耳成山=開聞岳 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○邪馬台国三山の話をして、ブログ『畝傍山=霧島山』、香具山=桜島山』と続けている。したがって、今回は『耳成山=開聞岳』となる。邪馬台国三山、

  ・畝傍山=霧島山(1700m)

  ・香具山=桜島山(1111m)

  ・耳成山=開聞岳(924m)

で、もっとも印象の薄いのが、『耳成山=開聞岳』になる。

○そのことは、「万葉集」を読むとよく判る。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。判るように、耳成山は僅か三回しか「万葉集」に登場しない。畝傍山の六回、香具山の十四回に比べると、圧倒的に少ない。

○それ程、「万葉集」では印象の薄い耳成山だが、日向国で見ると、意外に、そうでもない。第一、薩摩国一宮である枚聞神社の御神体は、どう考えても、耳成山だとするしかないのだから。

○しかし、日向国を代表する山は、誰が何と言ったところで、天孫降臨の世界山である畝傍山=霧島山だとするしかない。標高も1700mと他を圧倒する。ただ、耳成山=開聞岳は海の標識として、どの山よりも目立つ存在である。それが耳成山=開聞岳の特徴とも言えよう。

○『みみなしやま』と言う名前にしたところで、極めて特徴的で、誰もがその名に悩まされてしまう。耳が無い山などと言う珍妙な話が、まことしやかに、大和国では語られたりする。

○しかし、『みみなしやま』とは、境界を成す山の意であって、ここまでが陸地=大和国であって、ここから先がわだつみの世界であることを意味する。その耳成山に枕詞が存在することも、見逃せない。

耳成山の枕詞など、聞いたことがないとおっしゃるかも知れない。もちろん、私も聞いたことがない。当古代文化研究所の研究に拠れば、それは『ひらききの』と言う。つまり、耳成山の正式呼称が「ひらききのみみなしやま」となる。何と素晴らしい呼称ではないか。

○それを裏付けるものとして、薩摩国一宮がある。薩摩国一宮は枚聞神社と申し上げる。枚聞と書いて『ひらきき』と読む。なかなか難しい読み方だが、開聞岳の文字は、それに当て字したものである。今では、すっかり「かいもんだけ」としか、呼ばないけれども。

○日向国の「ひらききのみみなしやま」では、「ひらきき」だけが残って、枚聞とか開聞とか表記されるようになってしまった。結果、開聞岳と枚聞神社が現在まで残っている。

○それに対して、大和国では「ひらききのみみなしやま」の、「みみなし」だけが残って、耳成山とか耳梨山とか表記されるようになってしまった。お陰で、「みみなしやま」が何を意味するか、皆目不明となってしまった。

○したがって、古い日向国の時代には、耳成山=開聞岳の時代があったことが予想される。しかし、それはあまりに古い時代であった。それで、歴史にはなかなか登場しない。

○硫黄島や屋久島からは、きれいに耳成山=開聞岳の姿を見ることができる。それはあまりに神々しい。まさしくそれが「ひらききのみみなしやま」の正体であることを実感する。まずは海上から、そういう「ひらききのみみなしやま」の神々しい姿を遙拝してみることだろう。