第1回邪馬台国徹底検証シンポジウム 九州VS畿内 in福岡 | 古代文化研究所

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○平成20年3月2日(日)に、福岡県教育庁総務部文化財保護課内、福岡歴史ロマン発信事業実行委員会主催の「福岡歴史ロマン発信事業 邪馬台国徹底検証シンポジウム 九州VS畿内」が、福岡市天神の都久志会館で開催された。

○事務局の発表によると、600名の募集に対して、1100名を越える多くの応募があったそうだ。当日会場で、応募して選ばれなかったのに、あきらめ切れずにやって来た老人とも出合った。午後からの討論会だけでも参加出来たらと思って来たらしい。

○ここ最近、邪馬台国は、再び静かにブーム再来を期しているとのコメントを、討論会で西谷正コーディネーターが語っていたが、どうやらブームは本当らしい。

○苦しい財政状況の中、こういうシンポジウムを開催する福岡県は立派である。おそらく邪馬台国には何の関係もないと思われる福岡県がこういうシンポジウムを開催しているのに、大いに邪馬台国の可能性のある他の自治体が何もしないと言う方が情けない。福岡県には、やはり、九州を代表すると言う自負が感じられる。パンフレットにもあったが、「 九州 沖縄から 文化力 」を標榜してやまない福岡県は、やはり大した文化立県である。

○短い時間の中で、吉村武彦・高島忠平・水野正好の各講演者の講演は、聞き応えが十分あった。各人とも、自説を己が専門分野を十分にフル稼働させて話された。それぞれに興味深い話であった。聞きに出掛けた人々は十分満足出来たのではないか。

○ただ、邪馬台国が何処に存在したかは、また別問題である。三人の講演者の話は十分伝わったが、ある意味、魏志倭人伝がやはり十分読み切れていないのではないか。

○例えば、吉村武彦氏の講演では、折角、魏志倭人伝は三部構成との話があったのに、肝心の三部構成の意義について触れられなかった。時間がなかったせいもあろうが、魏志倭人伝を読む上では、最も大事な箇所である。一言は触れるべきであった。

●三部構成の一部の最後は「自郡至女王國萬二千餘里」であり、二部の最後は「参問倭地絶在海中洲嶋之上或絶或連周旋可五千餘里」となっている。魏志倭人伝の著者、陳寿が最も言いたかったことはこの二つの記述であることは言うまでもない。だから一部・二部のそれぞれ最後にこれらの記述は存在している。この二つの記述が邪馬台国を規定する上で避けて通れない記述であることを、是非、他の二人の講演者にも伝えて欲しかった。そうすれば、他の二人の講演者の意見もまた違ったものになるはずである。この二点の存在を認めれば、北九州にも畿内にも邪馬台国は存在することはあり得ない。そんな重要な指摘であったのに、残念ながら、それが生かされなかった。

○高島忠平氏の講演「弥生王国の成立と巫女王卑弥呼共立の過程」は、ほとんど発掘事例の紹介に終始していた。もともと考古学者であるから、当たり前と言えば、当たり前なのだが、ここは「邪馬台国徹底検証シンポジウム九州VS畿内」と銘打った会場である。出来れば、邪馬台国について自説を丁寧に唱えて欲しかった。あるいは、畿内説と真正面から対峙することを回避されたのかも知れない。

●高島忠平氏の講演では、北九州の発掘事例が詳しく紹介されたが、多分、この会場に来ている人々は、ほとんどそれを各博物館や資料館で実見している人々ばかりではなかっただろうか。今更そんなものを紹介されても困ってしまう。もっと具体的に何処に邪馬台国は存在したか、その決め手は何か、そういうことを期待して訪れた人々ではなかったか。そういう人々の期待に応えて欲しかった。こういう会場に遠くから遙々やってくる人は無目的にやってくるわけではなかろう。「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」と発言したのであれば、それに応えるのが責務であると思うのだが。

○その点、最後の講演者水野正好氏の講演は歯切れも良く、最初から九州論者に挑戦するようで、話術も長けていて、気持ち良い講演であった。あの人が話せば、どんなことであっても人は納得出来ると言うくらい、説得力があった。さすが、堂々敵地の九州にまで乗り込んで来れるだけの裏付けが散見された。

●ただ、話術と真実は別問題である。どんなにうまく説明されても、納得出来ることと出来ないことがある。氏の唱える「やまと」の正体は何処に存在するのであろうか。残念ながら、いくら雄弁に語られても、肝心の地名「やまと」発祥の地は畿内にまるで見当たらない。畿内の何処にも地名「やまと」の発祥地が存在しない。そんな不思議な話があろうか。氏はそれを忘れて話している。

○最後の討論会で、西谷正コーディネーターが語っていた邪馬台国ブームの再来は、多分訪れないと私は思っている。訪れるのは、邪馬台国論争の終焉であろう。このブログの「魏志倭人伝を読む」「邪馬台国の虚像と実像」を読んで頂ければ分かるはずだ。もう既に、邪馬台国論争には決着がついている。魏志倭人伝をよく読めば、誰でも納得出来る。ただ、誰もがよく魏志倭人伝を読んでいないだけのことに過ぎない。

○もうそろそろ、考古学者がおもしろがって、素人を幻惑するようなことは、止める時期に来ているのではないだろうか。これでは何も知らない聴衆があまりにかわいそうである。本当の考古学専門家であれば、はっきりとものを言うべきである。考古学では邪馬台国は決して解決しない。邪馬台国問題は考古学の範疇外であることを。

○魏志倭人伝をよく読めば、邪馬台国は北九州にも畿内にも存在しない。それが分からないのは、専門家でない証拠である。邪馬台国論争は既に終焉している。問題は、どれほどの読解力があるかであって、何ら専門的考古学などは必要としない。それがわからないはずはない。邪馬台国は魏志倭人伝の中に存在しているものである。その魏志倭人伝が読めないのに、邪馬台国を論ずるのは素人である。考古学者は素人に過ぎない。

○本居宣長以上に、自分には漢文力・読解力があると信じる人は、存分に邪馬台国を語ったが良い。でも、そういう人はそんなに居るはずがない。それには莫大な時間と労力を要する。考古学者に片手間仕事で安易に邪馬台国を語ることは出来ない。それは専門家であれば、してはならないことである。

○宮崎市定に次のような言葉がある。

   このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
  古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との間の知恵比べ
  である。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意
  味を伝えてくれないのである。(「宮崎市定全集」第5巻『自跋』)

○ことわっておくが、魏志倭人伝を書いた陳寿は優れた史家である。日本では散々虚仮にされているが、彼が著した「三国志」は、中国に於いては「史記」「漢書」と共に、高い評価を受ける名著である。

○宮崎市定が述べているように、残念ながら「著者との間の知恵比べ」が出来るレベルで魏志倭人伝は読まれていない。だから、「すっかり著者(陳寿)に馬鹿にされて了って、本文(魏志倭人伝)はまっとうな意味を伝えてくれない」ことが理解出来ない。

○要するに、読者の水準が低いと言うことであって、何ら陳寿に非はない。彼は優れた尊敬に値する史家である。その著作があれほど非難中傷される謂われは何処にもない。

○昼食時に、映画「まぼろしの邪馬台国」の紹介・案内があったが、現実には、もう邪馬台国はまぼろしなどではない。すでに邪馬台国は発見されている。それを知らないだけのことに過ぎない。あるいは認めたがらないだけのことに過ぎない。水野正好氏が希求してやまない「やまと」も実はそこに存在している。

○今回、「福岡歴史ロマン発信事業 邪馬台国徹底検証シンポジウム 九州VS畿内」に参加させていただき、大いに参考になった。感謝したい。