伊賀上野城 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○伊賀と言えば、忍者であろう。先日、伊賀上野城を訪れたら、無数の小さい忍者が上野城内や町中のあちこちを闊歩しているではないか。

○しかし、それほど訓練されている忍者でも無いようで、同伴する父親や母親に手を引かれて、甘えているばかりの忍者どもである。

○4月3日、土曜日は上天気だったから、各地の行楽地も大賑わいだったのでは。ちょうど桜も満開で、上野城は家族連れの人々で駐車場から満員状態であった。近くの市営駐車場に行くように案内されたのだが、そこも満車である。仕方がないので、再度、上野城の駐車場に行き、その旨を伝え、しばらく待たせてもらうよう頼んだら、宮崎ナンバーを見た係員の方が気の毒がって、待たせてくれた。幸いなことに、たまたま、すぐに出る車があって、都合良く駐車することが出来た。

○それから、駐車場前にある案内所に向かい、インターネットで調べておいた「芭蕉翁めぐり 3施設割引共通券」を求めようとしたら、1500円ほどだと言う。インターネットでは確か750円だと思っていたが、一応購入して、確認したら、上野城内の3施設共通券であった。

○事情を説明して、「芭蕉翁めぐり 3施設割引共通券」と交換していただいた。案内所で購入されるのは、ほとんど上野城内の3施設共通券であるらしく、勘違いされたらしい。

○先ずは、伊賀上野城に向かう。ここは津藩主、藤堂高虎によって築城された城である。ただ、天守閣は出来るとすぐに倒壊し、その後天守閣が建つことはなかったらしい。

○ところが、現在では、立派な天守閣が建っている。しかし、これは模擬天守閣であって、昭和10年に再建されたものらしい。だから、正式には「伊賀文化産業城」と言う、珍妙な名の城である。

○それでも、満開の桜のもと、青い空に聳え立つ伊賀上野城は立派である。城下町に天守閣が有るのと無いのとでは全く趣が異なる。町の中心に核があるのと無いのとの差は大きい。特に、今回、松阪から回って来たので、そういう印象を強く抱いた。

○伊賀上野城は、やはり、伊賀市の表看板であり、表札なのではないか。

○芭蕉は、19歳の頃、伊賀国上野の侍大将であった、藤堂新七郎良清の嗣子である、主計良忠に近習として仕えている。良忠が夭折することがなかったら、多分、俳聖芭蕉は誕生しなかったであろう。そう言う意味では、人間万事塞翁が馬なのかもしれない。

○伊賀国では、現在、代金700円を支払えば、誰でも簡単に忍者に変身出来るそうである。名付けて忍者変身術と言う。親子連れの忍者も結構多い。

○そう言えば、松尾芭蕉が忍者であったと、真面目に考えている方もいらっしゃるらしい。案外、芭蕉の俳諧は高等忍術の技なのかも。だから、蕉風俳諧を理解することは難しいのかもしれない。ほとんどの人が芭蕉に騙されている。思いの外、俳諧の難易度は高い。