○寒山詩を読んでいる。前回は第220回として、『徒閉蓬門坐(220)』を読んだ。今回が第221回で『時人見寒山(221)』になる。原則、項楚著「寒山詩註」(中華書局2000年刊)に従って訳していきたい。
【原文】
時人見寒山(221)
時人見寒山 各謂是風顛 貌不起人目 身唯布裘纏
我語他不會 他語我不言 爲報往來者 可來向寒山
【書き下し文】
時の人、寒山を見るに、
各、謂ふ、是れ風顛なると。
貌は人目を起こさず、
身は唯だ布裘を纏ふのみ。
れ語るに、他に會せず、
他の語るに、我れ言はず。
報を爲さんと、往來する者、
來りて寒山に向かふべし。
【我が儘勝手な私訳】
世の中の人は、私寒山を見て、
寒山は常識外れの風来坊だと評価している。
容貌は特に注目されるようなものも無く、
身体にはただ布衣を纏っているのみである。
寒山が語っても、あまりよく人には伝わらず、
人が語る言葉も、私にはよく判らない。
佛恩を被りたいと願って、天台山へ向かう輩は、
天台山を訪れ、寒山を是非とも拝むべきである。
○『我聞天台山(218)』詩から『養子不經師(219)』詩、『徒閉蓬門坐(220)』詩と、寒山詩らしい詩作が続いている。今回の『時人見寒山(221)』詩もまた、そういう詩作の一つである。
○『時人見寒山(221)』詩を読むと、寒山の自虐性が出ていて、なかなか面白い。現代でさえ、なかなかこういうふうに自己表現する人も珍しい。如何に自己を客観的に見ることができるか。なかなか難しい問題である。そういうものを寒山はさり気なく表現している。茶目っ気も十分ある。これが寒山詩の真骨頂でもある。
○諸本を見ると、「風顛」項目で、この『時人見寒山(221)』詩の、
時人見寒山 各謂是風顛
を表現例として掲げるものが多い。それ程、寒山詩は禅宗で愛好されていたことが判る。
○ちなみに、「風顛」は『ふうてん』と読む。柴又のフーテンの寅も、柴又帝釈天の申し子とされるから、存外、寒山の系列に属する者かも知れない。