○前回、ブログ『日本人最初の言葉』で、彦火瓊々杵尊が見た風景が次のものであることを案内した。
此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
○この言葉を理解するには、まず、天孫降臨の世界山が何処かと言うことを理解することである。前回、それが霧島山高千穂峰であると言う話もした。高千穂峰では、彦火瓊々杵尊が見た風景を、現在でも見ることができる。
○前回、その写真をも掲載している。それは錦江湾に桜島が浮かび、その彼方に開聞岳を見る風景である。当古代文化研究所では、その風景を幾度となく眺めている。
○しかし、これが彦火瓊々杵尊が見た風景であることを理解するには、相当の奮闘努力が要求される。眺めて、全てが氷解するわけではない。もともと、文化とは、そういうものである。
○それには、上記の彦火瓊々杵尊の言葉が意味することを理解する必要がある。ここでは、「韓国」は『からくに』と読み、中国本土を意味する。同じように、「笠沙」地名が意味するところは硫黄島になる。つまり、硫黄島が望見される岬なり海岸線が笠沙の御前と言うことである。高千穂峰山頂であれば、それは開聞岳となる。
○結果、彦火瓊々杵尊が見た風景の先に存在するものを、理解する必要がある。それは、当古代文化研究所では、これまで幾度となく案内していることでもある。具体的には、次のようなものになる。
・坊津⇒硫黄島(56㎞)
・硫黄島⇒口永良部島(36㎞)
・口永良部島⇒吐噶喇列島口之島(59㎞)
・吐噶喇列島口之島⇒吐噶喇列島中之島(14㎞)
・吐噶喇列島中之島⇒吐噶喇列島諏訪之瀬島(28㎞)
・吐噶喇列島諏訪之瀬島⇒吐噶喇列島悪石島(24㎞)
・吐噶喇列島悪石島⇒吐噶喇列島宝島(50㎞)
・吐噶喇列島宝島⇒舟山群島(600㎞)
・舟山群島⇒寧波(150㎞)
・寧波⇒会稽(100㎞)
○天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が天孫降臨した高千穂峰で発した日本人最初の言葉、
此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
が意味することろは、そういう日本から中国本土までの道程を意味することが判る。それは何とも神々しい風景である。日向国の天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峰では、その風景を現在でも、普通に見る,
ことができる。
○ただ、留意すべきは、知らないと見えないと言うことである。開聞岳をご存じ無くては、まず見えない。硫黄島を見たことも無い方にも、まず見えない。当古代文化研究所では、これまで、6回硫黄島を訪問しているし、吐噶喇列島へも3回訪問している。開聞岳にも、毎年登っている。
○中国浙江省の舟山群島普陀山へも、これまで6回参詣しているし、寧波へは7回出掛けているし、会稽へも4回訪問している。そういう努力をしないと、なかなか見えては来ない。
○意外と、「古事記」や「日本書紀」はそういう文化のもとに書かれている。「古事記」や「日本書紀」を読んで、仏教文化を感じないようでは、なかなか「古事記」や「日本書紀」を理解することはできない。そのために、当古代文化研究所では、中国四大仏教名山(五台山、普陀山、峨眉山、九華山)の全てに参詣しているし、五岳(泰山、華山、衡山、嵩山、恒山)や五山(径山寺、霊隠寺、天童寺、浄慈寺、阿育王寺)へも参拝済みである。
○「古事記」や「日本書紀」を読むことは、意外に大変なのである。日向国の天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峰山頂に立って、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が見た風景は、そんな努力をしないと見えない。