普陀山の女神信仰 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○もう少し、仏典に見える辯才天を観察してみたい。「ウィキペディアフリー百科事典」が案内する辯才天の紹介に出典が明記されているのは、
  ・『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」
  ・『大日経』
  ・『金光明経』
の三経典である。本ブログでは、これまでに、
  ・ブログ『金光明經の大辯天』
  ・ブログ『 金光明最勝王經の大辯才天女 
  ・ブログ『 金光明最勝王經の大辯才天女◆
  ・ブログ『 金光明最勝王經の大辯才天女』
として、『金光明経』と『金光明最勝王経』の辯才天については案内済みである。

○折角であるから、『大日経』の辯才天も案内しておく。

      大毘盧遮那成佛神變加持經
      卷第二:普通眞言藏品第四
   風神眞言曰
       南麼三曼多勃馱喃 嚩 也吠 莎訶
   美音天眞言曰
       南麼三曼多勃馱喃 薩囉娑嚩 底 曳 莎訶
   禰哩底眞言曰
       南麼三曼多勃馱喃 吃灑 娑 地鉢多曳 莎訶

      密印品第九
   仰三昧手在於臍輪。
       智慧手。空風相持。向身運動。如奏音樂。
       是妙音天費拏印。如前羂索印。是諸龍印。
       如前妙音天印。而屈風輪。交空輪上。是一切阿脩羅印。
       眞言曰、
         南麼三曼多勃馱喃 蘗囉邏延 莎訶

○実際、『大日経』と言う経典はない。『大毘盧遮那成佛神變加持經』の通称が『大日経』である。その『大日経』が載せる辯才天の記述は、私見に拠れば、上記した「普通眞言藏品第四」と「密印品第九」の二個所に過ぎない。

○それも、辯才天と表記されるわけでもなく、『美音天』、『妙音天』として案内されている。特に具体的内容を含んでいるわけでもない。

○中国の検索エンジン『百度』では、『妙音天女』や『辯才天』を案内するのに、
  ・《大日经疏》五曰:
  ・《金光明》
  ・《大日经义释》七曰:
  ・《不空罥索经》十五曰:
  ・《大随求经》上曰:
  ・《最胜王经·大辩才天女品》云:
  ・《金光明最胜王经》
等の経典を案内している。結局、諸経典で辯才天を案内するのは、
  ・金光明経
  ・金光明最勝王經
  ・不空羂索神變眞言經
  ・大随求陀羅尼経
などであることが判る。その中でもっとも詳しいのは、前に案内した「金光明最勝王經」『大辯才天女品第十五』であることは言うまでもない。

○このように諸仏典をみて来たが、それらの中で、辯才天の姿を詳細に案内するものが一つもないと言うのも気になる。仏典に見る限り、辯才天は伝説の天女ということが判る。

○それは、辯才天信仰がそれほど古いものであることを示しているような気がしてならない。もともと辯才天はヒンドゥー教の女神である。それが仏教に取り込まれ、辯才天となった。

○中国では媽祖との結びつきも見逃せない。実際、中国舟山群島では、
  ・普陀山・洛迦山があり渡海祈願の神としての観音菩薩との習合現象も見られる
とされるが、かなり古い時代に、中国舟山群島から日本に辯才天信仰がもたらされたことを考えた場合、中国舟山群島にもともと存在したのは辯才天信仰であったと思われる。

○もっとも、媽祖は宋の時代に実在した人物とされている。それなら時代的に辯才天信仰ではなくて、観音信仰と言うことになる。ただ、中国舟山群島に、女神信仰が存在したとすれば、媽祖信仰が起こる素地がこの地に存在したことは明らかである。

○海を渡って、吐噶喇列島、宝島に行くと、『女神山』が存在する。宝島港近くの山である。宝島へ女神信仰をもたらしたのは、中国舟山群島以外に考えられない。宝島から真っ直ぐ西に向かえば中国舟山群島へ達するからである。

○おそらく、中国舟山群島から宝島を経由して日本へと辯才天信仰はもたらされた。宝島は普陀山である。何故なら、宝島には中国舟山群島の普陀山と同じ光景を見ることが出来るからである。

○それは以前に紹介した、
  ・ブログ「洛迦山と小宝島」
の写真をご覧いただければ判る。宝島から眺める小宝島は、まるで普陀山から眺める洛迦山と同じである。

○現在、普陀山は観音信仰の聖地となっている。しかし、それは後世の話であって、もともとは辯才天信仰の聖地であったと思われる。日本の多くの観音信仰の地がもともと辯才天信仰の地であったのと同じである。

○中国普陀山、百歩沙・不肯去观音院・観音跳から、洛迦山を眺めながら、そんなことを思った。