邪馬台国を掘る | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○今日、2011年1月23日、午後9時からNHKスペシャル番組があり、その題名が『邪馬台国を掘る』であるのに、驚いた。

○各新聞のテレビ番組一覧には、次のような字が躍っている。

    卑弥呼はどこにいた?
    古代史最大の謎に挑む
    発掘に密着

○朝日新聞『きょうの番組』の案内欄には、次のようにあった。

   邪馬台国の場所をめぐる論争に決着がつくと期待される奈良・纒向(まきむく)遺跡の発掘作業に
  密着する。おととし、纒向遺跡で卑弥呼の王宮ともいわれる巨大な建物群が発掘され、弥生時代末期
  突然建設された日本列島の中心都市だったことが明らかになった。昨夏、建物群の周辺でさらなる発
  掘が行われ、王宮跡のすぐ脇で「聖なる井戸」と推定される穴が見つかった。

○宮崎日々新聞『番組ハイライト』でも、以下のように案内されている。

   邪馬台国の場所をめぐる古代史最大の論争に決着がつくと期待される奈良・纒向(まきむく)遺跡
  の発掘作業に密着する。おととし、纒向遺跡で邪馬台国の女王、卑弥呼の王宮ともいわれる巨大な建
  物群が発掘された。纒向遺跡は東西2キロ、南北1、5キロの巨大遺跡。弥生時代末期に突然建設さ
  れた日本列島の中心都市だったことが明らかになり、邪馬台国の最有力候補地とされている。

○昨日の朝日新聞や宮崎日々新聞記事は何だったのだろうか。今晩の後9時からNHKスペシャル番組『邪馬台国を掘る』を見て、しみじみそう思った。これではまるで、昨日の新聞記事はNHKスペシャル番組『邪馬台国を掘る』の提灯持ちとなっている。

○今回の纒向遺跡の最大の発見が2765個の桃の実発見であったと言うことを何故、新聞報道は出来なかったのだろうか。これでは全くの情報操作ではないか。全て桜井市教育委員会が企画・立案したことであれば、ご立派と言うしかない。提灯持ちさせられた新聞もお気の毒と言うしかない。

○しかし、前回も触れたように、魏志倭人伝を読む限り、纒向遺跡が邪馬台国であることはあり得ない。もともと邪馬台国は魏志倭人伝に書かれている史実である。その魏志倭人伝が指示していないところに邪馬台国が存在するはずもない。詳しくは、前回、『卑弥呼の供え物か』を読んでいただければ判ることである。

○笠井新也が箸墓=卑弥呼の墓説を最初に唱えたのは、「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲媛命」(大正13年)や「「卑弥呼の冢墓と箸墓」(昭和17年)などの論文であるとされる。古事記や日本書紀と卑弥呼の時代を突き詰めた結果なのであろうが、それから、箸墓=卑弥呼の墓説は多くの考古学者の支持を得、一人歩きを始める。

○最も古い前方後円墳とされる箸墓が卑弥呼の墓であって欲しいと言う考古学者の願望が箸墓=卑弥呼の墓説には投影されている気がしてならない。しかし、笠井新也の箸墓=卑弥呼の墓説自体が極めて説得力の薄いものであることは留意すべきであろう。第一、それは魏志倭人伝から読み解かれたものではない。

○今夜のNHKスペシャル番組『邪馬台国を掘る』で、卑弥呼はとうとう道教の教祖みたいになってしまっていた。2765個の桃の実がそれを裏付けると言う話である。こういうふうに、考古学者の思い付きに振り回される歴史も大変である。卑弥呼もシャーマンにされたり、道教の教祖にされたりして、大忙しである。

○卑弥呼ほどの人物が日本の歴史に名を残していない方が不思議であろう。道教の卑弥呼の存在を聞いた方がいらっしゃるだろうか。それとも奈良県には道教の寺院が多く存在しているのだろうか。

○2765個の桃の実発掘が道教に直結するわけでもあるまい。卑弥呼の扱いのあまりのいい加減さに驚くしかない。そのうち、キリスト教徒の卑弥呼が出現するかもしれない。世の中にはエジプトの邪馬台国もあるそうだから。

○今夜のNHKスペシャル番組は、『邪馬台国を掘る』と題していたが、魏志倭人伝を読むと、そんなところに邪馬台国が存在することはあり得ない。邪馬台国でも無いところを掘って、それを『邪馬台国を掘る』と題してはいけない。NHKも考古学者の妄想に付き合わされて大変だと思った。

○遺跡の発掘は大変な作業であり、莫大な費用を要する。その万分の一でもあれば、真実の邪馬台国を発掘することも可能なわけである。いくら纒向遺跡を掘っても邪馬台国が出現することはあり得ない。そういうふうに魏志倭人伝には書いてある。私は三世紀の偉大な史家、陳寿の方を信じる。