古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○ブログ『薩摩国一之宮(枚聞神社)参拝記』から『ひらききのかみやまが開聞岳であること』、『ひらききのみみなしやま』、『たまだすきうねびのやま』、『大和三山』、『邪馬台国の風景』と、どんどんあらぬ方向に向かっている。

○しかし、開聞岳に登り、薩摩国一之宮である枚聞神社に参拝した以上、こういう話をしないわけにもいかない。そのために、わざわざ三泊四日で「南薩摩周遊旅」を挙行したのだから。今回の「南薩摩周遊旅」は、そういう意味で、何とも充実したものとなった。

○最後に。ブログ『大和三山は何処から眺めるのが正しい?』を書いて、この話を終了したい。山を眺めるのに、正しいも何も無い気もするが、意外と、そうではない。少なくとも、大和三山を眺めるには、正式の眺め方が存在する。

○そのことに気付いたのは、池田源太著「大和三山」(学生社:1972年刊)を読んでいた時だった。池田源太の「大和三山」は名著である。1972年刊だと言うのに、2026年の現在でも、大和三山を案内する最良の本である。

○その池田源太の「大和三山」の表紙カバーの写真が、何とも素晴らしい。桃の花の写真の向こうに、大和三山が写っている。表紙カバー裏には、次の説明があった。

  奈良・国鉄桜井線三輪駅付近の山の辺の道の桃畠よりのぞむ大和三山。

  左端に香具山、中央に畝傍山、右端に耳成山が見える。

○これまで、あらゆる方向から大和三山を眺めている。何処から眺めても大和三山は優雅で美しい。特に当古代文化研究所が気に入っているのは、「山の辺の道」の途中にある大美和展望台から眺める大和三山である。

○これまで、大美和展望台から何度も大和三山を眺めて来ている。その中の一つが次のブログになる。

  ・テーマ「山の辺の道」:ブログ『大美和展望台・久延彦神社・大直禰子神社』

  大美和展望台・久延彦神社・大直禰子神社 | 古代文化研究所

○また、2010年4月に、奈良県大和郡山市美濃庄町のビジネスホテル「大御門」に泊まったことがある。その時、ホテルの方に、三輪山の麓、倭の笠縫邑に鎮座坐す檜原神社近くから三輪山が綺麗に見える場所があると言う話を聞いた。

○何でも朝日の時が最高であるとも。折角、大和にいらっしゃたのなら、見る価値があるとおっしゃる。それなら是非とも出掛けなくてはならないと思い、宿を朝5時前、暗いうちに出立し、檜原神社に向かった。

○ホテルの方がおっしゃった通り、檜原神社から真っ直ぐ下って行ったところに、井寺池と言う上下二つの池が存在し、すでに数人の方がカメラを構えて待機なさっていた。余程、有名で、素晴らしい景色なのであろう。大いに期待した。

○その時の景色は次のブログに掲載している。それはそれは神々しい日の出だった。井寺池では、この時期、太陽は三輪山から昇るのである。朝の陽光は井寺池に照り返り、堤の桜も満開で、えも言われぬ見事な景色となっていた。

  ・テーマ「大和は国のまほろば」:ブログ『味酒 三輪山』

  味酒 三輪山 | 古代文化研究所

○その時、井寺池の脇に、見事な桃畠が存在した。入り口に「立ち入らないでください。大いに迷惑しています。」との看板が設置してあったので、行くことを諦めた。おそらく、池田源太の「大和三山」の表紙カバーの写真は、この辺りからのものと思われた。

○閑話休題、『大和三山は何処から眺めるのが正しい?』に戻ろう。いろいろ考えると、大和三山を正式に眺める場所は決まっている。それは三輪山山頂とするしかない。

○もちろん、大和三山を眺める者も誰でも良いわけではなく、決まっている。それは三輪山の御祭神、大物主大神だと言うことになる。その風景は、まさに大美和展望台や井寺池から眺める大和三山の風景に近いものだと言えよう。

○もともと、国見とは、そういうものである。その国を領知する者が見るのが国見なのである。そういう意味で、大和国一宮である大神神社の御祭神、大物主大神が三輪山山頂から大和三山を眺めるのが大和国の正式の国見だと言うことになる。

○これだけでも十分恐ろしい話だが、この話には、更に続きがある。それが邪馬台国の国見になる。邪馬台国に存在するのが次の邪馬台国三山になる。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

○それを領知するのは、もちろん、邪馬台国の女王、卑弥呼になる。それが邪馬台国の国見である。そう考えると、卑弥呼の現住所が問題となる。話が長くなるので、結論だけを述べると、卑弥呼の現住所は、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島字長濱になる。

○つまり、邪馬台国では、硫黄島の硫黄岳(704m)の山頂から、邪馬台国の女王、卑弥呼が邪馬台国三山を国見していることになる。それは、全く大和国の三輪山と大和三山との関係と相似形なのである。

○これが大和国に大和三山をわざわざ勧請した理由であり、根拠となる。つまり、大和国三輪山に斎き祀られている大物主大神の正体こそが卑弥呼なのである。ただ、それは勧請された神であって、卑弥呼の現住所は、あくまで、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島字長濱になる。

○真面目に日向国を研究すると、そういうことが判る。なかなか日向国は面白い。是非、お出掛けを。今回、薩摩国一之宮である枚聞神社に参拝して、そういうことを思った。蛇足ながら、開聞岳や枚聞神社が鎮座まします開聞町からは、きれいに硫黄島が遠望される。

 

○2025年10月4日から8日に掛けて、南薩摩周遊旅をして来た。今日は、もう2月17日だと言うのに、まだ、その話をブログに書いている。なかなかブログが先に進まなくて困っている。こういう話はタイムリーなのが一番なのに。

○開聞岳に登り、枚聞神社へ参詣して、これまで、ブログ『開聞岳に登る』、『薩摩国一之宮(枚聞神社)参拝記』、『ひらききのかみやまが開聞岳であること』、『ひらききのみみなしやま』、『たまだすきうねびのやま』、『大和三山』と、続けて来た。

○こうなると、次はブログ『邪馬台国の風景』を案内するしかない。三世紀の日本を1986字で案内するのが中国の正史、「三国志」である。実際、原文がどんなものかは、次のブログに書いている。

  テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『史実としての邪馬台国』

  史実としての邪馬台国 | 古代文化研究所

○僅か1986字。しかし、それを読み解くことは至難の業である。その証拠に、これまで「三国志」を読んで、倭人条1986字を解読した人は、当古代文化研究所を除いて、誰も居ない。○何故、そんなことが判るかと言うと、「三国志」倭人条1986字の主題を、誰も明らかにしていないからである。書物を読んで、その主題すら、明らかに出来ないようでは、到底、その書物を読んだとは言えない。

○、「三国志」倭人条1986字を何度も読み続けると、おのずから、その主題が見えて来る。「三国志」倭人条1986字の主題は、倭国三十国の案内にある。そして、それは次のように案内される。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○誰が、何時、何処で読んでも、そうなる。そうならないのは、「三国志」倭人条1986字が読めていない証拠である。もっとも、「三国志」をものした陳壽は、「三国志」倭人条1986字が読みたければ、会稽か寧波で読めとも諭す。それが理解できないようでは、到底、「三国志」倭人条1986字は、読めない。

○当古代文化研究所では、「三国志」倭人条1986字を読むために、わざわざ、中国浙江省の会稽に4回、寧波には8回、訪れている。そういうことを、「三国志」倭人条1986字が教えてくれる。

○前回のブログ『大和三山』で、奈良県橿原市に存在する大和三山、

  畝傍山(うねびやま、199m)

  香具山(かぐやま、152m)

  耳成山(みみなしやま、140m)

はレプリカだと断じた。加えて、本物の大和三山が、

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

だと案内した。

○しかし、大和三山が二つも存在しては、何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所では、奈良県橿原市に存在する大和三山を、そのまま大和三山とし、本物の大和三山の方を邪馬台国三山と命名して、区別している。

○もちろん、そこが「三国志」倭人条1986字が案内する邪馬台国の地だからである。そこに屹立する山が邪馬台国三山、

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

だと言うことになる。

○今回、ブログの表題を『邪馬台国の風景』としたのは、そういうことである。邪馬台国を代表する風景こそが邪馬台国三山なのである。つまり、邪馬台国を語るのに、邪馬台国三山は避けて通れない。それが邪馬台国三山の存在なのである。

○大和国へ移住した古代人がその地名を大和国とし、そこに、わざわざ、大和三山を勧請した。それが大和国の大和三山なのである。ある意味、大和国唯一の大和地名を冠した地名である。それが大和三山なのである。意外と、そういうことを誰も御存じない。

○判るように、「三国志」を読むと、邪馬台国が南九州に存在したことが判る。そして、その邪馬台国に屹立する山々が邪馬台国三山なのである。つまり、邪馬台国を象徴する風景こそが邪馬台国三山であることが判る。

○そのことは、また、枕詞が教えてくれる。大和に掛かる枕詞をご存じだろうか。何と、大和に掛かる枕詞は三つも存在する。そんな地名は大和以外にはない。それ程、日本で大和地名は特別な存在なのである。

○「三国志」が案内する邪馬台国が存在するところは、間違いなく薩摩半島になる。そしてそこに存在する山が、次の邪馬台国三山になる。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

○もちろん、これが大和三山の原型である。また、大和地名もここから発生している。そのことは、大和に掛かる枕詞を理解することで明らかとなる。大和に掛かる枕詞は三つもある。

  そらみつ

  しきしまの

  あきつしま

○このうち、最も古いのが枕詞「そらみつ」であって、次に「しきしまの」や「あきつしま」が続く。そういうことは誰も御存じ無い。枕詞「そらみつ」が古い枕詞の形態であることは理解できても。

○日向国を研究すると、その枕詞「そらみつ」が掛かるのは、もともと「うねびやま=霧島山」だったことが判る。ただ、日向国で山と言えば誰が何と言おうと、「うねびやま=霧島山」なのである。だから、天孫降臨の尊、瓊瓊杵尊も「うねびやま=霧島山」に天下っている。

○それが枕詞「天満(そらみつ)山処(やまと)」である。つまり、枕詞「そらみつ」が案内するのは、天孫降臨神話に他ならない。そういうことは、余程、日向国を研究しないと理解されない。そういう意味で、当古代文化研究所では、毎年、何回も、霧島山に登っている。

○蛇足ながら、枕詞「しきしまの」や「あきつしま」も、誰も理解しない。もちろん、そういう研究も当古代文化研究所では、すでに済ませている。枕詞「しきしまの」や「あきつしま」の実態は九州島になる。残念ながら、ここでは説明するスペースがない。

 

○2025年10月4日から8日に掛けて、南薩摩周遊旅をして来た。今日は、もう2月17日だと言うのに、まだ、その話をブログに書いている。なかなかブログが先に進まなくて困っている。こういう話はタイムリーなのが一番なのに。

○開聞岳に登り、枚聞神社へ参詣して、これまで、ブログ『開聞岳に登る』、『薩摩国一之宮(枚聞神社)参拝記』、『ひらききのかみやまが開聞岳であること』、『ひらききのみみなしやま』、『たまだすきうねびのやま』と、続けて来た。

○こうなると、次はブログ『大和三山』しかない。普通、奈良県橿原市に存在する次の山々を、私たちは『大和三山』と呼んでいる。

  畝傍山(うねびやま、199m)

  香具山(かぐやま、152m)

  耳成山(みみなしやま、140m)

○『大和三山』の名そのものは、有名である。しかし、思いのほか、その実態を知る人は少ない気がする。名前だけは有名だが、大和三山へ出掛けたと言う人も、あまり聞かない。どうしてだろうか。

○当古代文化研究所ではこれまで、奈良県橿原市を訪れ、八回、実際に大和三山に登っている。

  第一回  1992年3月28日
  第二回  2003年8月11日
  第三回  2005年5月10日
  第四回  2009年3月29日
  第五回  2010年4月3日
  第六回  2011年5月3日

  第七回  2017年9月5日

  第八回  2022年12月19日

○何故、当古代文化研究所がこれ程執念く、大和三山に登り続けるかと言うと、それは「万葉集」を読むためだと言うしかない。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。

○つまり、大和三山を最も記録している書物は何かと言うと、それが「万葉集」なのである。したがって、大和三山理解には、「万葉集」が必要不可欠だと言うことになる。ところが、その「万葉集」を読むと、「万葉集」が記録する大和三山には問題がいくらでも出現して、読者を混乱させる。

○それは万葉学者であっても同様である。ちなみに、当古代文化研究所が確認した万葉学者とその著作は、次のようなものである。

  山田孝雄「万葉集講義」      武田祐吉「万葉集評釈」

  鴻巣盛廣「万葉集全釈」      沢潟久孝「万葉集注釈」

  土屋文明「万葉集私注」      伊藤 博「万葉集釈注」

○これらの万葉学者は、奈良県橿原市に存在する大和三山で万葉和歌を説明しようとして、悪戦苦闘している。しかし、いくら奮闘努力したところで、それは無理と言うものである。なぜなら、「万葉集」が記録する大和三山の中には、奈良県橿原市に存在する大和三山で詠われた歌では無いものが含まれているからである。

○そのことに、最初に気付いたのは、1990年ころで、それが確信に変わったのが1992年だった。それで、初めて大和三山へ出掛け、実際、大和三山へ登って来た。当時、当古代文化研究所は42歳だったことを記憶している。

○もちろん、大和三山を訪れた先人が居ることも忘れてはならない。その一人が本居宣長である。本居宣長の「菅笠日記」には、実際、宣長が香具山に登ったことも記録されている。当時、宣長は43歳だった。

○同じように、大和三山を訪れた先人として、池田源太が居る。池田源太は1972年に、学生社から「大和三山」を発刊している。たぶん、現在でも、もっとも大和三山を詳しく案内する名著が池田源太の「大和三山」ではないか。

○その池田源太は昭和16年に、旧鴨公村別所に移住している。当時、池田源太は41歳だったと言う。大和三山では、池田源太が嘗て住んでいたという旧鴨公村別所脇を通って、畝傍山から香具山まで歩く。

○そういう先人の足跡を辿ることで、やっと大和三山の正体が見えて来る。それを教えてくれたのが「万葉集」であることは言うまでも無い。そして、偶々、当古代文化研究所が存在するところが日向国であったことも幸いした。

○当古代文化研究所では、毎日、霧島山を拝み、桜島山の噴煙を望見しながら、生活している。つまり、当古代文化研究所から、北西23㎞に霧島山は存在し、南西46㎞のところに桜島山が遠望される。さらに桜島山から40㎞先には開聞岳が屹立する。さすがに開聞岳は見えない。

○もともと大和三山とは、大和国を代表する、そういう山であった。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

標高が200mにも満たない、奈良県橿原市に存在する大和三山は、あれはレプリカに過ぎない。そういうことを、誰も御存じない。当古代文化研究所では、すでに、1992年に、そのことを確認済みである。

○本当は、「万葉集」は、そういうふうに読むものなのである。文献批判の無い読書は空しい。古典を読むのは、存外、難しいことである。

○最後に。「万葉集」巻一に、天智天皇の『大和三山の歌』がある。

     中大兄の三山の歌一首          中大兄三山歌一首
   香具山は  畝傍雄々しと        高山波 雲根火雄男志等
   耳成と   相争ひき          耳梨与 相諍競伎
   神代より  かくにあるらし       神代従  如此尓有良之
   いにしへも しかにあれこそ       古昔母 然尓有許曾
   うつせみも つまを 争ふらしき     虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
                       (「万葉集」巻一   一三)

○その天智天皇を朗々と詠い挙げ、追憶しているのが、「万葉集」巻一、29の、柿本人麻呂の、次の和歌になる。

      近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

  玉だすき畝傍の山の  橿原のひじりの御代ゆ  生れましし神のことごと

  栂の木のいや継ぎ継ぎに  天の下知らしめししを  そらにみつ大和を置きて

  あをによし奈良山を越え  いかさまに思ほしめせか  天離る鄙にはあれど

  石走る近江の国の  楽浪の大津の宮に  天の下知らしめしけむ

  天皇の神の命の  大宮はここと聞けども  大殿はここと言へども

  春草の茂く生ひたる  霞立つ春日の霧れる  ももしきの 大宮ところ

  見れば悲しも

○「万葉集」を読むと言うことは、そういうことである。古典を読むのは、思いの他、難しい。

○前々回、ブログ『ひらききのかみやまが開聞岳であること』で、開聞岳が耳成山であることを話し、前回、ブログ『ひらききのみみなしやま』で、桜島が香具山である話をした。そうなると、今回は、ブログ『たまだすきうねびのやま』で、霧島山が畝傍山である話をするしかない。

○『たまだすきうねびのやま』と言えば、何と言っても、「万葉集」巻一、29の、柿本人麻呂の、次の和歌だろう。

      近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

  玉だすき畝傍の山の  橿原のひじりの御代ゆ  生れましし神のことごと

  栂の木のいや継ぎ継ぎに  天の下知らしめししを  そらにみつ大和を置きて

  あをによし奈良山を越え  いかさまに思ほしめせか  天離る鄙にはあれど

  石走る近江の国の  楽浪の大津の宮に  天の下知らしめしけむ

  天皇の神の命の  大宮はここと聞けども  大殿はここと言へども

  春草の茂く生ひたる  霞立つ春日の霧れる  ももしきの 大宮ところ

  見れば悲しも

○ここにある、

  玉だすき畝傍の山の橿原のひじり

こそが初代天皇である神武天皇を指す。つまり、橿原宮を造営なさって、日本で初めて都を橿原に御造りになったのが「橿原のひじり」、神武天皇だと言うことになる。

○現在、畝傍山の南東側には、橿原神宮が鎮座まします。その橿原神宮について、ウイキペディアフリー百科事典では、次のように案内する。

      橿原神宮

橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市久米町にある神社。旧社格官幣大社勅祭社。現在は神社本庁別表神社畝傍山の麓にあり、神武天皇畝傍山東北陵の南にある。神武天皇が即位した地であるとされ、また皇居であったという畝傍橿原宮の推定地に創建されている。 面積は約53万平方メートル社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ばれる。

  橿原神宮 - Wikipedia

○もちろん、「玉だすき」は枕詞であって、「畝傍山」や「懸く」に掛かる。これで、ようやく、大和三山が出揃ったことになる。つまり、それは、

  玉だすき畝傍山

  天降り付く天の香具山

  ひらききの耳成山

だと言うことになる。

○この時代、ちゃんとしたものには、必ず、枕詞が冠されていた。「竹取物語」のかぐや姫にしたところで、同様である。ちなみに、かぐや姫は、『なよ竹のかぐや姫』と申し上げる。名付け親は、「三室戸の忌部のあきた」となっている。

○同じように、天孫降臨なさった瓊瓊杵尊の御名は「天津彦彦火瓊瓊杵尊」と申し上げる。何とも長い名前だが、「天津彦」は「天孫」の意であって、美称だろう。ほとんど枕詞に近い。

○その瓊瓊杵尊の妻は木花開耶姫(このはなさくやひめ)と申し上げる。本名は「さくや姫」であって、「このはな(の)」は枕詞だろう。後世、その花が桜だと勘違いしている人が多い。それは歴史を知らない人の意見に過ぎない。本当は、椿が正解である。つまり、木花開耶姫とは、カメリアプリンセスの謂いである。

○これで大和三山が出揃ったことになる。奈良県橿原市に、大和三山が存在する。

  畝傍山(うねびやま、199m)

  香具山(かぐやま、152m)

  耳成山(みみなしやま、140m)

○しかし、よくよく検証すると、大和三山そのものが実は旧日向国のものなのであることが判る。それは次のように案内される。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

○大和国の大和三山は、本物ではない。あれはレプリカに過ぎない。本物の大和三山が標高200mにも満たない小山であるはずが無かろう。大和三山とは、大和国名を冠せられた山なのだから。それは旧日向国の山々になる。

○その証拠に、大和国で、大和三山の名を説明することは誰にもできない。それが旧日向国ではきれいに説明できる。あまつさえ、大和三山には枕詞が存在する。枕詞「天降り付く」は香具山にしか掛からない。つまり、枕詞「天降り付く」が説明できる山こそが、本物の香具山なのである。奈良県橿原市の香具山では、到底、それは説明できない。説明できるのは、桜島山だけである。結果、本物の香具山が桜島山であることが判る。

○同じように、「玉だすき畝傍山」は、うねっていないと畝傍山では無い。ところが奈良県橿原市の畝傍山は、まるでうねっていない。それに対して、霧島山は23個もの山々の集合体だから、恐ろしいほどうねっている。見る場所が少し変わるだけでも、その山容は激変する。

○最後に。大和三山の筆頭に畝傍山が来ることを忘れてはなるまい。大和三山で最も崇高な山は畝傍山なのである。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

それは何故か。単に畝傍山が最高峰だと言うだけではない。実は、畝傍山こそが日本国の始まりだからである。「古事記」や「日本書紀」では、それを天孫降臨と案内する。つまり、天孫降臨の世界山が畝傍山なのである。

○しかし、歴史に疎い人は、「天孫降臨の世界山は畝傍山では無い。高千穂峰だ。」とおっしゃるに違いない。その通りである。天孫降臨の尊、瓊瓊杵尊が降臨なさった山は、間違いなく、高千穂峰である。ただ、高千穂峰は霧島山の一峰に過ぎない。

○当古代文化研究所では、毎年、数回は霧島山や高千穂峰に登っている。それは小学生のころからである。したがって、誰よりも霧島山や高千穂峰には詳しい。高千穂峰に登ると、天孫降臨の尊、瓊瓊杵尊が降臨なさって、ご覧になった風景を、二十一世紀の現在でも見ることができる。是非、お出掛けを。

○掲載した写真は、昨年、2025年12月28日に高千穂峰に登り、写したものである。

○前回のブログ『ひらききのかみやまが開聞岳であること』の最後に、こう書いた。

  ・最後に。『ひらききのかみやまが開聞岳であること』の、「ひらききの」は枕詞に

  なる。もちろん、枕詞「ひらききの」が掛かるのは開聞岳である。ただ、それは

  「かいもんだけ」とは呼ばない。正式名称は「ひらききのみみなしやま」となる。

  詳しくは、次回に触れたい。

○したがって、今回の表題は「ひらききのみみなしやま」になる。、枕詞「ひらききの」が存在すること自体がもう大問題なのである。枕詞をインターネット検索すれば、AIが次のように案内してくれる。

      枕詞

   昔の歌文に見られる修辞法の一。特に和歌などで,特定の語句に冠して,修飾し

  あるいは句調を整える語句をいう。修飾する語と修飾される語との間には一定のき

  まりがあり,個人の創造が許されない点で,序詞と区別される。五音のものが最も

  多いが,三音・四音,また七音のものもある。平安時代より現代に至るまで発語・

  歌枕・諷詞・冠辞・頭辞・かぶり・よそひ・かざし・玉かづら等種々の名称がある。

  枕詞の名称は室町時代頃から見られる。「あしひきの」「あらたまの」「たらちねの」

  など。

○AIもあまり頭が良くない。ウイキペディアフリー百科事典では次のように案内する。

      枕詞

枕言葉(まくらことば)とは、主として和歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添える言葉のこと。序詞とともに『万葉集』の頃から用いられた技法である。

  枕詞 - Wikipedia

○ただ、ウイキペディアフリー百科事典でも誤解がある。それは、

  (枕詞は、)序詞とともに『万葉集』の頃から用いられた技法である。

とあるが、そうではない。万葉時代とは、7世紀前半から759年(天平宝字3年)までの約130年間を言うが、その時代は、もう枕詞の終焉期に過ぎない。

○枕詞を研究すると判るのだが、万葉時代には、枕詞の語源がすでに喪失しつつある時代となっている。枕詞「とりがなく」や「しらぬひ」など、枕詞は万葉時代にはもう完全に混迷を極めている。ただ、その枕詞を何とか記録しているのが「万葉集」だと言うに過ぎない。

○例えば、「天降り付く」と言う枕詞がある。大野晋の岩波古語辞典では次のように案内する。

      天降り付く

  [枕詞]香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。

○いまどき、こんな説明では、小学生だって納得しない。枕詞「天降り付く」が香具山に掛かるには、相応の理由と根拠がある。それを探すのが万葉学者先生の仕事だろう。

○旧日向国では、二十一世紀の現代でも、普通に、枕詞「天降り付く香具山の風景」を見ることができる。枕詞「天降り付く」は香具山にしか掛からない。つまり、香具山は旧日向国のものであることが判る。

○当古代文化研究所が初めて枕詞「天降り付く香具山の風景」を見たのは、2012年12月4日のことである。次のブログに書いている。

  ・テーマ「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『枕詞「天降り付く」の真実』

  枕詞「天降り付く」の真実 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○その後、毎年、枕詞「天降り付く香具山の風景」を見続けている。昨年末には、2025年12月15日に見ている。

  ・テーマ「日向国の万葉学」:ブログ「天降り付く天の香具山の風景」

  天降り付く天の香具山の風景 | 古代文化研究所

○今年、2026年1月14日にも、鹿児島県霧島市福山にある中の茶屋公園へ出掛け、『天降り付く天の香具山の風景』を眺めて来た。

  ・テーマ「日向国の万葉学」:ブログ「天降り付く天の香具山の風景」

  天降り付く天の香具山の風景 | 古代文化研究所

○枕詞「天降り付く」は香具山にしか掛からない。つまり、香具山は旧日向国のものであることが判る。それが枕詞「天降り付く」が教えてくれることである。

○奈良県橿原市に、大和三山が存在する。

  畝傍山(うねびやま、199m)

  香具山(かぐやま、152m)

  耳成山(みみなしやま、140m)

○しかし、本物の香具山は旧日向国のものである。そのことを枕詞「天降り付く」が教えてくれる。つまり大和三山そのものが実は旧日向国のものなのである。それは次のように案内される。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳(924m)

○ただ、大和三山が二つもあっては、何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所では、奈良県橿原市の大和三山を、そのまま大和三山とし、旧日向国のものを邪馬台国三山と呼んで、区別している。もちろん、そこに、邪馬台国が存在したから、そう命名した。

○畢竟、[ひらききのみみなしやま』とは、そういうことである。枕詞「ひらききの」が掛かるのが「みみなしやま」であることは、何とも素晴らしい古代人の知恵なのである。ちなみに、「みみなしやま」の意味は、ここが「陸地と海とのはざま」であることの謂いである。つまり、「みみ」とは境界を意味する。海と陸地との境界に屹立する山が「みみなしやま」なのである。

○これが枕詞「ひらききの」の威力である。言葉の力は、何とも凄い。もともと枕詞とは、そういう古代人のひらめきであり、知恵なのである。真面目に「万葉集」を読むと、そういうことが判る。当古代文化研究所では、長年、そういう研究をしている。

○当古代文化研究所では、毎年、開聞岳に登り、枚聞神社に参詣している。それは、当古代文化研究所の研究の一環に過ぎない。そういう意味で、枚聞神社が薩摩国一宮であることの意義は大きい。また、枚聞神社とは、そういう神社なのである。