○曹魏を打ち建てたのは、誰が考えても曹操だと思っている。「百度百科」の曹操項目も、『曹操 (三国魏政权奠基人)』としている。しかし、曹魏の建国は220年12月10日であって、当時の皇帝は曹操ではなく、息子の曹丕となっている。曹操は220年3月15日に65歳で亡くなっている。
○その曹魏の滅亡は266年2月4日とされるから、曹魏が存在した時期は220年から266年までの、わずか46年間に過ぎない。三国時代と言うと、何か長い期間であったような気がするけれども、それ程、長い時代では無かったことが判る。
○ちなみに、蜀漢は221年から263年までの43年間で、曹魏の時代よりさらに短い。また、孫呉は222年から280年までの69年間だから、三国の中では最も長い。したがって、実際に三国が鼎立した時代と言うのは222年から263年までの、わずか42年間であることが判る。
○陳壽の「三国志」で、三国時代は有名だし、「三国志演義」で、曹操や孫権、劉備は誰でも知っている。しかし、意外に、その時代は短い。それなのに、三国時代がこれだけピックアップされるのには、当然、理由がある。
○それは三国時代が中国全土を巻き込んだ激動の時代であったからに他ならない。都が洛陽にあるだけではなく、建業にも成都にも存在した。そんな時代は他に無い。
○また、三国時代が六朝時代の始まりであり、六朝文化の形成された時代であることにも注目すべきであろう。日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する六朝は、次の通り。
六朝
六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・
斉・梁・陳の総称。
呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代(222年 - 589年)を六
朝時代(りくちょうじだい)とも呼び、この時期の文化を特に六朝文化(りくちょうぶんか)と称
することもある。
【宗教】
六朝時代は、中国における宗教の時代であり、六朝文化はこの時代に興隆した宗教を基に花開い
た。一方では、後漢代に盛行した神秘的傾向の濃厚な讖緯説・陰陽五行説の流れの延長上に位置づ
けられる。また、後漢末より三国に始まる動乱と社会の激変に伴う精神文化の動揺が、従来の儒教
的な聖人を超越した原理を求める力となったものと考えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9C%9D
○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する六朝は、次の通り。
六朝
六朝(222–589年),一般是指中国历史上三国至隋朝的南方的六个朝代。即孙吴(或称东吴、三
国吴)、东晋、南朝宋(或称刘宋)、南朝齐(或称萧齐)、南朝梁、南朝陈这六个朝代。六朝京师
均是南京(孙吴时期名为建业,西晋司马邺称帝后为避讳,改名建康)。
【概念定义】
六朝又称六代。吴、东晋、刘宋、齐、梁、陈六个朝代先后建都于建康(吴称建业,今南京),因
唐朝人许嵩在《建康实录》一书记载了这六个朝代而得名;北宋的司马光撰写《资治通鉴》以此六朝
作为正统编年纪事,后人将此六个朝代并称六朝,史称六朝。六朝同时又指北朝六朝。三国魏、西晋、
北魏、北齐、北周及隋皆建都于北方,亦合称六朝。是后世对三国至隋统一前南北两方的泛称。
https://baike.baidu.com/item/%E5%85%AD%E6%9C%9D/8804842?fr=aladdin
◎亳州が曹操の故地であることから、そういうことを考えた。なかなか中国は奥が深い。