古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2025年7月16日、四川省成都を訪れた。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。四川省や成都について、人それぞれの思いがあるに違いない。そういう意味では、当古代文化研究所にとっては、成都は杜甫の成都なのである。

○最初に成都を訪問した際にも、まず杜甫草堂を訪れている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『杜甫草堂』

  杜甫草堂 | 古代文化研究所:第2室

○その冒頭にも、次のように書いている。

  ・成都の杜甫草堂は、成都を代表する観光地の一つである。2015年5月23日、

   成都での最初の訪問先に選んだのは、当然、杜甫草堂であった。

○そして、その最後に、こう書いている。

  ・杜甫が成都に滞在したのは、759年から765年のことに過ぎない。杜甫48歳

   から54歳の時期になる。杜甫の晩年、もっとも安息した時期がこの成都の杜甫草

   堂での生活だったと言われる。

○テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」では、成都での杜甫の作品として、

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『杜甫:卜居』

  杜甫:卜居 | 古代文化研究所:第2室

から、

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『絶句』

  杜甫:絶句 | 古代文化研究所:第2室

まで、30個もの、杜甫作品を訳している。

○つまり、当古代文化研究所にとって、成都は杜甫の町なのである。また、杜甫の故地は河南省郑州市巩义市站街镇南瑶湾村になる。2017年3月に、当古代文化研究所では、杜甫に敬意を表して、訪れている。

  ・テーマ「杜甫故里」:ブログ『杜甫故里案内』

  杜甫故里案内 | 古代文化研究所:第2室

○その杜甫の佳作が成都ではたくさん作られている。そういう杜甫の成都での自宅が成都の杜甫草堂なのである。杜甫はまさに流浪の民である。そういう苦境から、あの名作が生まれている。芭蕉が何故、あんなにも杜甫に憧れたのか。判るような気がする。

○そういう思いで、成都の杜甫草堂を訪れた。今回が四回目の杜甫草堂訪問である。そういう意味では、成都の杜甫草堂は、当古代文化研究所にとっては、すっかり、馴染みの土地となっている。成都の町の成長は著しい。現在は、地鉄13号線に、杜甫草堂站まで出来ている。

○2025年7月16日、ホテルから地下鉄に乗り、杜甫草堂站まで行った。そういう意味では成都は人口2153.5万人の大都会なのである。杜甫の自宅は、その成都の郊外に存在する。

 

○2025年7月16日、四川省成都を訪れた。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。これまで、三回も成都を訪れていると言うのに、ブログを確認すると、四川省や成都について、何も書いていないことに気付いた。

○今さら、四川省や成都でも無い気もするけれども、時には、振り返ることも大事である。そう思って、今回はブログ『成都』とすることとした。まずは、日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する成都から。

      成都市

成都市(せいと-し/チェンドゥ-し、簡体字中国語: 成都市、拼音: Chéngdū、英語: Chengdu)は、中華人民共和国四川省の省都。副省級市かつ超大都市に指定されている。略称は「蓉」。国家中心都市中国語版)の一つとして、中国西部、四川盆地西部、青藏高原東縁に位置する。2023年時点で、12の市轄区、3つの県、5つの県級市を管轄し、総面積14,335平方キロメートル、常住人口2,140.3万人を有する。

3500年にわたる都市建設の歴史と、2500年間にわたりその名称が変わらなかったという稀有な歴史的特徴を持つ。秦が蜀を滅ぼして以降、重要な都市として発展し、現在では国家のハイテク産業、商業、物流、交通の中心である。2023年には、第31回夏季ユニバーシアードが開催され、GDPは2兆2074.7億元に達した。古代蜀文明の重要な発祥地としても知られる。

成都平原は、広大で肥沃な土地として古くから「天府の国」と称されている。中唐時代には、優れた蜀錦の産地として天下第二の評価を受け、「錦城」の別名を持つようになった。また、芙蓉(古くは芙蕖を指す)が市花であることから、「蓉城」とも呼ばれるようになった。

  成都市 - Wikipedia

○別に、インターネット検索していたら、次のページがヒットした。

      成都

      古代から続く蜀漢の都と茶文化の地

成都は中国四川省の省都であり、成都平原の中心に位置する大都市である。古代の蜀(古蜀)文化に始まり、秦の入蜀、漢代の益州治所、三国期の蜀漢の都を経て、唐宋期の商業・文化都市として繁栄した。近世には明末清初の動乱を受けつつも再建され、近代以降は西南の政治・経済・交通・学術の要衝として発展を遂げた。温潤な気候と都江堰に代表される灌漑体系が都市の持続性を支え、茶・塩・絹・印刷・金融など多彩な都市機能を形成してきた点に特色がある。

【名称と都市形成】

地名「成都」は「成して都と為す」の意に由来するとされ、秦が蜀を併合した後、県・郡治として整備が進んだ。街区は城郭を基礎に南北軸・東西軸を通し、後世に「少城」などの城郭体系が付加された。交易・手工業・官衙が階層的に配置され、城外には水利と結びつく市町や作坊が展開した。

【古代から中世の歴史】

先史の古蜀文化(三星堆・金沙遺跡に代表)に続き、紀元前316年に秦が入蜀し制度化が進む。前漢には益州刺史部の中心として発達し、蜀錦(錦織)や塩・鉄・漆器が著名であった。唐代には書籍流通と木版印刷が盛んとなり、西南交易やチベット世界との交流拠点としての性格を強めた。

【三国時代と蜀漢】

成都は劉備が入城して蜀漢の都城となり、諸葛亮の政治・軍事運営の舞台となった。益州の物資動員、屯田や水利整備、絹・塩の専売などが国家財政を支え、蜀漢の政権基盤を形成した。蜀の対外戦略は荊益と西方の地理的条件に規定され、都城としての都市機能と後背地の生産力が密接に結びついた。関連項目として、劉備、曹操、孫権、赤壁の戦い、後漢の滅亡、東南の都城建業・建康が挙げられる。

【宗教・文化・建築景観】

成都には武侯祠(蜀漢関連の祠廟)、杜甫草堂(杜甫旧居跡)、大慈寺(仏教)、青羊宮(道教)などが並立し、歴史層の厚みを示す。錦江沿いには伝統街区の改修が進み、錦里や寛窄巷子などで手工芸・飲食・演芸が融合する。蜀錦・蜀繡、川劇の変面、茶館文化は都市の記憶を担う。

  成都|古代から続く蜀漢の都と茶文化の地 – Hitopedia

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する成都は、次の通り。

      成都市[chéng dū shì]

      四川省辖地级市、省会

成都市(Chengdu City),简称“蓉”,别称蓉城锦城四川省辖地级市、省会、副省级市超大城市成都都市圈核心城市,地处中国西南地区四川盆地西部、青藏高原东缘,成都平原腹心,属亚热带季风气候,热量充足,雨量丰富,四季分明,总面积14335平方千米,通用语言为西南官话、普通话。截至2025年末,成都市常住人口2153.5万人,比2024年末增加6.1万人。

成都市是首批国家历史文化名城,古蜀文明的重要发源地,早在距今约4500年至3700年以前,成都平原已出现被后世称为“宝墩文化”的一系列古蜀先民聚落中心。前316年,秦灭蜀始设蜀郡并成都县,为蜀郡治所。前311年修筑大城和少城,被后世公认为是有文献记载的成都建城标志。此后,蜀郡守李冰主持修建都江堰水利工程,使成都平原成为 “天府之国” ,成都成为西南地区的经济、政治、文化中心。自秦建成都城2300多年以来,成都城址未迁,城名未改。民国十年(1921年),始设市政筹备处,民国十七年(1928年),成都正式设市。

成都市是国务院批复确定的中国西部地区重要的中心城市,国际性综合交通枢纽城市,西部经济中心、西部科技创新中心、西部对外交往中心、全国先进制造业基地,还是中国人民解放军西部战区机关驻地,全国法治政府建设示范市。成都市主要产业有电子信息、装备制造等。

2025年,成都市实现地区生产总值24763.6亿元,比上年增长5.8%。2026年3月16日,成都市入选创建国家新型工业化示范区首批城市名单。

  成都市_百度百科

 

○2025年7月16日、四川省成都を訪れた。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。これまで、三回も成都を訪れていると言うのに、ブログを確認すると、四川省や成都について、何も書いていないことに気付いた。

○今さら、四川省でも無い気もするけれども、時には、振り返ることも大事である。そう思って、今回はブログ『四川省』とすることとした。まずは、日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する四川省から。

      四川省

四川省(しせんしょう、スーチュアンしょう、中国語: 四川省、拼音: Sìchuān Shěng、英語: Sichuan)は、中華人民共和国西南部に位置する。略称はあるいは。省都は成都。西北部はチベットの伝統的な地方区分でいうアムド地方の東南部、西部はカムの東部にあたる。

四川省は北西は青海省、北は甘粛省及び陝西省、東は重慶、南は貴州省及び雲南省、西はチベット自治区と接する。

天険の要害に守られた急峻な山岳地帯に位置すること、東部に四川盆地が広がり内陸部にもかかわらず温暖で肥沃な米作地であることから「天府之国」と称される。また、海には面していないが中国最大級の湖瀘沽湖を擁し、水産物、特にの一大産地でもある。かつての巴蜀のうちの巴国にあたる重慶は四川省に属していたが、1997年重慶直轄市として分離した。省北部の岷山山脈や、省西部、南部にはチベット族イ族羌族など少数民族が多い

近年広漢市三星堆遺跡が発掘され、3,000年前に古蜀の地に存在した仮面王国が明らかになった。四川は古代の巴蜀中国語版(はしょく、「英語版)」は現在の重慶一帯、「」は現在の成都一帯)の地である。

  四川省 - Wikipedia

○別に、コトバンクでは、次のように案内する。

      巴蜀 (はしょく) Bà shǔ

中国,四川省をさしていう語。巴とは現在の重慶を中心として,嘉陵江流域を含む四川省東部をさし,蜀とは成都盆地を主地域とし,岷(みん)江流域に広がる西部をさす。元来はいわゆる西南夷系統に属する異民族の住地であったが,その中で巴と蜀はさらに民族・文化系統を異にした。秦がこの地を領有し,漢の武帝が巴・蜀と漢中および南中雲南省)を含めて益州としてより,一地域として扱われるようになった。

  巴蜀(ハショク)とは? 意味や使い方 - コトバンク

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する四川省は、次の通り。

      四川省

      中国西南地区省级行政区

四川省(Sichuan Province),简称川或蜀,中华人民共和国省级行政区、道教发源地,省会成都市。位于中国西南内陆,地处长江上游,素有“天府之国”的美誉。与重庆贵州云南西藏青海甘肃陕西7省(自治区、直辖市)接壤,总面积48.6万平方千米。截至2024年3月,四川省辖21个地级行政区,183个县(市、区),截至2025年末,四川省常住人口8318万。四川境内汉语方言,主要包括官话方言、客家方言、湘方言,四川省境内通行语为融合后的四川话

四川省地势西高东低,由西北向东南倾斜,以山地为主要特色,地貌按平原、台地、丘陵、山地分为4类。属于中亚热带湿润气候区,川西南山地属于亚热带半湿润气候区,川西北高山属于高原高寒气候区。

200多万年前旧石器时代,四川便有了人类活动。四川之名诞生于北宋时期即1001年的川峡四路,1935年6月,四川全省军政统一。1952年9月,撤销川东、川西、川南、川北行署区,恢复四川省建制,在成都成立四川省人民政府。1954年9月,重庆市并入四川省建制,1997年3月撤出。至此川渝分治,形成今四川省行政区域。

四川省是国务院批复确定的中国发展的战略腹地,是支撑新时代西部大开发长江经济带发展等国家战略实施的重要地区。截至2023年4月,四川省全国重点文物保护单位262处,位居全国第六。有国家历史文化名城8个。国家级非遗代表性项目153项。

  四川省_百度百科

○奇しくも、今回、ブログ「旅游巴蜀」旅と題して、

  西安⇒勉県⇒漢中⇒巴中⇒閬中⇒南充⇒成都

とやって来た。まさに四川省の旅そのものである。

○以前、「湖北省湖南省周遊」旅をした際に気付いて、驚いたことがある。それは漢中が湖北省でもなく、四川省でもなく、陝西省だと言うことだった。当古代文化研究所は、これまで、漢中は漢水の上流だから、湖北省とばかり思っていた。

○それに、漢中勉県には諸葛孔明の勉县武侯祠が存在する。それなら、どう考えても、漢中は四川省のものだろう。それが陝西省だと言うのだから、驚く。それで、どうしても漢中へ出掛けたくなった。ついでに、巴中まで行けたら最高である。それが今回の「旅游巴蜀」旅をする発端だった。

○今回、漢中で、沈佺期に『夜宿七盤嶺』詩があることを知った。次のブログに書いている。

  ・テーマ「旅游巴蜀」:ブログ『沈佺期:夜宿七盤嶺』

  沈佺期:夜宿七盤嶺 | 古代文化研究所

○その沈佺期『夜宿七盤嶺』詩に、次の句がある。

  芳春平仲綠     芳春なれば、平仲は綠にして、

  清夜子規啼     清夜なれば、子規の啼く。

○当古代文化研究所は、この「芳春平仲綠 清夜子規啼」の文言が甚く気に入っている。四川省と言えば、やはりこういうところだろう。春には公孫樹の樹が青々と芽吹き、夏には杜鵑がけたたましく鳴く。そういうおどろおどろしいところがまさしく、四川省なのである。

○参考までに。「古今和歌集」で最も詠われている鳥はホトトギスだと言う。ホトトギスが鳴かないと夏は来ない。少なくとも、「古今和歌集」は、そういうふうにホトトギスを表現している。「古今和歌集」では無いけれども、当古代文化研究所が大好きなのは、紫式部の次の和歌である。

  ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし

○蛇足ながら、以前、次のブログを書いている。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:

   ブログ『ほととぎす声待つほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし』

  ほととぎす声待つほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし | 古代文化研究所

○蛇足の蛇足。山口素堂に、次の句がある。

  目には青葉山ほととぎす初鰹

○今日は2026年6月1日である。旧暦では4月16日で、暦の上では、まだ初夏だと言う。ここのところ、毎日、ホトトギスが「テッペンハゲタカ、テッペンハゲタカ」とけたたましく鳴いている。南九州もたいへん暑いが、四川省はもっと暑いに違いない。

○まだ成都の写真が無い。したがって、巴中、閬中、南充の写真を載せておく。

○2025年7月16日、四川省成都を訪れた。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。最初の2015年5月の時は、春熙路の成都正熙国际酒店に泊まっている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『成都正熙国际酒店』

  成都正熙国际酒店 | 古代文化研究所:第2室

○春熙路は、成都一番の繁華街である。成都の町がテレビ等で紹介される時には、春熙路が映し出されることが多い。以前は、春熙路には伊勢丹成都店があったが、とうとう無くなってしまった。何とも寂しい気がする。

○もっとも、当古代文化研究所が伊勢丹成都店を利用したのは、専ら、トンカツの和幸を利用するためであった。毎日、中華料理ばかり食べていると、妙に、和食が食べたくなる。純粋な和食では無いけれども、伊勢丹成都店の和幸のトンカツは美味しかった。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『和幸:伊勢丹成都店』

  和幸:伊勢丹成都店 | 古代文化研究所:第2室

○その後、2018年5月に、再び成都を訪れた際に泊まったのが成都瑞峰公寓酒店だった。当時は携程でホテルを取っていたが、そのホテル代の安さに、驚いた。たぶん、250元くらいで泊まれたのではないか。

○ブログで確認すると、次のように書いている。

  ・テーマ「成都と眉山」:ブログ『成都瑞峰公寓酒店』

  成都瑞峰公寓酒店 | 古代文化研究所:第2室

○したがって、2018年10月に三度目の成都訪問の際にも、当然、このホテルを利用した。何しろ、『成都瑞峰公寓酒店』が存在するのは、成都東站のすぐ前である。雨が降っていたところで、ほとんど濡れることなく、ホテルまで行くことが出来る。

○今回、「旅游巴蜀」旅の最後が成都だった。ここに三泊してゆっくり成都を堪能しようと言うわけである。それで迷うことなくホテルは『成都瑞峰公寓酒店』にした。

○『成都瑞峰公寓酒店』もしっかり成長しているようで、以前と比べると、部屋は狭くなっていたが、設備が格段に充実していた。日本のビジネスホテルをワンランクアップしたような感じの部屋になっていた。それでいて、三泊で12000円くらい。一泊なら4000円である。

○朝食は付いていないが、一階にレストランがあって、20元(400円)で朝食が食べれた。何とも安い。何度、成都を訪れても、たぶん、このホテルに泊まる。安いし、交通の便が最高である。こんなホテルは、まず無い。

 

○2025年7月16日朝は、南充の北湖宾馆で目覚めた。7月8日から始まった「旅游巴蜀」旅も9日目で、いよいよ終盤である。最後に訪れるのが成都である。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。

○日本から四川省は何とも遠い。2015年5月に最初に成都を訪れた時には、もう二度と四川省を訪れることは無いだろうと思っていた。ところが、今回の「旅游巴蜀」旅が四回目の成都訪問である。何とも、有難い話である。

○今日は、2026年5月30日である。「旅游巴蜀」旅をしたのは、2025年7月8日から19日までで、それをブログに書き始めたのは、2025年9月25日の、次のブログからだった。

  テーマ「旅游巴蜀」:ブログ『旅游巴蜀:旅立ち』

  旅游巴蜀:旅立ち | 古代文化研究所

○したがって、もう八か月も書き続けていることになる。すでにブログ数も167個を数える。何とも長いブログだが、それだけ、「旅游巴蜀」旅そのものが充実した旅であったことを物語っている。「旅游巴蜀」旅の企画自体も、長いこと掘り下げ、希求したものであった。

○2025年7月16日朝、ホテルでまず朝食を済ませた。前日は、閬中から南充北站まで、新幹線でやって来た。今日は、南充站から成都東站まで、C761次電車で行く。南充から成都までは、およそ230公里、1時間45分で行く。

○北湖宾馆ホテル前の北湖公园站バス停から公交40路のバスに乗れば、三つ目のバス停が南充站駅前の铁欣路站バス停である。朝8時前だったが、バスは空いていた。今日も上天気である。

○C761次電車は广安南站 から成都东站まで行く電車で、近距離を走る電車だから、 途中、停車するのも、岳池・ 南充・ 遂宁の三駅に過ぎない。したがって、電車も空いていた。

○ちなみに、百度百科が案内する南充站は、次の通り。

      南充站

      中国四川省南充市境内铁路车站

南充站(Nanchong Railway Station)位于中国四川省南充市,是中国铁路成都局集团有限公司遂宁车务段管辖的一等客运站。1997年正式投入运营。车站位于四川省南充市顺庆区铁欣路1号,1994年开工,1997年建成,车站规模为4台11线,是达成铁路兰渝铁路的交汇车站。距离成都东站213公里,距离成都站215公里,距离达州站159公里。可乘坐31路、29路等公交车前往。是南充市铁路枢纽。2024年共计发送旅客440万人次,日均12030人。

1995年,达成铁路铺轨至南充,1997年全线建成,1998年1月1日正式通车。车站现每日开行动车组列车12对,其他客运列车26对,2024年春运期间日运行旅客列车达82列次。车站设有“候车卧铺体验馆”。2026年2月6日,车站联合多部门成功处置一起旅客突发疾病紧急事件。

  南充站_百度百科

○9時15分に南充站を出発して、成都東站に11時にはもう着いていた。成都東站駅前に三泊する予定である。成都東站がもう四回目だから、何とも懐かしい場所となっている。歩いて、そのままホテルへ向かった。