日吉大社:山王鳥居 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○日吉大社はどこから始まっているのだろうか。江若交通の日吉大社前からだろうか、それとも、一の鳥居からだろうか、もしくは、大宮橋からだろうか。何とも、よく判らない。ただ、西本宮が山王鳥居から始まることだけは、間違いなさそうである。

○とにかく、日吉大社の境内は広い。加えて、多くの建物が乱立していて、何処も本宮みたいな趣があるから、余計に、判らない。そういう取り止めの無いところが日吉大社である。日吉大社のホームページに、境内案内があって、それには、次の五つに区分されている。

  大宮橋エリア

  東本宮エリア

  奥宮エリア

  西本宮エリア

  日吉東照宮

○ただ、日吉大社の祭神がどのようなものであるかによって、その中の何処が日吉大社の中心であるかが見えて来る。日吉大社は、そのご由緒について、次のように記す。
      ご由緒

比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。

 

○ウイキペディアフリー百科事典が案内する日吉大社は、次の通り。

      日吉大社

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていた。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社境内大宮橋は日本百名橋に選定されている。

全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。を神の使いである神猿(まさる)とする。西本宮東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定されている。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。鳥居は、その上部に比叡山延暦寺を示す山形をのせる独自の形式で「山王鳥居」(合掌鳥居、総合鳥居)と呼ばれる。

【祭神】

  ・西本宮:大己貴神

  ・東本宮:大山咋神

 

○また、ウイキペディアフリー百科事典が案内する山王権現は、次の通り。

      山王権現

山王権現(さんのうごんげん)は日枝山(比叡山)の山岳信仰神道天台宗が融合した神仏習合である。天台宗の鎮守神日吉権現日吉山王権現とも呼ばれた。

山王権現とは、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合して成立した、延暦寺の鎮守神である。また、日吉大社の祭神を指すこともある。

山王権現は、比叡山の神として、「ひよっさん(日吉さん)」とも呼ばれ、日吉大社を総本宮とする、全国の比叡社(日吉社)に祀られた。また、「日吉山王」とは、日吉大社と延暦寺とが混然としながら、比叡山を「神の山」として祀った信仰の中から生まれた呼び名とされる。

日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)が入して天台教学を学んだ天台山国清寺では、霊王の王子晋が神格化された道教地主山王元弼真君が鎮守神として祀られていた。唐から帰国した最澄は、天台山国清寺に倣って比叡山延暦寺地主神として山王権現を祀った。

 

○日吉大社の祭神は何か。それは大己貴神であり、大山咋神だとするしかない。ただ、山王鳥居が存在するのは、西本宮になる。そういう意味では、やはり、日吉大社の中心は西本宮であり、大己貴神だとするしかない。

○ちなみに、大己貴神は出雲神である。大己貴神と大山咋神とは別の神ではないかとおっしゃるかも知れない。しかし、大己貴神や大山咋神の起源を遡ると、それは鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島に達して、起源は一緒である。

○当古代文化研究所では、そういうことを研究している。出雲神の出自は出雲国ではない。出雲神の故郷もまた鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。それを知りたければ、硫黄島を訪問して確認するしかない。当古代文化研究所では、これまで、六回、硫黄島を訪問し、そのことを確認済みである。