求法寺走井元三大師堂 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○日吉大社の鳥居を入って行くと、すぐ右手に見えて来るのが、求法寺走井元三大師堂である。まさに、神社の境内に建つのが求法寺走井元三大師堂だと言うことになる。当然、日吉大社そのものが神仏習合の神社であることが判る。

○その求法寺走井元三大師堂の前右手に、次の案内板が設置してあった。

      厄除け大師

      おみくじ大師

      求法寺走井堂

  本尊:元三大師(慈恵大師良源大僧正) 重要文化財

  脇仏:如意輪観音、三十三所観音、不動明王ほか

      由緒

  当堂はもと第四世天台座主 安恵和尚(八〇一~八六四)の里坊 として

  創建された。のち比叡山 中興の祖である第十八世座主慈恵大師良源

  大僧正(九ー二~九八五)が、若き十二才のころ、比叡山への入山修行

  の決意を固められた浄域であるところから「求法寺」と名づけられ

  た。また古来より波止土濃(橋殿 )又は走井の地名に因んで本堂を

  「走井堂 」と称している。本尊はご自作と伝える元三大師尊像(秘仏)

  であり、観音菩薩 の化身としてその霊験 は誠にあらたかである。

    祈りなば 願ひも三つの橋殿や
    寺の渡りぞ 弘誓なるらん

 

○また、求法寺走井元三大師堂の前左手にも、次の案内板が設置してあった。

      滋賀県指定有形文化財

      求法寺走井元三大師堂

  所在地:大津市坂本五丁目

  指定年月日:平成十年六月十九日

   求法寺は、延暦寺登山口の本坂脇に位置する。由緒には、第十八世

  天台座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が初登山の時ここで入山修

  行の決意を固めたことから求法寺と称されたとある。

   この建物は、元亀二年(一五七一)に焼失の後、正徳四年(一七一

  四)に上棟されたものである。平面は、元三大師を祀る正堂(内陣)

  前面に、参詣の場である礼堂(外陣)が接続し凸型になっている。

  正堂は間口三間、奥行き三間で、中央部の三間✕一間を内陣に取り込

  み、屋根は入母屋造、正面に軒唐破風を付け、全体を杮葺とする。

   走井元三大師堂は、建築年次が明確な江戸時代中期の建築である。

  礼堂は、内部を広くするため柱を省略し虹梁、太瓶束にするなど、

  豪快な架構は近世の社寺建築のなかでも技術的に優れている。これは

  近くの西教寺本堂(重要文化財:一七三九年建立)にも共通する流派

  的特色で、棟梁中島次郎左衛門の技量のほどが良くうかがわれる。

      平成十三年三月

           滋賀県教育委員会

 

○比叡山で、元三大師良源の存在は大きい。まだまだ比叡山で学ぶことは多い。これから、何度も比叡山へ参詣する必要を感じる。