、崇福寺媽祖門周辺には、たくさんのお供え物が並べられていた。それがまた、何とも珍しい。偶然、こういう日に参拝できたことは貴重である。