如竹先生の詩~仲秋・重陽~(再掲) | 古代文化研究所

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●如竹先生の詩紹介、第二回。今回は「仲秋」と「重陽」の二題。これも再掲。

○前回、如竹先生の詩(試筆二題)を紹介したが、今回は「仲秋」と「重陽」を鑑賞してみたい。

  仲秋
 獨仰清光三五秋
 天涯萬里憶同遊
 呼童相對語京洛
 昔日心知共上樓

  仲秋
 獨り清光を仰ぐ、三五の秋。
 天涯萬里、同遊を憶ふ。
 童を呼びて、相對し、京洛を語る。
 昔日の心知、共に樓に上る。

【私訳】
  十五夜
 たった一人で、勿体ないような月光を浴びている八月十五日の夜である。
 遥か遠くに隔たって居る京師の同門同学の人々が、なぜか思い出されてならない。
 今日の昼間に、近所の子供達を呼び集めて、京の都の様子を語ったからであろうか。
 そう言えば、昔、若い頃、京で、知友と一緒に寺の御堂に登って、
 美しい八月十五日の月を眺めたことを思い出した。

○葉月十五夜を郷里屋久島で詠んだものである。都の知友を懐かしみ、若い時代を回想する老年の如竹先生は、屋久島安房にある。屋久島では月は海から昇る。東山から昇る京都の月とは違って、海上にある故郷の月を見て、またまだ童子のころに見た美しい月をも思い出したに違いない。

  重陽
 遠去洛城西海涯
 對人日々説桑麻
 重陽佳節随郷俗
 濁酒盃中酌菊花

  重陽の節句
 洛城を遠く去りて西海の涯。
 人に對へて、日々、桑麻を説く。
 重陽の佳節も郷俗に随ふ。
 濁酒の盃中に菊花を酌む。

【私訳】
  九月九日、重陽の節句の日に
 京師を遠く去ること、幾千里であろうか。ここ、屋久島が我が郷里である。
 里人と話していても、毎日の話題は農作物の心配ばかり。
 今日は九月九日、重陽の節句の日であるが、里人と節句も祝うことにする。
 せっかくの重陽の日であるのに、登高もせず、詩も作らず、同族参集することもなく、
 寺に集まった皆で庭の菊を愛でながら、ただ焼酎を酌み交わすだけである。

○昔、如竹先生が京都に住んでいたころは、九月九日と言えば、重陽の節句の日になるから、登高の作詩に勤しんでいたことが懐かしく思い出されたであろう。それがここ屋久島ではこの季節は、ちょうど農作物の作柄や台風の心配ばかりが話題となる。せっかくの重陽の日も、多くの里人が寺を訪れ、食べ物や飲み物を持ち寄り、ちょうど咲いている菊の花を酒の肴にして、宴会を催している次第である。それがまた如竹先生には楽しい。

○如竹先生は良寛様みたいに無心になることなど出来ない。曹洞宗と日蓮宗の宗派の違いもあるのであろうか。それとも、朱子学を信奉する故であろうか。自らを厳しく律し、人生を突き詰めようとする気概が如竹先生にはある。また、自己を放擲するようなことは出来ない性分だし、何より如竹先生には自己を見つめ、覚醒させようとする積極的意志がある。より現代人に近いのは、十九世紀に生きた良寛様より、十七世紀に生きた如竹先生の方であるような気がしてならない。