四王寺山 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2022年12月12日に、福岡の宝満山へ登って来た。山を下りた後、『宝満茶屋 そば処 山公(やまこう)』で、鴨南そばを頂戴した。時間にして、午後1時過ぎだった。

○今日も宿泊先は、JR鳥栖駅前のホテル、「サンホテル鳥栖」の予定である。したがって、時間は十分にある。これからどうしようか、随分、悩んだ。一つは、折角、大宰府まで来たのである。天満宮にお参りしないのも、失礼な話である。

○それに、大宰府には、九州国立博物館もある。ただ、12月12日は月曜日で、博物館は休館である。もう一つ、元号「令和」で、一躍有名になった坂本八幡宮も大宰府にある。見所の多いところである。

○今回、宝満山へ登って、九州自然歩道が宝満山や四王寺山を通っていることが気になった。それ程、宝満山や四王寺山は、この辺りでは、大事な山なのではないか。そういうふうに感じた。

○実際、今回は、宝満山から四王寺山を眺めただけで、四王寺山を訪れているわけではない。しかし、一回は訪れてみるべき山であることを痛感させられた。それで、機会を見付けて登りたいと思った。そのためにも、ここに記録として残しておきたい。

○ちなみに、ウィキペディアフリー百科辞典が案内する四王寺山は、次の通り。

      四王寺山

四王寺山(しおうじやま)とは、福岡県太宰府市大野城市糟屋郡宇美町にまたがる標高410mのである。構造的には最高点のある大城山(おおきやま・大野山とも)を中心に岩屋山・水瓶山・大原山と呼ばれる4つの山から構成されており、それらを別個の山とみなして一帯の山地の総称として四王寺山脈四王寺山地と呼称する場合もある。

白村江の戦いの翌年である天智天皇3年(664年)に大城山の山頂に古代山城である大野城が設置された。『万葉集』巻8にも大伴坂上郎女の歌として筑紫の大城の山について詠んだ歌が採録されている。その後、大野城の役目は低下していったが、宝亀5年(774年)に大野城があった場所に四天王を奉納して外敵撃退を祈願して寺が建立された。この寺院は四王寺と称され、平安時代のものとされる経塚が発掘されている。後にそれにちなんで大城山を中心とした4つの山を「四王寺山」と称するようになった。麓には坂本坊と呼ばれる座主の寺院善正寺があった。坂本八幡宮にその名残が残っている。

  四王寺山 - Wikipedia