大峰山山上ケ岳に登る | 古代文化研究所

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○2009年3月28日午後12時過ぎ、奈良県吉野郡天川村洞川に、ようやっと到着。熊野本宮大社から約100劼猟垢て擦里蠅任△辰拭最初の予定では、五番関から大峰山山上ケ岳を目指すつもりであったが、現地に到着してみると、三月も末なのに、ここには雪が降り積もっていた。

○昨年、三月初めに吉野山金峰神社に詣でたが、同じように雪が残っていた。今年は暖冬であったが、それでも三月も末なのに雪である。ここが紀伊半島であることが信じられない。清浄大橋と五番関との分岐点にあった作業小屋に人が居て、どうやら昼食時間らしかったが、五番関まで行けるかどうか聞いてみた。今さっき五番関方面からジープが降りてきたから、多分行けるのではないか、と言う返事が返ってきたので、お礼を言って五番関に向かう。

○しばらく進むと、道にも雪が結構残っていて、日影はアイスバーンになっている。これでは普通のタイヤの車では心配である。先ほどのジープはスノータイヤを履いていたに違いない。あわててバックして、道の脇が広くなっているところで駐車し、ここから登ろうと思って、登山準備を始めた。

○準備をしていると、カメラを持った人が下から歩いて来た。挨拶を交わしてから、今から山上ケ岳に向かおうかと思っていると話すと、清浄大橋から登った方が早いし、安全だろうと、助言してくれた。それにレンゲ辻から登った方が雪が少ないのではないかとも教えていただいた。

○山上ケ岳に何回も登った人の話であるから、それを信じて清浄大橋へ車で向かう。10分ほどで清浄大橋到着。車が三台駐車しているから、三組の登山者があるのだろうと判断。ただ、登山道は通常の道を選ぶ。レンゲ辻方面よりこちらが人が多いと判断したからである。登山開始は12時40分。

○山は普通、明るくなると登り始め、午後3時過ぎには下山するのが通例である。12時過ぎに登山し始めることはめったにないのだが、今回は日程の関係でやむを得ない。もちろん、万一に備えて、雨具・食料・飲料水・ツェルト・ヘッドライトは持参。時間が無いので、急ぎ足で登る。3時には山頂に立ちたい。3時を過ぎたら、そこから下山することを考えて登り始めた。

○一本松茶屋あたりから積雪が多くなった。これでは山頂をのぞむことは無理かなあと思いながら登る。途中、若者数人のグループに遭遇。どうやらどこかの高校の山岳部らしい。元気に下山していく。最後に顧問の先生らしい人が続く。

○役之行者慈悲之助水あたりになると、さらに積雪が増す。山頂はやはり無理だと思いながらも先を急ぐ。大峰山系の尾根になる洞辻小屋にどうにか無事到着。先客が4人。二グループらしい。案内標識に「洞川まで約8辧廖Α峪劃宰榮欧泙婆鵤沖辧廚箸△襦清浄大橋からここまでは5劼曚匹任△蹐Δ。時計を見ると2時過ぎである。これなら急げば何とか山頂まで行けそうである。さらに急ぎ足になる。

○洞辻小屋から先の尾根筋は積雪が多く難儀した。アイゼンもピッケルも無しで登るのだから大変であった。幸い気温が低くもなく高くもなかったので、雪がさらさらしていて、助かった。グチャグチャでも困るし、アイスバーンになっていたら最悪である。

○無事、3時過ぎには、大峰山山上ケ岳山頂(1719叩砲謀?紂0賁未寮齋平Г任△襦清浄大橋に駐車していた3台とは途中で会ったから、大峰山の山頂独り占め状態である。奥駈道の尾根が何処までも続いている。稲村ケ岳が真向かいに見える。天気も良く、最高の景色であった。

○本来、ここが吉野山山頂である。今は大峰山と呼んでいるから、何か別の山であり、お寺であるように錯覚するが、吉野山はここである。本ブログでは、「吉野山の正体」と題して、吉野山が何者であるかを詳述しているが、ここは可愛山上陵である。これで「吉野山の正体」がようやく氷解したことになる。一年以上かけて、どうにかここまでたどり着くことが出来た。

○帰りはレンゲ辻へ向かって下った。折角、大峰山山上ケ岳を訪れたのだから、違うルートも歩いてみたいと言う単純な理由であったが、これが恐ろしい失敗であった。レンゲ辻までは何もなく行けたが、そこから先が谷筋で、アイスバーンの連続で、怖い思いを何度となくさせられた。昔、冬山合宿で、雪山の怖さを教わってはいたが、この時期、この谷筋はアイゼン・ピッケル無しで歩くことは出来ない。登りが2時間余りであったのに対し、下りは2時間半以上を費やし、肝を冷やして何とか下山出来た。清浄大橋には17時45分着。まだ何とか明るいうちに帰り着くことが出来た。

○登山にレンゲ辻を登っていたら、多分、途中で登頂を断念したに違いない。冬山は尾根伝いで行くことの鉄則は本当である。身に沁みてそれを感じた。谷には20叩■械悪辰發良櫃ぅ▲ぅ好弌璽鵑待ち受けている。それを迂回するのは大変なことであった。

○大峰山山上ケ岳は信仰の山である。行者が天翔る山を無闇勝手に歩くのは失礼な話である。しかし、その信仰の本質は何だろうか。役の行者とは何者だったのだろうか。案外、役の行者は「可愛の行者」であったのではないか。そうすれば全てが理解できる。大峰山山上ケ岳の山道を登りながら、そんなことを考えた。