土佐日記と南国市 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2022年11月1日に、比叡山延暦寺へ参詣した。登りは京都側から叡山電鉄を利用して行き、帰りは坂本ケーブルカーで下った。時間からして、14時ころに山上駅を出発し、11分間で、山下駅に到着した。

○登りが、叡山電鉄、ケーブルカー、ロープウェイと多種多様だったのに対し、下りは坂本ケーブルカー一本で、それも11分間と言う、何とも呆気ないものだった。その山下駅の駅舎横に、「土佐日記と南国市」と言う高知県南国市の案内板があるのを見付けた。

      土佐日記と南国市

   坂本ケーブルもたて山駅より尾根伝いに約五百メートルの一角に

  紀貫之公の墳墓がある。

   南国市比江は、奈良時代から平安時代にかけて数百年にわたり

  国司官舎のあった場所で、紀貫之は第48代目の国司でした。土

  佐の地で4年の任期を終えた承平4年(934年)、帰京の際の

  船旅で記した見聞紀行日記「土佐日記」を世に発表した事で、貫

  之と土佐との関わりはより深くなった。わざと自分を女性の書き

  手として綴った『をとこもすなる日記といふものををむなもして

  みむとて すなるなり』の書き出しはあまりににも有名で、日記

  のはしばしに貫之の細やかな心情が描き出されている。

   紀貫之公を敬慕し比叡山鉄道株式会社のご尽力に預かりながら

  毎年団参を重ね大津市、御地史談会、観光協会また京都高知県人

  会と交流が始まった。

   当市関係団体は毎年十一月に市内や紀氏邸跡、古今集の庭にお

  いて「土佐日記門出のまつり」、「貫之時代祭」などの行事を行い

  貫之顕彰に力を注いでおり、墓地周辺整備とともに今回墓参二十

  回目の記念事業の一環としてここに掲示するものである。

            高知県 南国市

                南国市商工会

                南国市観光協会

                国府史跡保存回

○この案内板が何時、建てられたものなのかが何処にも無いのが残念でならない。折角、これだけのものを、わざわざ、この地に建てているのに、何とも迂闊な話である。

○実は、当古代文化研究所は、これまで、何度か、紀貫之墓に墓参へ行くことを計画した。ところが、その度毎に、何かと都合で、墓参が出来ないままとなっていた。

○それは、紀貫之墳墓へ行くのに、不動谷経由で行こうと考えていたからである。実際、当古代文化研究所では、2022年11月30日に、ようやく、紀貫之墳墓、墓参を果たすことができた。73歳の時だったから、足掛け50年も掛けて、何とか目的を果たすことが出来たわけである。当古代文化研究所にとって、そういう因縁の場所が紀貫之墳墓である。

○したがって、まだ、紀貫之墳墓については、ブログに書いていない。後日、書くことになる。紀貫之墳墓に、南国市の第1回参拝が昭和59年11月17日との参拝記念があった。したがって、上記の墓参二十回目記念事業となれば、平成15年(2003年)のことではないかと思われる。

○「木工頭紀貫之朝臣之墳」は、南国市の参拝記念碑で埋め尽くされている。たぶん、2023年の今年は第40回の墓参が催行されるのではないか。南国市の文化に敬意を表したい。

○ただ一つ、上記の案内板には、

  をとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとて すなるなり

とあるけれども、原文は、

  をとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとてするなり

である。「岩波日本古典文学体系」本で確認している。