古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○秋目浦について、ブログ『秋目浦:がんじん荘』、『秋目浦:007は二度死ぬ』と書いている。それで、今回はブログ『秋目浦:鑑真記念館』になる。本当は、秋目浦で最も有名なのは鑑真記念館なのだが、野間池から来ると、「がんじん荘」が最初で、次に「007は二度死ぬ」が出て来て、、最後が鑑真記念館になる。

○秋目浦の「鑑真記念館」は、何とも小さい記念館である。それでも、この「鑑真記念館」の果たす役割は大きい。秋目浦は鑑真和上が紀元753年12月20日に、日本で最初に上陸した地として、知られる。

○インターネット検索すると、様々なページがヒットする。しかし、残念ながら「鑑真記念館」については、大したページは存在しない。鹿児島県観光サイト「かごしまの旅」には、次のように載せる。

      鑑真記念館

わが国律宗の始祖になった唐の高僧・鑑真和上が日本上陸の第一歩を印した秋目に建設されています。諸宗の奥義を極めた当代随一の高僧・鑑真は、聖武天皇の招きにより日本に渡航しようとしました。ところが当時の渡来は困難を極め、海上暴風や密航の差し止めなどのため失敗は5回にも及び、また疫病によって失明するという悲運にも遭っています。それらの困難にも挫けることなく、ついに天平勝宝5年(753年)、当地に上陸を果たしわが国に仏教の戒律や薬学の知識などを伝えました。その鑑真の偉大な功績を讃え、平成4年に記念館が建立されました。鑑真像の複製のほか渡航の模様とその生涯が展示品やジオラマで詳しく紹介されています。

  鑑真記念館 | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅

○その中に、「鑑真記念館」の公式サイトとして案内されているのが、次のページになる。

      鑑真記念館

      唐の高僧「鑑真」について詳しく学べる記念館。

唐の高僧で奈良唐招提寺の開祖である鑑真は、聖武天皇の招きにより日本に渡航しようとしましたが、当時の渡来は困難を極め、5度の渡航失敗や度重なる困難の末、両目を失明しました。天平勝宝5年(753年)ついに上陸を果たし、日本に仏教の戒律や薬学の知識などを伝えました。

その鑑真の偉大な功績を讃え、平成4年に建立された記念館です。

館内では、鑑真坐像の複製のほか渡航の模様とその生涯が、展示品や大型ビジョンでの動画で詳しく紹介されています。リニューアルオープンを経て、車いす用のスロープや広めの駐車場も完備されました。また、海外からの来場者向けに多言語マップも準備しております。

  鑑真記念館 | 南さつま市観光協会

○「鑑真記念館」は小さいながらも、種々雑多な情報をたくさん提供している。そういうものを整理してみると、なかなか面白い。できれば、もう少し、整理して展示し、提供して欲しい。

○また、ここをせっかく訪れてくれた方にお土産も欲しい。写真一枚でもパンフレット一枚でも良いから、記念になるものがあると嬉しい。「鑑真記念館」の中には、そういうもののグッズになるものが幾らでもある気がする。

○はるばる、ここまでやって来る人は、当然、目的を持って訪れる、そういう人に応えるお土産やグッズがあれば、何とも嬉しい。そういうものを期待して止まない。

 

○現代に於いて、映画「007シリーズ」を知る人もだんだん少なくなっているのではないか。ウイキペディアフリー百科事典では、「ジェームズ・ボンド 」項目で、次のように案内する。

      ジェームズ・ボンド

ジェームズ・ボンド」(James Bond)シリーズは、作家イアン・フレミング1953年に生み出した架空の英国秘密情報部スパイを主人公とする小説であり、彼は12の小説と2つの短編小説集に登場している。(中略)

ジェームズ・ボンドは「007ダブルオーセブン)」というコードナンバーで知られ、テレビ映画ラジオコミック・ストリップコンピュータゲームにも登場している。1962年スコットランド俳優ショーン・コネリーがボンド役を演じた『007は殺しの番号』から始まった映画シリーズは、2021年現在、イーオン・プロダクションズが制作したシリーズとして全24作品が製作されている。

  ジェームズ・ボンド - Wikipedia

○映画「007シリーズ」は、当時、人気の映画シリーズだった。中でも、『007は二度死ぬ』は舞台が日本だと言うこともあり、大いに人気を博した。ウイキペディアフリー百科事典では、次のように案内する。

      007は二度死ぬ

007は二度死ぬ』(ゼロゼロセブンはにどしぬ、原題: You Only Live Twice)は、1967年のアクションスパイ映画。「ジェームズ・ボンド」の第5作に当たる。アルバート・ブロッコリハリー・サルツマンが共同製作、ルイス・ギルバートが監督、ロアルド・ダールが脚本を務めた。原作はイアン・フレミングの同名小説

本作は、オープニングのイギリス植民地香港のシーンと、米ソの軍関係者が非難の応酬をするレーダー基地のシーン(イギリス国内で撮影)を除き、舞台はすべて日本国内である。

漁村のシーンが撮られた鹿児島県坊津は、「神戸と上海の間にある島」として登場する。また、町民の長年の陳情を受けて、撮影の前年に補強されたコンクリート製の桟橋が「映画の雰囲気に合わない」という理由により、一夜にして木製のものに作り替えられるなど、トラブルも多かったという。一方、毎日大勢のスタッフ等が大量のビールを消費するなどしたため、近所の商店で大儲けをしたところもあったという。現在は町を見下ろす高台にショーン・コネリー、丹波哲郎らのサインの入った記念石碑が建てられ、観光スポットとなっている。

  007は二度死ぬ (映画) - Wikipedia

○『007は二度死ぬ』は1967年の映画である。もう半世紀以上昔の映画になる。それでも、その舞台となった秋目浦には、記念碑が建っている。当時、映画「007シリーズ」を楽しんで見た者にとっては、何とも懐かしいところである。

 

○2025年10月5日、久し振りに野間半島を周遊して来た。枕崎から国道270号線経由で大浦町へ入り、国道226号線へ出て、野間半島を片浦、野間池と西進し、その後、野間半島南海岸線を坊津、枕崎と周回した。

○野間半島の北側は比較的開けていて、平地部分も多い。それに対して、南側は山が高く、それも海岸線まで押し寄せている。したがって、南側にはほとんど人家が無い。あるのは、野間岳の麓周辺くらいのものである。

○あとは、秋目浦まで、リアス岸外眼が続くばかりで、昔は、道も満足に無かったものと思われる。そういう中で、秋目浦は、唯一の集落になる。秋目浦を抜けてからも、人家は見えない。つまり、野間池から坊津までの間、およそ30kmに、存在するのは、秋目浦、久志、泊、坊津の集落が存在するだけである。

○秋目浦、久志、泊、坊津は、全て、旧坊津町になる。つまり、嘗てはまともな道はなく、舟で往来してものと思われる。現在は、野間池から枕崎まで、およそ40km、国道226号線が走っている。野間池から秋目浦まで15km、秋目浦から坊津まで15kmだから、秋目浦がどんなに僻地であるかが、判る。

○その秋目浦は、鑑真和上が日本上陸した地として知られる。秋目浦には鑑真記念館が建つ。それについては、次回、詳しく触れたい。また、秋目浦には旅館「がんじん荘」が建つ。南さつま市観光協会のホームページが案内する「がんじん荘」は、次の通り。

      がんじん荘

      鑑真上陸の地に佇む、宿泊と新鮮な魚料理が食べられるお店。

南国の豪快な自然と素朴な温かさに癒される場所、秋目に佇む「がんじん荘」。

目の前に広がる海と、漁師であるオーナーが自ら水揚げして振る舞う獲れたての魚料理は、根強いファンがいます。

また宿泊も可能です。ごゆっくりおくつろぎください。

  がんじん荘 | 南さつま市観光協会

○最初に秋目浦を訪れたのは、50年ほど昔になる。当時は、枕崎までが大変だった。その枕崎から坊津へ向かい、最後に、秋目浦まで行った。確か、枕崎に泊まった記憶がある。現在は、都城からわずか2時間少々で枕崎まで行くことが出来る。つまり、秋目浦までも3時間である。何とも隔世の感がある。

○秋目浦は、それ程、僻地である。したがって、海が何とも青く、きれいである。こういうところの海を、

  白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

と詠じるのだろう。

 

○今日は、令和八年元旦である。元旦からブログを書く人は余程の暇人か、相当な物好きである。去年の元旦にもしっかりブログを書いている。ちなみに、令和三年から、毎年書いていることに、去年、気付いた。令和三年のブログは、次の通り。

  ・テーマ「無題」:ブログ『お正月』

  お正月 | 古代文化研究所

〇令和四年には、次のブログを書いている。

  ・テーマ「無題」:ブログ『お正月:令和四年』

  お正月:令和四年 | 古代文化研究所

〇令和五年にも、次のブログを書いている。

  ・テーマ「無題」:ブログ『お正月:令和五年』

  お正月:令和五年 | 古代文化研究所

〇令和六年には、そういうブログが無いから、書かなかったのだろう。念のため、日付で確認すると、令和六年元旦には、次のブログを書いていた。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『日本人最初の言葉』

  日本人最初の言葉 | 古代文化研究所

〇令和八年のブログは、次の通り。

  ・テーマ「無題」:ブログ『お正月:令和七年』

  お正月:令和七年 | 古代文化研究所

○こんなことを習慣化すると、毎年続けることになるから止めたが良い。そんな気もするが、出来ることは出来る時にやっておきたい。どのみち、間もなく出来なくなる。後期高齢者と言うのは、そういう年齢である。だから今年も続ける。

○今日、2026年元旦は良い天気の一日だった。家人が釣りを見物に行きたいと言うので、元旦から釣りに出掛けた。カマスを20匹以上釣って来た。大大漁だった。まさに、

  今年は春から縁起が良い。

を象徴する一日だった。間違いなく、今年は良い年になることを実感した。釣りの話は次回に。

 

○2025年10月5日、久し振りに野間半島を周遊して来た。枕崎から国道270号線経由で大浦町へ入り、国道226号線へ出て、野間半島を片浦、野間池と西進し、その後、野間半島南海岸線を坊津、枕崎と周回した。

○その野間半島南海岸線で最も目立つのは、何と言っても沖秋目島だろう。たいへん大きな島だが、無人島だそうである。南さつま市観光協会の案内する「南さつま海道八景」では、『笠沙美術館展望所から見る沖秋目島』として、次のように案内する。

      笠沙美術館展望所から見る沖秋目島

笠沙美術館展望所からは、沖秋目島を見ることができます。まるで怪獣が横たわっているかのような雄大な姿で、訪れた人を迎えてくれます。

また、笠沙美術館展望所から臨む海、山すべての景観が最高のアートになっています。空気が澄んだ日には、遠く南西諸島の黒島も眺望できます。

江戸時代の一書によれば、沖秋目島には戸柱大明神祠があり、その昔中国の船が暗礁に触れて危険な目にあった時、舟人が戸柱神に祈ったところ難を逃れたという伝説が残っています。

  これぞ絶景!南さつま海道八景 | 南さつま市観光協会

○野間半島南海岸線を車で走ると、ずっと沖秋目島が見え続けて、何とも美しい。なかなか沖秋目島を案内するものが無い。わずかに、ウイキペディアフリー百科事典の「坊津町秋目」項目に次のように載せている。

      沖秋目島

秋目港から約4キロメートル沖合、野間岬から8キロメートルにある無人島である。面積は約0.39平方キロメートル、周囲は約4キロメートルである。第二次世界大戦終戦前までは3世帯が居住しており、半農半漁の生活を営んでいたが、1950年(昭和25年)頃に無人島となった。沖秋目島にはビロウが自生しており、枇榔島(蒲葵島)とも呼ばれる。

江戸時代後期に薩摩藩が編纂した地誌である『三国名勝図会』では沖秋目島(三国名勝図会では「蒲葵島」とされている)の由来と島内にある戸柱大明神について以下のように記述されている。

   秋目村に属す、周廻凡そ一里、蒲葵樹甚多し、故に名を得たり、往古は此島を

  秋目島といふ、又島の邊群魚の聚る所にて、漁釣に利ありといふ、此島に戸柱大

  明神祠あり、祭神素蓋鳴尊稲田姫命、祭祀六月十五日、此島の海に暗礁あり、

  昔時唐土の舟船、其暗礁に触れて危殆なりしが、舟人戸柱神に禱りしに、神力を

  以て其難を免れ、長崎に至り、鎮台に状啓す、鎮台是を本藩(※薩摩藩のこと)

  に告ぐ、此後官より祭米を給与せられるといふ、其事棟札に記せり、

              —ーー三国名勝図会巻之二十七ーーー

  坊津町秋目 - Wikipedia