硫黄島三岳~矢筈岳~ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○硫黄島三岳は、

  ・硫黄岳(703叩
  ・稲村岳(236叩
  ・矢筈岳(349叩

であったのに対し、大峰山の三岳は、

  ・山上ケ岳(1719叩
  ・稲村ケ岳(1725叩
  ・大天井ケ岳(1438叩

となっていて、硫黄島の矢筈岳が大峰山では大天井ケ岳となっている。

○このことについて、本ブログの書庫『三島村・薪能「俊寛」』の中、ブログ『大峰三山』では、よく考えもせず、
  ○「左に矢筈岳(313叩法廚、「左に大天井ケ岳(1438叩法廚箸覆辰討い董¬樵阿違うで
  はないかとのご指摘があろう。その理由は、大峯奥駈道では、山々の名が仏教関係の名前に変容して
  いるからである。おそらく、もとは「左に矢筈岳」であったものが、後世になって、「左に大天井ケ
  岳」と名前を変えたのではないか。大天井ケ岳は、山容も、矢筈岳らしい雰囲気がある山の形である。
  ○矢筈(やはず)と言う言葉を知っているのは、弓道をする人くらいではないか。弓に矢を番える時
  に、弓の弦に矢を掛ける部分を矢筈と言う。だから矢筈のように山頂の部分が凹んで、二つになって
  いる山を矢筈山、矢筈岳と呼び、全国各地に存在する山の名となっている。
と書いたが、今回、硫黄島を訪れて、硫黄岳から稲村岳や矢筈岳をよくよく観察すれば、大峰山の大天井ケ岳が本来の名であって、逆に硫黄島の矢筈岳が大天井ケ岳から矢筈岳と名を変えたものであると思われてならない。

○何故かと言うと、上記の写真を参考にしてもらえれば判るのであるが、硫黄島の船着き場である長浜港の先に硫黄島の集落は集まっている。その中心に現在では熊野神社が鎮座まします。長浜港は南に口を開いている港である。

○その硫黄島の集落の北東に聳え立つのが矢筈岳である。標高は349叩N臆島の集落の標高はおおよそ10叩ところが矢筈岳の西側は標高100辰曚匹旅大な原となっていて、硫黄島の集落の西に絶壁を見せ、永良部岬まで続いている。それはまさに大天井ケ原台地である。

○こうして文章で説明しても、理解していただくことはなかなか難しいから、硫黄島の地図を参考にしていただければ良く判るのではないか。硫黄島の集落の西側は高さ100辰發寮篳匹箸覆辰討い董△修竜?イ錬鵜勸幣綢海い討い襦そしてその先に永良部岬が更に1丗海のである。

○だから、硫黄島の集落を守っているのは、硫黄岳でも稲村岳でもなくて、矢筈岳であることが判る。その山の裾野が大天井ケ原台地となっている。だから、本来、硫黄島の矢筈岳は『大天井ケ原岳』とでも名付けられていたのではないか。そしてそれが『大天井ケ岳』となったものと思われる。

○硫黄島の集落の北東に聳え立つ矢筈岳が硫黄島集落を守っているのは、ちょうど、京都を比叡山が守っているのと同じである。それより何より硫黄島の集落では、矢筈岳から集落の西側に続く高さ100辰發寮篳匹箸修譴紡海永良部岬の存在が大きい。これによって、硫黄島の集落は冬の北西風から完全に保護される形となっている。天然の防風堤であり、防波堤となっている。

○百聞は一見に如かずと言うけれども、大峰山に出掛け、硫黄島に行ってみると、さまざまなことが判って面白い。硫黄島の矢筈岳は、本来の名は、やはり、大天井ケ岳なのだろう。