飛鳥川・新河原橋 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯畝傍山から香具山へと向かう。途中に、本薬師寺跡を見て、更に東へ進むと、小さな橋に出会う。それが新河原橋で、流れる川の名は、飛鳥川である。川の流れも、それ程で無いし、それに清流でも無い。極めて、平凡な町中の川の流れである。

◯しかし、これが有名な飛鳥川なのだと言う。ウィキペディアフリー百科事典にも、次のように載せる川である。

      飛鳥川

飛鳥川(あすかがわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系の一級河川奈良盆地西部を多く北流する大和川の支流の一つである。

明日香川とも綴る。流域は古代より開けた地で、古歌にもしばしば詠まれた。

高取山北東麓に発する複数の水流の内、手谷川と行者川が奥飛鳥の栢森集落内で合流し飛鳥川となり、明日香村中央部を北流、橿原市、田原本町などを経て川西町保田で大和川に注ぐ。

上流部では棚田が並ぶ渓谷を進み、集落内を流れる水路(井手)へも給水、丘陵地帯の明日香村を抜けてからは奈良盆地の田園地帯を行く。下流部では東に寺川、西に曽我川と、大和川支流が約1km間隔で左右に平行し、田園を潤している。西隣を流れる曽我川の大和川への河口は、飛鳥川のそれから500mしか離れていない。

  世の中は何か常ある飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる

  飛鳥川淵は瀬になる世なりとも 思いそめてむ人は忘れじ

 

◯別に、次のページも詳しい。

      飛鳥川

   明日香村の多武峰山系竜在峠付近を源流として、明日香村栢森、稲渕を流れ、
  明日香村祝戸で冬野川を合わせ、橿原市に入ります。
   その後、屋就川・中の橋川・烏米川・かんでん川・新川を合わせて
  川西町・大和郡山市の間で大和川に合流する長さ約22㎞の川です。
   今から約1400年前、飛鳥川沿いは日本の都として繁栄していました。
  明日香村稲渕には、両岸を結ぶ「岩橋(いわはし)」と呼ばれる飛び石橋が
  今も残り、万葉集にある和歌の石碑が建っています。

 

◯このあたりを流れる飛鳥川は清流でも無いし、風情も無い。まして、

  昨日の淵ぞ今日は瀬になる

などと言う急流でも無い。ごくごく、普通の町中を流れる汚れた川に過ぎないのが、何とも、寂しい。

◯その新河原橋のたもとに、立派な石碑を見付けた。「故村田巳喜次之碑」と大書してある。せっかくなら、説明が欲しいところである。インターネットで検索したところ、次の説明文があった。

      故村田巳喜次之碑

   1917年(大正6年)橿原市内の河川が豪雨で氾濫する中、
  住民の避難誘導の先頭に立ち、殉職した警察官がいた。
   警察官の名前は村田巳喜次巡査。熊本県出身で、
  大正3年から奈良県の巡査として当時の八木署に勤務していた。
          (デジタル奈良新聞より)

◯1917年と言えば、百年前の出来事である。村田巡査は地元で忘れられない偉人であることは間違いない。だから、この石碑で、今なお顕彰され続けている。名を死後百年に残すとは、こういうことを言うのだろう。今でも大事にされていることがよく判る。