枕崎の地名由来 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○先日、shusenさんに案内されて、枕崎の遺跡・史跡などを巡ることが出来た。お陰で、枕崎に疎い私が何度枕崎を訪れても知ることの出来ない貴重なことをたくさん伺い知ることが出来た。
○折角、shusenさんに案内していただいたのだから、何か一つくらい感謝の気持ちを込めて、お返しをしなくてはならない。つまらない物を贈るより、私が考える「枕崎の地名由来」をお返しとしたい。
○このブログでは、前に「枕崎という地名」と題して、枕崎の地名由来について書いている。そこでは「枕崎市史」と小川亥三郎「南日本の地名」の枕崎地名由来を以下のように紹介した。
  【枕崎市史】
   昔エビス様の御神体が箱枕の引き出しに入って、近瀬という瀬に流れついたので、そのあたりを枕
  崎というようになった。
【小川亥三郎「南日本の地名」】
   三島村から十島村にかけては、主として暗礁を、時として普通の岩礁をマクラとよび、マクラとい
  う地名もある。それで枕崎のマクラも、これと同じことばであると考えられる。枕崎と三島村とは、
  指呼の間にあり、昔、三島・十島は枕崎と同郡内の川辺郡に属し、川辺十島とよばれた時代もあった
  りして、相互に影響があったことは容易に想像される。
○「枕崎市史」の箱枕の話は、話としては確かに面白い。この箱枕に入って流れ着いたエビス様は現在、枕崎神社と改名し、片平山公園に祀られていると言う。しかし、箱枕に入っていた神様であれば、やはり、入っていた神様自体を命名のもとにするのではないか。箱枕の方を命名のもとにすることは考えられない。中味より包装の方が重視されることは普通ではない。この話は枕崎と言う地名を説明するのに造作された話であるような気がしてならない。枕と言う、とんでもない言葉を説明するのに窮余の一策として箱枕と言う漁師に身近な物が持ち出されたのではないか。
○小川亥三郎「南日本の地名」が説く、枕崎地名の「マクラ」が暗礁・岩礁であるとする説は、枕崎が海に依存して生活する土地柄であるから、非常に説得力がある。ただ、地名となるような暗礁・岩礁であるなら、当然、枕崎にその暗礁・岩礁が存在しなくてはならない。枕崎で最も著名な暗礁・岩礁であれば、立神岩であろう。立神岩なら、枕崎の誰もが納得する。しかし、そういう話は聞かない。その点が気になる。
○私には岩戸山の突端が枕崎の地名起源と思えてならない。枕崎の岩戸山は海に落ちるように崩れ込んでいる。その岩戸山の絶壁に存在するのが前に紹介した岩戸の祠である。岩戸の祠はもちろん岩戸の集落の人々の齋き祀る社である。岩戸の集落は岩戸山の西側すぐに存在する。
○仮に、「岩戸崎」と名付けるが、岩戸の集落の人々にとって、岩戸山は葬祭の場であり、「薪樵(たきぎこ)る」生活の山であった。その海辺の先端が「岩戸崎」である。立神岩も確かに目立つ岩であるが、それがそのまま生活に直結するわけでもない。しかし、岩戸山は岩戸の集落の人々にとって生活の場そのものであった。
○仮に、「岩戸崎」と名付けたが、それはそれが現在、岩戸山と呼ばれているからそう名付けたに過ぎない。それが鎌倉山なら当然「鎌倉崎」となる。私にはこの「カマクラザキ」の「カ」音が落ちて「マクラザキ」地名が誕生したと思えてならない。
○しかし、「カマクラザキ」の「カ」音はなかなか落ちるものではない。だから、それはもともと、「ガマクラザキ」か、もしくは「グヮマクラザキ」であったのではないか。なぜなら、鎌倉の起源は「洞窟の神籬(ひもろぎ)」の意である。それなら「カマクラ」の「カマ」は洞穴の意で、本来の音は「ガマ」か「グヮマ」であろう。「ガマクラザキ」であれば、「ガ」音は容易に落ちる。「グヮマクラザキ」なら「グヮ」音はもっと簡単に落ちる。なぜなら鼻濁音であるからである。
○そう考えると、枕崎はやはり「鎌倉崎」が起源であって、岩戸山の海の突端を指す呼称であると思われる。枕崎で最も神聖な場所である。枕崎の地名はそういう神聖な場所から起こったとするのが最も自然であろう。
○枕詞「鎌倉の→岩戸山」は、ここでも間違いなく存在している。枕詞は万葉集時代の和歌の修辞であるが、南九州では結構各地に見出すことが出来る。ただ、人がそれに気づかないだけのことである。
○ブログ「鎌倉の地名由来◆廚脳匆陲靴燭、「万葉集」巻十四、『東歌』には、鎌倉を歌った次の三首があった。
  鎌倉の見越の崎の石崩の君が悔ゆべき心は持たじ(相聞:3365)
    可麻久良乃 美胡之能佐吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 己許呂波母多自
  ま愛なしみさ寝に吾は行く鎌倉の美奈の瀬川に潮満つなむか(相聞:3366)
    麻可奈思美 佐祢尓和波由久 可麻久良能 美奈能瀬河泊尓 思保美都奈武賀
  薪樵る鎌倉山の木垂る木をまつと汝が言はば恋ひつつやあらむ(譬喩歌:3433)
    多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟
これらの歌は『東歌』であるから、枕崎のものではないが、三首とも枕崎での歌として十分成立する。それほど枕崎は鎌倉崎に近い存在である。
○信じられないかも知れないが、多分、枕崎は鎌倉崎であろう。枕崎を案内していただいたshusenさんに感謝したい。こういうことが考えられたのもshusenさんのお陰である。
○今年、6月11日に、三島村村営フェリー「みしま」が枕崎港に就航した時、撮った写真。洋上から望む岩戸山は秀麗で、偉容を誇る山である。