邪馬台国と狗奴国 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○邪馬台国が何処に存在するか? 前回、その話をした。今回は、それに引き続き、邪馬台国と狗奴国について述べてみたい。最初に、「魏志倭人伝」の主題でもある、倭国三十国を確認しておきたい。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○ここにある南九州三国の、投馬国・邪馬台国・狗奴国が、実は日向国になる。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」に拠れば、日本は日向国から始まったとする。「三国志」が指示するところがそれと全く一緒であるのは、偶然ではない。

○どう考えても、邪馬台国から大和国が誕生したことは、疑いない。そんな偶然など、あり得ない。しかし、邪馬台国と大和国とは、別物であることにも、注意する必要がある。邪馬台国は日向国のものだが、大和国は畿内に存在する。

○この両者を結び付けるのが邪馬台国を代表する風景である。当古代文化研究所では、そのことについて、次のように規定している。

  ・テーマ「台州・天台山」;ブログ『邪馬台国の風景』

  https://ameblo.jp/sisiza1949-2/entry-12600931757.html?frm=theme

○お判りの通り、邪馬台国を代表する風景とは邪馬台国三山の風景である。それは次のようになる。

  ・畝傍山=霧島山(1700m)

  ・香具山=桜島山(1111m)

  ・耳成山=開聞岳(924m)

○それと全く同じ風景を大和国でも見ることができる。それがいわゆる大和三山である。しかし、大和三山はレプリカに過ぎない。国名を冠せられた山が、標高200mにも満たないなど、あり得ない。その点、邪馬台国三山は、邪馬台国を代表する風景だけあって、いずれの山も、実に威風堂々としている。

○その邪馬台国と敵対関係にあったとされるのが狗奴国である。邪馬台国が薩摩半島であれば、その薩摩半島と犬猿の仲の地が狗奴国だと言うことになる。実際、鹿児島を訪れ、薩摩半島と犬猿の仲の地が何処であるかを尋ねてみれば、よく判る。

邪馬台国と犬猿の仲である狗奴国は、神代の昔から、現代にまで、尾を引いている。嘘だと思うなら、実際、鹿児島でお聞きになると良い。百人が百人、それは大隅半島だと答える。したがって、狗奴国が大隅半島であることも、間違いない

○嘘のような話だが、本当のことである。鹿児島では、誰もが認めることである。まあ、神代からの伝統だから、仕方ない話なのかも知れない。両者のいがみ合いは、今に始まったことではないのである。それは先祖代々、身に染みた現実なのである。

○それでは大隅半島の何処に狗奴国の中心が存在したか。狗奴国を代表する風景とはなにか。第一、大隅国大隅郡大隅郷が何処であるか。そんな話をしたいのだが、字数が尽きた。続きは次回に。