長崎くんち | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○2012年9月14日(金)、朝9時26分に、長崎駅を出発して、分紫山福済寺と万寿山聖福寺を見学して、諏訪神社に到着したのは10時45分くらいであった。

○大門をくぐると、大勢のお客さんが門の前に並んで座っているではないか。諏訪神社の前庭で何か行事が行われるらしい。皆さん、デジカメやビデオカメラを手にして待機している段階であった。

○よくよく観察すると、前庭の真ん中に子供御輿が据えられていて、大勢の幼稚園児が出番を待って、左右に控えている。どうやら、今から長崎くんちに参加する御輿行列のリハーサルが行われるようである。それで、大勢の親や祖父母が参集して、それを見物することになっているらしい。

○様子を見ると、幼稚園児は、もう慣れっこらしく、堂々としたものである。それにひき替え、親や祖父母の撮影隊はあたふたと懸命に走り回っている。やはり、ここでは幼稚園児が主役である。

○子供御輿行列は、行進したり、声を出したり、御輿を高く捧げたりと大変である。終いには、グルグル回転までしてみせた。なかなかの芸達者であった。

○また、子供御輿は担ぎ手だけではなく、旗振り、お囃子組とそれぞれ分担まであって、本格的であった。最後に、年少組らしい、小さい子供たちの鯨の出し物まで登場。これだけ観ただけで、十分長崎くんちの雰囲気を味わうことができた。

○もう10年以上前に、職場旅行で長崎くんちを桟敷席で観たことがある。おそらく、この諏訪神社だったと思うけれども、酒も入っていたので、まるで記憶がない。祭りは大勢の人と雰囲気が一体化しているので、何処で観たかさえ、定かでない。

○長崎くんちのHPには、「長崎くんち」について、次のように案内する。

      長崎くんちとは
   「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭。
   寛永11年(1634年)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが
  長崎くんちの始まりと言われています。
   以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く
  取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。
   この奉納踊は、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
   <開催期間>
    ・毎年10月7日・8日・9日
   <場 所:踊場>
    ・諏訪神社(長崎市上西山町)、
    ・長崎市公会堂前広場(長崎市魚の町)、
    ・お旅所(長崎市元船町)、
    ・八坂神社(長崎市鍛冶屋町)

○ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。

      長崎くんち
   長崎くんち(ながさきくんち)、長崎おくんちは、長崎県長崎市の諏訪神社の祭礼である。10月7
  日から9日までの3日間催される。国の重要無形民俗文化財に指定されている(昭和54年指定、指定名
  称は「長崎くんちの奉納踊」)。
   「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまん
  ざい)」など、ポルトガルやオランダ、中国など南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダ
  イナミックな演し物(奉納踊)を特色としている。
   地元では一般的に「くんち」と呼ばれるが、お諏訪様(諏訪神社)への敬意を表し「おくんち」と
  いう人もいる。「くんち」には「宮日」「供日」という字があてられることがあるが、その名称は旧
  暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来す
  るという説が有力である。
   博多おくんち(福岡県福岡市櫛田神社)、唐津くんち(佐賀県唐津市唐津神社)と並んで日本三大
  くんちと呼ばれる。
以下、祭りについて、長い説明がある。

○出掛けたのが9月14日であったから、まさか、このような催し物を拝見できるとは思いもしなかった。長崎くんちは10月の行事である。幼稚園児はこんなに早くから準備しているのである。見物する人も心して観て欲しい。

○20分ほど、見物させていただいた。お陰で、諏訪神社参拝は適わなかった。しかし、祭り見物を済ませたのだから、建御名方神もお許し下さるだろう。