蘇る辯才天 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○これまで、本ブログでは、「日本三大辯才天」・「竹生島の辯才天信仰」・「天河大弁財天社の辯才天信仰」・「江の島の辯才天信仰」と、日本の代表的辯才天信仰の地について言及してきた。

○もっとも、日本三大辯才天については諸説あるようで、天河大弁財天社、竹生島・宝厳寺、宮島・大願寺のほかに、神奈川県江島神社とする説もある。しかし、これは誰が言い出したかさえはっきりしないのであるから、よく分からないとするしかない。

○いずれにせよ、天河大弁財天社、竹生島・宝厳寺、宮島・大願寺、神奈川県江島神社が日本での代表的辯才天信仰の地であることは間違いない。

○それらの辯才天信仰の地を訪れ、検証することによって、本来の辯才天信仰がどのようなものであったかを窺い知ることが出来る。ただ、辯才天信仰は相当歴史が古く、なかなかその本性を理解することは難しい。また、その間、度重なる法難も受けている。

○その最初の法難は、天台宗や真言宗などの移入された時代の、仏教に拠る法難であろう。現在、宮島の大願寺や、竹生島の宝厳寺は真言宗の寺となっていて、そこに辯才天が祀られている。

○しかし、辯才天を祀るところは、本来、寺ではなかったと思われる。例えば、宮島では、辯才天が祀られていたのは厳島神社の中であったとされる。その厳島神社の別当寺が大聖院であった。明治の神仏分離の際、本来なら別当寺である大聖院に辯才天は移されるものであった。それが何故か大願寺へ移されている。どういう経緯があったかよく判らないけれども、不思議な話である。

○天台宗や真言宗の隆盛によって、それまで地方に存在した寺はほとんど天台宗や真言宗となったのではないか。それほど天台宗や真言宗は当時の時代にあって、強烈な信仰であった。

●本来、辯才天信仰は素朴で、おおらかな信仰であった。とてもではないが、法義で完全武装された天台宗や真言宗に、到底太刀打ち出来るはずもない。それでも辯才天信仰は天台宗や真言宗に取り込まれながらも何とか存在していく。

●ただ、辯才天信仰のほとんどが天台宗や真言宗によってなし崩しにされたことは言うまでもない。天台宗や真言宗の宗旨に合致するものの存在は許されたが、宗旨に合わなかったり、反するものは尽く葬り去られたに違いない。

●もう一つ、辯才天信仰の本質は自然崇拝にある。その場所が天台宗や真言宗の山岳宗教に取り込まれ、辯才天信仰はその聖地を失う結果となった。

○辯才天信仰の次の法難もまた仏教に拠るものである。それは新興仏教の興隆である。浄土宗・浄土真宗・法華宗・禅宗などの新興仏教がまた辯才天信仰に与えた影響も相当大きい。

●それは新興宗教の多くが庶民を対象にした宗教であったことに大きく影響している。今でもそうであるが、辯才天信仰は庶民に愛される宗教である。その庶民の多くが新興宗教に宗旨替えしたのである。

●また、辯才天を信仰する人々の生活が大きく変容したことも見逃せない。日本の辯才天信仰の出発点は、どうも交易をする人々に拠ったと思われるのだが、その人々が拡散し、辯才天信仰は各地に根を下ろした。結果、そういう人々の生活は土着の生活に変化したのである。

●加えて、時の治世者が新興宗教を擁護・保護したことも大きい。辯才天信仰のような曖昧模糊とした宗教と違って、信者の全てを範疇に入れようとする新興宗教は治世する者にとって、甚だ都合の良いものであった。

○辯才天信仰の最後の法難が明治の神仏分離令である。ここでとうとう辯才天信仰はとどめを刺される。神仏習合の典型であった辯才天信仰に神仏分離はあり得ない話である。その存在基盤そのものを否定されては辯才天信仰の立場はない。

●辯才天信仰の起源に神仏習合がある以上、辯才天信仰で神仏が分離することは出来ない。結果、辯才天は神社から抛擲され、天台宗や真言宗の寺からは迷惑者になってしまった。

●日本三大辯才天などという、著名な辯才天は、それでも保護されたのである。しかし、多くの無名の辯才天が明治の神仏分離令によって棄却されたことは話題にもされなかった。それこそ『老神は去るのみ』である。

○「蘇る辯才天」と題したが、それでも辯才天信仰がなくなることはない。何故なら、日本に於いて、辯才天信仰は必要不可欠の神であり、佛なのだから。

○歴史を辿ると、日本に最初に土着した神仏の一つが辯才天信仰だと言うことが判る。ある意味、神仏習合の日本人観を達成しているのが辯才天信仰だと言えるのかもしれない。

●お隣の韓国を見てみれば判ることだが、韓国では人口の約3割がキリスト教徒で、キリスト教が最大勢力の宗教であるとされる。(ウィキペディアフリー百科事典:「韓国のキリスト教」参照)

●それに対して、ウィキペディアフリー百科事典「日本の宗教」では、
   日本における宗教の信者数は、文部科学省の宗教統計調査によると、神道系が約1億700万人、仏教
  系が約9,800万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人、合計2億900万人となり、日本の
  総人口の2倍弱の信者数になる。神道系と仏教系だけで2億人にせまる。 この要因として、以下が挙
  げられている。
とする。総人口1億3000万人で、数が合わない。その理由について、
   ただし、日本では長く神仏習合が行われたため、明治初期に神仏分離がなされた後も神道と仏教の
  間の区別には曖昧な面が残っている。例えば、神棚を祀っている家庭には仏壇があることが多く、仏
  教寺院の檀家であると同時に神社の氏子でもある家庭が多い。これが、神道を信仰する者と日本の仏
  教に帰依している者を合わせると2億人を超えると言われる所以である。
と案内する。

○宗教に関して、日本人ほどいい加減なものも少ないのではないか。もちろん、中にはそうでない方もたくさんいらっしゃるわけであるが。

○「神は死んだ」とおっしゃる哲学者もいるけれども、なかなか日本では神は死なない。日本では死んだところで神となるに過ぎない。八百万どころか、日本には無数無限の神々が充ち満ちている。なかなか万人に認められる神々ではないけれども。

○辯才天が本来、祀られていたのが寺ではなく、神社であることを見逃すことは出来ない。だから、辯才天はいつでも蘇ることが出来る。仏教に見捨てられ、神道に見捨てられても辯才天は蘇る神仏なのである。