○2025年7月15日、南充を訪れた。せっかくだから、ここで陳壽が「三国志」に記録する三世紀の倭国の状況について、触れてみたい。そういう意味で、これまで、ブログ『陳壽の倭国評価』、『陳壽の倭国観』、『邪馬台国の風景』、『卑弥呼の肖像』、『狗奴国の風景』、『神代三山陵の先坣僑位』、『投馬国の風景』と続けて来た。
○こうなると、どうしても投馬国の内実を探らないわけにはいかない。それで、今回はブログ『住吉三神』となる。具体的には、投馬国がどんな国家であったかについて、述べることになる。一口で言うと、投馬国の宗教が住吉神社であり、住吉三神だと言うことである。
○すでに前回、案内済みだが、まず、ウイキペディアフリー百科事典が案内する住吉神社から見ておきたい。
住吉神社
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、主に住吉三神を祀る神社。日本全国に約600社ある。
ここでは「住吉神社」を法人名とする神社を記す。
【三大住吉神社】
・住吉神社 (下関市) – 山口県下関市一の宮住吉
○併せて、ウイキペディアフリー百科事典が案内する住吉三神は、次の通り。
住吉三神
『日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。
○このように検証すれば、ウイキペディアフリー百科事典が案内する住吉神社も住吉三神も、住吉神について、まるで学習していないことが判る。第一、住吉神が何処で誕生したかさえ、明らかにしない。それでは本末転倒も甚だしい。
○日向神話の舞台は広い。旧国名では、薩摩国・大隅国・日向国になる。その何処に住吉神が存在し、住吉信仰とは、どういうものであったか。そういうことを考慮しないで、住吉神を語ることは、誰にもできない。当たり前のことである。
○ところが、そういう肝心の話を聞いたことが無い。上記した大阪の住吉大社、下関の住吉神社、福岡の住吉神社のいずれでも、そういう話をなさらない。自分の神社の神様が何処で、どのように誕生したか。皆目、御存じ無い。不思議な話である。
○同じように、住吉三神にしたところで、「古事記」には底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命とあり、「日本書紀」ではそれを底筒男命・中筒男命・表筒男命とすることだけは述べても、それがどういう意味なのかを知らない。実に、不思議な話である。
○そういうことを理解するには、日向神話を研究するしかない。そうすれば、住吉三神とされる底筒男命・中筒男命・表筒男命がどういう神様かが見えて来る。また、住吉神の故郷がどんなところであるかも大事な要件となる。
○何故か、誰もそういうことをなさらないで、堂々と、住吉神社について語り、住吉三神に言及なさる。それこそ、おかしな話である。当古代文化研究所では、長年に渡って、そういう研究を続けている。住吉神を知らないで、住吉神社や住吉三神について語ることは、誰にもできない。
○ここでは十分なスペースが無いので、結論のみを案内するしかない。まず、住吉神の故郷は、前回、案内したように、鹿児島県曽於市末吉町住吉になる。現在でも、ここには、住吉神社が鎮座まします。
○住吉神の故郷、鹿児島県曽於市末吉町住吉を訪れると、ここが 諸県国であって、山背国であることが判る。もちろん、山背国とは、霧島山高千穂峰の東に位置するから山背国であることが判る。ちなみに、霧島山高千穂峰の西側は邪馬台国(大和国)であることが判る。
○もともと大和地名や山城地名は、日向国のものなのである。その境に存在する山が天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峰なのである。ある意味、霧島山高千穂峰が最も大きく、美しく見えるところが鹿児島県曽於市末吉町住吉なのである。
○これも結論を述べるしか無いが、住吉三神は、「古事記」や「日本書紀」が述べるような、底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命などでは無い。そういうことは、鹿児島県曽於市末吉町住吉を訪れてみて、初めて判る。まさに、「百聞不如一見」なのである。
○住吉三神とは、
上水流男命
中水流男命
下水流男命
の謂いである。つまり、住吉神とは、水神であり、水分(みくまり)信仰であることが判る。そういうことは、住吉神誕生の地、鹿児島県曽於市末吉町住吉を訪れないと、絶対に、理解できない。それが現地現場の強みであることは、言うまでも無い。
○もっと言うと、その住吉神を奉祀する人々の存在を見逃してはなるまい。それが諸県の人々である。後世の八世紀の行政区分では日向国となる。「三国志」の表現では投馬国となる。
○中国の正史「三国志」が案内する倭国も、意外に、詳細な情報を得ることが出来る。それが
ブログ『邪馬台国の風景』、『卑弥呼の肖像』、『狗奴国の風景』、『神代三山陵の先坣僑位』、『投馬国の風景』、『住吉三神』である。
○もっとも、それには、十分な検証が必要であることは言うまでも無い。丁寧な検証を加えない限り、何も見えて来ない。ただ、幸い、偉大な先人が居て、非常に助かる。それが白尾國柱の「麑藩名勝考」であり、「三國名勝図会」、「薩隅日地理纂考」になる。
○最後に。住吉三神、
上水流男命
中水流男命
下水流男命
を斎き祀る神社は、それぞれ、
住吉神社:鹿児島県曽於市末吉町住吉
科長神社:都城市上水流町志和地
住吉神社:宮崎県宮崎市塩路
として、現在も存在することを、当古代文化研究所では確認している。
○知らないことを語っても仕方の無いことである。まずは、しっかり読み、しっかり検証することだろう。当古代文化研究所では、そのために、わざわざ、四川省の南充市の陳壽の故郷を訪れた次第である。



































