○2025年7月17日、四川省成都の大慈寺へ参詣した。この成都の大慈寺には、2015年5月に初めて成都を訪れた際、お参りしている。
・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『大慈寺』
○2015年5月に、成都の大慈寺に参詣して驚いたのは、そこに蘭渓道隆の名が存在したからである。蘭渓道隆は、鎌倉五山の筆頭、建長寺の開山として、日本でもよく知られる渡来僧である。その蘭渓道隆が四川省の生まれであることを知って、驚いた。
○それで、ブログにも、次のように、詳しく書いている。
・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭渓道隆』
・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師年譜』
・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師遺偈』
○今回、成都の大慈寺を訪問し、しみじみ、蘭渓道隆の苦労を改めて感じた次第である。と言うのも、三ヶ月前の、2025年4月4日に、「鎌倉五山旅」で、北鎌倉の建長寺へ参拝したばかりだったからである。これまで、数回、建長寺や円覚寺には参詣している。
○その際、蘭渓道隆についても、当然、書いている。
・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『蘭渓道隆』
・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『建長寺開山大覚禅師』
○ちなみに、日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する蘭渓道隆は、次の通り。
蘭渓道隆
蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧。諡は大覚禅師。俗姓は冉、名は莒章。法諱は道隆。号は蘭渓。涪州涪陵県蘭渓邑(現在の重慶市涪陵区藺市鎮)の出身。大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。
○中国の検索エンジン、百度百科が案内する蘭渓道隆は、次の通り。
冉道隆
南宋僧人
道隆(1213-1278年),俗姓冉,号兰溪,出生于四川涪州(今重庆市涪陵区)。少年出家,后赴浙江学禅。南宋淳祐六年(1246年)率中国第一个禅宗代表团东渡日本传法。在日政大臣北条时赖的支持下,创建了建长寺,将宋代禅寺建筑传入日本,并著法语规则,规范日本禅林,为日禅的发展起了重大作用。中日两国禅宗弟子联合收录了道隆平日的传法语录——《大觉禅师语录》3卷。
道隆是涪州郡守冉王琐的第三子,他的母亲是一个虔诚的佛教徒。在母亲的影响下,道隆自幼与青灯古佛为伴,潜心修禅。幼年时,其母常带他至点易洞参拜。南宋宝庆元年(1225年),冉王琐为抗击金兵入侵,战死沙场(1225年)。父亲的去世,让年幼的道隆明白生死无常,遂看破红尘。宝庆二年(1226年),道隆在母亲护送下,入成都大慈寺落发为僧,师从良范潼关禅师,法名“道隆”。
在大慈寺学有所成后,道隆出蜀东游,赴浙江学禅,先后师从无准师范、痴绝道冲、北碉居简等著名禅师,然机缘不足,未能悟道。后来道隆在姑苏求学于无明慧性禅师,慧性禅师以“牛过窗棂”这一禅宗典故加以点拨,道隆当即大彻大悟,领悟佛法妙门。后承嗣慧性衣钵,成为一名真正的禅师,挂锡于明州(今浙江省宁波市)天童山景德寺。(中略)
南宋淳祐九年(1249年,日本建长元年),在北条时赖的支持下,道隆开始主持修建日本第一所具有南宋禅宗寺院风格的寺院,以天皇年号命名为建长寺,历时5年,于建长五年(1253年)建成, [6]开创日本佛教史上最初的禅宗道场。道隆任开山住持,作建长寺钟铭,署名“建长禅寺住持宋沙门道隆”。天皇御敕此寺“大建长兴国禅寺”匾额,日本禅寺之名由此而始。
○蘭渓道隆は、日本では超有名人である。その蘭渓道隆が拠った寺が成都の大慈寺だと言う。ここで蘭渓道隆は修業し、禅僧となった。それが遥々、日本の鎌倉まで訪れていることに、驚く。
○意外と、日本人はそういうことを知らない。知ってはいても、まるで実感が無い。しみじみ、蘭渓道隆がどういう人物であったか。気になる。そういうことを感じさせてくれる寺が成都の大慈寺なのである。
































