○まず、前々回取り上げた『虎丘:通幽軒』の曲径通幽から。日本では「曲径通幽」はあまり知られていない言葉である。唐代の詩人、常建の「題破山寺後禪院」詩が語源であるらしい。そのことについては、以下のブログですでに詳しく触れている。
・書庫「蘇州漫遊」:ブログ『虎丘:通幽軒』
http://baike.baidu.com/item/%E9%A2%98%E7%A0%B4%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E5%90%8E%E7%A6%85%E9%99%A2/2937931?fr=aladdin
○ただ、『曲径通幽』を理解するには、どうしても、常建の「題破山寺後禪院」詩を理解しない限り、判らない。しかし、常建の「題破山寺後禪院」詩の良い訳が存在するわけでもない。結局、自分で訳すしかない。
【原文】
題破山寺後禪院
常建
清晨入古寺
初日照高林
曲徑通幽處
禪房花木深
山光悅鳥性
潭影空人心
萬籟此俱寂
但餘鐘磬音
【書き下し文】
破山寺の後禅院に題す
常建
清晨は古寺に入り、
初日の高林を照らす。
曲径の通幽する処、
禅房の花木は深し。
山の光は鳥性を悦ばせ、
潭の影は人心を空しくす。
万籟は此れ、寂を倶にし、
但だ鐘磬の音を余すのみ。
【我が儘勝手な私訳】
朝、まだ太陽が出る前に、常熟市虞山北麓の興福寺へ参詣すれば、
朝日が老樹の梢を美しく照らすのを見ることができる。
曲がりくねった小道を辿って行くと、幽玄世界へと導かれ、
破山寺の後禅院庭の花樹は、この世のものとも思われない。
虞山へ降り注ぐ陽光は鳥たちを目覚めさせ、歌わせ、
渓谷に水汲みに訪れる僧侶たちを仏法世界へと誘う。
全ての自然界の物音は寂莫としたものとなり、
その静寂の中に流れる音はただ、寺の鐘の音であり、磬の音のみである。