古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2025年7月17日、四川省成都の大慈寺へ参詣した。この成都の大慈寺には、2015年5月に初めて成都を訪れた際、お参りしている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『大慈寺』

  大慈寺 | 古代文化研究所:第2室

○2015年5月に、成都の大慈寺に参詣して驚いたのは、そこに蘭渓道隆の名が存在したからである。蘭渓道隆は、鎌倉五山の筆頭、建長寺の開山として、日本でもよく知られる渡来僧である。その蘭渓道隆が四川省の生まれであることを知って、驚いた。

○それで、ブログにも、次のように、詳しく書いている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭渓道隆』

  蘭溪道隆 | 古代文化研究所:第2室

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師年譜』

  蘭溪道隆禅師年譜 | 古代文化研究所:第2室

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師遺偈』

  蘭溪道隆禅師遺偈 | 古代文化研究所:第2室

○今回、成都の大慈寺を訪問し、しみじみ、蘭渓道隆の苦労を改めて感じた次第である。と言うのも、三ヶ月前の、2025年4月4日に、「鎌倉五山旅」で、北鎌倉の建長寺へ参拝したばかりだったからである。これまで、数回、建長寺や円覚寺には参詣している。

○その際、蘭渓道隆についても、当然、書いている。

  ・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『蘭渓道隆』

  蘭渓道隆 | 古代文化研究所:第2室

  ・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『建長寺開山大覚禅師』

  建長寺開山大覚禅師 | 古代文化研究所:第2室

○ちなみに、日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する蘭渓道隆は、次の通り。

      蘭渓道隆

蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧大覚禅師。俗姓は冉、名は莒章。法諱は道隆。号は蘭渓。涪州涪陵県蘭渓邑(現在の重慶市涪陵区藺市鎮)の出身。大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。

  蘭渓道隆 - Wikipedia

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する蘭渓道隆は、次の通り。

      冉道隆

      南宋僧人

道隆(1213-1278年),俗姓冉,号兰溪,出生于四川涪州(今重庆市涪陵区)。少年出家,后赴浙江学禅。南宋淳祐六年(1246年)率中国第一个禅宗代表团东渡日本传法。在日政大臣北条时赖的支持下,创建了建长寺,将宋代禅寺建筑传入日本,并著法语规则,规范日本禅林,为日禅的发展起了重大作用。中日两国禅宗弟子联合收录了道隆平日的传法语录——《大觉禅师语录》3卷。

道隆是涪州郡守冉王琐的第三子,他的母亲是一个虔诚的佛教徒。在母亲的影响下,道隆自幼与青灯古佛为伴,潜心修禅。幼年时,其母常带他至点易洞参拜。南宋宝庆元年(1225年),冉王琐为抗击金兵入侵,战死沙场(1225年)。父亲的去世,让年幼的道隆明白生死无常,遂看破红尘。宝庆二年(1226年),道隆在母亲护送下,入成都大慈寺落发为僧,师从良范潼关禅师,法名“道隆”。

大慈寺学有所成后,道隆出蜀东游,赴浙江学禅,先后师从无准师范、痴绝道冲、北碉居简等著名禅师,然机缘不足,未能悟道。后来道隆在姑苏求学于无明慧性禅师,慧性禅师以“牛过窗棂”这一禅宗典故加以点拨,道隆当即大彻大悟,领悟佛法妙门。后承嗣慧性衣钵,成为一名真正的禅师,挂锡于明州(今浙江省宁波市)天童山景德寺。(中略)

南宋淳祐九年(1249年,日本建长元年),在北条时赖的支持下,道隆开始主持修建日本第一所具有南宋禅宗寺院风格的寺院,以天皇年号命名为建长寺,历时5年,于建长五年(1253年)建成, [6]开创日本佛教史上最初的禅宗道场。道隆任开山住持,作建长寺钟铭,署名“建长禅寺住持宋沙门道隆”。天皇御敕此寺“大建长兴国禅寺”匾额,日本禅寺之名由此而始。

  冉道隆_百度百科

○蘭渓道隆は、日本では超有名人である。その蘭渓道隆が拠った寺が成都の大慈寺だと言う。ここで蘭渓道隆は修業し、禅僧となった。それが遥々、日本の鎌倉まで訪れていることに、驚く。

○意外と、日本人はそういうことを知らない。知ってはいても、まるで実感が無い。しみじみ、蘭渓道隆がどういう人物であったか。気になる。そういうことを感じさせてくれる寺が成都の大慈寺なのである。

 

○2025年7月17日、四川省成都の大慈寺へ参詣した。この成都の大慈寺には、2015年5月に初めて成都を訪れた際、お参りしている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『大慈寺』

  大慈寺 | 古代文化研究所:第2室

○これまで、ブログ『大慈寺』、『精妙冠世』と案内して来た。今回は、ブログ『成都大慈寺伽藍』と題して、成都大慈寺の伽藍配置、及び境内を案内したい。そもそも伽藍そのものがどういうものであるか。日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する伽藍は、次の通り。

      伽藍

伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。サンスクリット語のसँघाराम、saṁghārāmaの音写で、「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」「僧伽藍」が略されて「伽藍」と言われた。漢訳の場合は「衆園(しゅおん)」「僧園(そうおん)」などと訳された例があるが、通常「伽藍」とのみ呼ばれる。

  伽藍 - Wikipedia

○これは中国の百度百科でも、ほぼ同様である。

      伽蓝[qié lán]

      宗教用语

伽蓝来自于梵语的“samghārāma (सँघाराम)”,也音译作“僧伽蓝摩”“僧伽蓝”,宗教用语。“僧伽”(samgha)指僧团;“阿蓝摩”(ārāma)意为“园”,原意是指僧众共住的园林,即寺院。初期的伽蓝以供奉佛陀的建筑为主体构成,而后来佛殿逐渐成为寺院的主体建筑。

据《三国志》记载,中国最早的伽蓝是东汉末年豪强笮融在徐州下邳建设的“浮屠祠”。他所兴建的佛祠、佛塔以“上累金盘、下为重楼”的结构,成为我国早期佛塔的基本塔型,对后世中国佛教建筑的形制产生了不可磨灭的影响。

  伽蓝(宗教用语)_百度百科

○ウイキペディアフリー百科事典では、日本の伽藍について、次のように説明する。

      日本の伽藍

伽藍を構成する主な建物として、俗世間との境界を示す山門、本尊を祀る本堂仏塔、学習の場である講堂、僧の住居である庫裏食堂(じきどう)、鐘楼東司などがある。これらの要素の名称、配置や数は宗派、時代によって異なるが、古くは鎌倉時代の『聖徳太子伝古今目録抄』で金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵僧坊、食堂の七つがあるのが伽藍、としており、これを七堂伽藍と呼ぶ。また、後に禅宗では、仏殿(金堂)、三門(山門)、僧堂、庫院(くいん)もしくは庫裏(くり)、法堂(はっとう)、浴室、東司(とうす)(または西浄〈せいちん〉)から構成される[1]が、禅宗以外も含め、宗派や時代によってまちまちである。実際には、単に多くの建築物を擁する大寺院を七堂伽藍と呼ぶことも少なくない。

○この点について、中国の百度百科の「七堂伽蓝」項目では、次のように案内する。

      七堂伽蓝

      具备七种堂宇的寺院

七堂伽蓝原指具备七种主要堂宇的寺院建筑群,后演变为建制完备的大型佛教寺院代称,其概念源自古代印度僧伽蓝(寺院)。七,表示完整之义。随着佛教传入中日韩三国,寺院形制融入地域特征,日本江户时代起该词被广泛使用。七堂配置在不同宗派和时代有所差异,常以佛面器官或人体构造作为建筑群的象征体系。“伽蓝七堂”一说出自日本文献,有研究认为中国历史上并不存在此制。

  七堂伽蓝_百度百科

○別に、百度百科では、「伽蓝七堂」項目を設けて、唐代对伽蓝七堂的规定と宋代禅宗对伽蓝七堂的规定に分けて、案内している。

【唐代对伽蓝七堂的规定】

  1.佛塔(舍利塔) 。

  2.大雄宝殿(又称之为金殿或佛殿,安置本尊佛)。

  3.经堂(讲经之所)。

  4.钟鼓楼(二者为一堂)。

  5.藏经楼(安放佛经之所)。

  6.僧房(僧众的居所,,多达上百间房屋)。

  7.斋堂(大餐厅)

【宋代禅宗对伽蓝七堂的规定】

  1.佛殿。

  2.讲堂、法堂。

  3.禅堂(僧众坐禅或起居之所)。

  4.库房(又作库院,为调配食物之所)。

  5.山门(又作三门。即具有三扇门之楼门,表示空、无相、无愿三解脱门)。

  6.西净(厕所)。

  7.浴室。

○もちろん、成都大慈寺は禅寺である。したがって、その伽藍配置は【宋代禅宗对伽蓝七堂的规定】に基づくものと思われる。実際の伽藍は、南北に次のようになっている。

  1)山門殿

  2)薬師殿

  3)観音殿

  4)大雄寶殿

  5)蔵経殿

○当古代文化研究所では、これまで、多くの中国寺院を訪れている。例えば、禅寺で言うと、中国では五山十刹寺院が有名である。

    班位  位 次   寺 名   寺号・具名       位置 状態
    五山  第1位    径山寺   径山興聖万寿禅寺    杭州余杭 現存::参詣済
    五山  第2位    霊隠寺   北山景徳霊隠禅寺    杭州 現存::::参詣済
    五山  第3位    天童寺   太白山天童景徳禅寺   寧波 現存::::参詣済
    五山  第4位    浄慈寺   南山浄慈報恩光孝禅寺  杭州 現存::::参詣済
    五山  第5位    阿育王寺  阿育王山広利禅寺    寧波 現存::::参詣済
    十刹  第1位    中天竺寺  天寧万寿永祚禅寺    杭州 現存::::参詣済
    十刹  第2位    万寿寺   道上山護聖万寿禅寺   湖州 現存
    十刹  第3位    霊谷寺   蒋山太平護国禅寺    南京 現存::::参詣済
    十刹  第4位    報恩寺   報恩光孝禅寺      蘇州 現存::::参詣済
    十刹  第5位    雪竇寺   資聖禅寺        寧波 現存::::参詣済
    十刹  第6位    江心寺   龍翔禅寺        温州 現存::::参詣済
    十刹  第7位    雪峰寺   崇聖禅寺        福州 現存
    十刹  第8位    双林寺   宝林禅寺        浙江金華 廃寺
    十刹  第9位    雲岩寺   虎丘山雲岩禅寺     蘇州 現存::::参詣済
    十刹  第10位    国清寺   天台山教忠禅寺     浙江天台 現存::参詣済

○そういう江南の禅寺と成都大慈寺の伽藍配置はまるで異なる気がする。つまり、成都大慈寺の伽藍配置の方が古い時代のものであるような気がしてならない。

○つい先日、2026年6月9日に、湖州を訪問したばかりである。湖州には万寿寺が現存すると言う。そのことをすっかり失念していた。湖州では、鉄佛寺に参詣して来た。

○その前に、金华市义乌市も訪問している。金华市义乌市には双林寺が再興されているらしい。以前、福州にも訪問したのに、そういうことをすっかり忘れていた。

○2025年7月17日、四川省成都の大慈寺へ参詣した。この成都の大慈寺には、2015年5月に初めて成都を訪れた際、お参りしている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『大慈寺』

  大慈寺 | 古代文化研究所:第2室

○地鉄2号線の春熙路站で降りて、紅星路二段を北上し、大慈寺路を右折して100mも行くと、もう大慈寺北門である。大慈寺は紅色の土塀で、目立つ。その壁の一部が照壁のようになっていて、次の対聯が掲げてあった。

  民安國恭逢盛世

  風調雨順頌華年

○北門から大慈寺境内に入る。そうすると、大慈寺路の照壁の部分が「福」字が掲げてあった。普通、こういう建物群は南側が正門だから、南側からお参りしようと思い、そのまま大慈寺境内を通り抜けて、南門へ行った。

○その南側にも立派な照壁が存在した。その照壁の南面には、「福禄寿」の文字が掲げてあり、北面には「精妙冠世」の文字が掲げてあった。何か謂れのある文言なのであろう。

○百度百科の「大慈寺」項目、文物遗存に、次のように載せる。

      大慈寺

【文物遗存】

大慈寺以教义研究、壁画艺术著名。唐宋时,大慈寺执义学之牛耳,96院由高僧举办的常年讲座就多达73个,连前蜀主王建也慕名入寺听经。由于唐玄宗、唐僖宗先后幸蜀,许多著名画师也聚集成都,使成都绘画之风大盛。

大慈寺中,就有壁画千余堵,留下作品的全国知名画师多达六七十人。据北宋李之纯《大圣慈寺画记》载:“举天下之言唐画者,莫如成都之多。就成都较之,莫如大圣慈寺之盛。”所有画像“皆一时绝艺”,是一座极其珍贵的艺术宝库。宋代黄休复《益州名画录》、范成大《成都古寺名笔记》等论著,对大慈寺壁画作者及内容也多有记载。范成大《成都古寺名笔记》称:“成都画多名笔,散在诸寺观,而见于大圣慈寺者为多,今犹具存。”宋仁宗嘉祐元年(1056年),苏轼与其弟苏辙游大慈寺,对唐代佛画大师卢楞伽的作品倍加赞赏,称天慈寺壁画“精妙冠世”。

○どうやら、ここにある、

  ”宋仁宗嘉祐元年(1056年),苏轼与其弟苏辙游大慈寺,

  对唐代佛画大师卢楞伽的作品倍加赞赏,称天慈寺壁画“精妙冠世”。

と言う蘇軾の文言が精妙冠世”であることが判る。

○なかなか大慈寺は勉強になる。卢楞伽なる画僧もよく知らない。

      卢棱伽

      唐代画家,吴道子弟子

卢棱伽(亦称卢楞伽)为唐代长安人,师承"画圣"吴道子,尤擅佛像图及经变题材创作。其作品以咫尺空间呈现山水寥廓、物象精备见长,《历代名画记》赞其"经变佛事,是其所长"。安史之乱后流亡蜀地,于成都大圣慈寺创作《行道高僧像》壁画群。

存世代表作《六尊者像》原为《十八罗汉图》残卷,现藏北京故宫博物院,展现唐代佛教绘画精妙技法。其绘画风格融合吴道子技法与西域凹凸画法,对五代西蜀绘画产生直接影响。1960年故宫博物院通过专业修复技术抢救其受损画作,印证了作品的历史价值。

  卢棱伽_百度百科

○盧稜伽の先生が画聖、呉道子だと言う。寡聞にして、その呉道子すら、知らない。

      吴道子

      唐代绘画大师

吴道子(约680年—759年),又名道玄,唐代著名画家,画史尊称画圣。汉族,阳翟(今河南禹州)人。约生于公元680年(永隆元年) ,卒于公元758年(乾元元年)前后。少孤贫,年轻时即有画名。曾任兖州瑕丘(今山东滋阳)县尉,不久即辞职。后流落洛阳,从事壁画创作。开元年间以善画被召入宫廷,历任供奉、内教博士、宁王友。曾随张旭贺知章学习书法,通过观赏公孙大娘舞剑,体会用笔之道。擅佛道、神鬼、人物、山水鸟兽、草木、楼阁等,尤精于佛道、人物,长于壁画创作。

  吴道子(唐代绘画大师)_百度百科

○日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する呉道子は、次の通り。

      呉道玄

呉道玄(ご どうげん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝に仕えた画家山水画の画法に変革をもたらした。その画は、後世からも高く評価され、中国、日本の画家に多大な影響を与えた。初名は呉道子(ご どうし)。

呉道玄の画は、物・仏像・鬼神・禽獣・山水・台殿・草木、全てのジャンルにおいて、絶大な評価を受け、唐代第一と称せられた。

同時代の張懐瓘からも、「筆を下せば神有り。これ張僧繇の後身なり」と評されており、晩唐張彦遠は、「歴代名画記」において、これを是とした上で、顧愷之陸探微と比べ、ただ一人、同等の評価を示し、張僧繇の上位においている。また、張彦遠は、「唯だ呉道玄の迹のみ、六法倶に全く、万象必ず尽し、神人手を仮し、造化を窮極すと謂いつべし」とまで絶賛している。「山水の変(山水画の画法の変革)は呉道玄に始まり、李思訓、李昭道父子に成る」とし、画の六法の変革者と位置づけ、「画聖」と評している。

  呉道玄 - Wikipedia

○大慈寺の照壁にあった「精妙冠世」の文字だけで、これだけ学習させられた。なかなか大慈寺は勉強になる。

 

○2025年7月17日、四川省成都の大慈寺へ参詣した。この成都の大慈寺には、2015年5月に初めて成都を訪れた際、お参りしている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『大慈寺』

  大慈寺 | 古代文化研究所:第2室

○何気なく立ち寄った大慈寺だったが、ここが蘭溪道隆所縁の寺であることを知って、猶更、驚いた。蘭溪道隆なら、日本人なら誰でも知っている禅僧である。それで、次のブログを書いている。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆』

  蘭溪道隆 | 古代文化研究所:第2室

○その時、大慈寺で学習したのが蘭溪道隆遺偈である。

  蘭溪道隆遺偈
    用翳睛術
    三十餘年
    打翻筋斗
    地轉天旋

○それで次のブログを書いた。

  ・テーマ「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師遺偈』

  蘭溪道隆禅師遺偈 | 古代文化研究所:第2室

○蘭溪道隆は渡来僧として日本に訪れ、鎌倉五山の筆頭、建長寺の開山となっている。これまで、建長寺には何回かお参りしている。最近では2025年4月4日にお参りし、次のブログをものしている。

  ・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『建長寺』

  建長寺 | 古代文化研究所:第2室

  ・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『蘭溪道隆』

  蘭渓道隆 | 古代文化研究所:第2室

  ・テーマ「鎌倉五山旅」:ブログ『建長寺開山大覚禅師』

  建長寺開山大覚禅師 | 古代文化研究所:第2室

○13世紀に、蘭溪道隆は重慶に生まれ、此処、成都の大慈寺で修業したと言う。その後、仏縁で、遥々、日本に渡っている。そして、時の執権、北条時頼に請われて建長寺の開山となっている。何とも数奇な運命と言うしかない。

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する大慈寺は、次の通り。

      大慈寺

      四川省成都市级文物保护单位

大慈寺,也叫古大圣慈寺,位于四川省成都市锦江区蜀都大道大慈寺路,前身为成都博物馆。

大慈寺始建于公元3世纪至4世纪之间,兴于魏、晋,盛于唐、宋,被誉为“震旦第一丛林”。唐会昌五年(845年),大慈寺因有唐玄宗题额,是当时成都唯一保存下来的佛寺,也是当时蜀中规模最大的佛寺。苏轼与其弟苏辙游大慈寺,称大慈寺壁画“精妙冠世”。

大慈寺坐北朝南,前为糠市街北口,后为蜀都大道天慈寺路,历经兴废,多次毁于兵火。现存建筑有天王殿、观音殿、大雄殿、说法堂、藏经楼等。大慈寺以其建筑、精美的壁画与丰富的宝藏将自己脱身成为了一座艺术博物馆。大慈寺富有世俗特色的丰富活动更加证实了佛教融入普罗大众世俗社会生活的事实,并完成了佛教中国化的转型。

1981年,大慈寺被成都市人民政府公布为市级文物保护单位。

  大慈寺(四川省成都市级文物保护单位)_百度百科

○成都の大慈寺界隈は、成都太古里として、成都でも最も賑やかな繁華街となっている。東京の浅草みたいなところが成都の大慈寺界隈であり、成都太古里である。

      成都太古里

成都太古里(Taikoo Li Chengdu),坐落于中国四川省成都市中心地带,是太古地产(Swire Properties)旗下的一座开放式、低密度的街区形态购物中心。项目占地约19万平方米,由27栋独栋建筑和7栋历史保留建筑构成,采用传统川西建筑风格为设计灵感,环抱千年古刹大慈寺,于2014年起分阶段开业。

成都太古里位于春熙路地铁站,尽享优越交通和人流优势。项目纵横交织的里弄、开阔的广场空间引入“快里”和“慢里”概念,聚集时尚品牌、奢侈品店、精品店以及米其林星级餐厅和国内外知名食府,2023年太古里与国际金融中心共实现销售额超220亿元。根据中国购物中心等级评价标准2019年评定为国家五星购物中心,2020年11月当选“成渝潮流新地标”,2023年11月荣获第12届艾蒂亚奖最佳城市文旅项目奖金奖。2023年8月太古地产正式将项目更名为“成都太古里”。停车场提供线上预约停车、反向寻车等功能,2024年12月阿迪达斯西南品牌中心开业并成为2025年合作系列及篮球鞋新品首发地。

  成都太古里(四川省成都市境内的街区式购物中心)_百度百科

 

○2025年7月17日朝は、四川省成都の成都瑞峰公寓酒店で目覚めた。今回、この成都瑞峰公寓酒店に、7月16日から19日まで、三泊して、存分に成都見物を楽しもうと言うわけである。。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。

○まさか、これ程、四川省や成都を訪問出来るとは、夢にも思っていなかった。最初の2015年5月の四川省訪問の主眼は、あくまで、陳壽の故郷、南充参詣にあった。それで重慶から南充に向かい、ついでに、閬中や成都、楽山、峨眉山まで訪れた。

○二回目の成都訪問は、実に意外な展開から成都を訪れる羽目になった。最初、青海省西宁市から青藏铁路で拉薩を目指すことを画策していた。当時はC-TRIPでは無くて、携程で切符を取っていた。全ての日程を計画し、切符やホテルまで確保した挙句、最後の最後に、日本人は拉薩に単独で入ることは出来ませんと出て、愕然とした記憶がある。

○仕方が無いので、全部、キャンセルし、青海省西宁市までの切符を利用して、蘭州から四川省へ向かう旅行に変更した。お陰で、广汉市の三星堆博物馆や、绵阳市江油市青莲镇の李白故居を訪問することが出来た。この時、成都では成都瑞峰公寓酒店に泊まっている。また、眉山市を訪れ、三苏祠へ参詣している。併せて、楽山、峨眉山にも再訪している。

○同じ2018年10月にも、三度目の成都訪問を果たしている。この時は、上海から昆明へ飛び、昆明から成都へ飛行機でやって来た。何時もは一人旅なのだが、この時だけは4人で旅行した。ほとんど旅行ガイドで、成都の杜甫草堂、武侯祠、成都大熊猫繁育研究基地などを案内し、楽山、峨眉山へ三訪した。その後、重慶へ向かった。

○それで、今回が四度目の成都訪問だと言うことになる。もっとも、旅そのものが「旅游巴蜀」旅であって、旅の中心は、あくまで、漢中や巴中を訪問することにあった。ついでに、閬中や南充、成都を訪問したに過ぎない。

○7月17日で、「旅游巴蜀」旅は10日目だった。当年76歳の後期高齢者は、十分に疲れ果てていた。もう幾らも歩くことは出来ない。せっかく成都に来たのに、勿体ない話だが、無理は禁物である。日本から成都は遠い。まだ、日本へ帰る長旅が待っている。

○それで、前日、16日は、杜甫草堂から四川博物院、青羊宮と歩いた。そして、今日17日は武侯祠を中心に成都市内を見物して回る予定である。夜が早いから朝早く目覚める。朝5時50分の日の出で、目覚めた。

○7時になるのを待って、下のレストランへ向かう。朝食は20元(400円)で食べれるとあったので、そこを利用した。あまりに安い。それなのに、十分、申し分ない朝食をいただいた。

○8時過ぎにホテルを出て、春熙路を目指す。春熙路は成都一番の繁華街である。百度百科AIは、次のように案内する。

      春熙路

春熙路坐落在四川省成都市锦江区,是成都最繁华的商业地标之一,也是首批国家级旅游休闲街区,全年免费开放,游客可直接前往游览 。这条百年老街不仅汇集了众多国际品牌和中华老字号,还融合了 IFS、太古里等现代商业综合体,是体验成都时尚与市井文化的核心区域 。‌‌

 

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する春熙路は、次の通り。

      春熙路

      中国四川省成都市境内道路

春熙路(Chunxi Road),位于四川省成都市锦江区春熙路街道,覆盖北新街以东、总府路以南、红星路以西、东大街以北、南新街中新街以及临街区域,面积大约20公顷。春熙路热闹繁华,现大约有商业网点700家,网点面积大约220000㎡,被业内誉为中国特色商业街。春熙路,是驰名全国的旅游名片,是首批国家级旅游休闲街区之一。

春熙路建于1924年,由四川督理杨森修建,江子虞命名。1940年,春熙路开设了第一家西餐厅——耀华茶点室。1992年,春熙路曾经的夜市首次开张。2001年,成都市政府对成都市春熙路商业步行街改扩建工程全面启动,并于2002年竣工。

春熙路商圈是成都市最早形成的商业商务中心之一。截至2022年10月26日,春熙路商圈有重点楼宇46栋、亿元楼宇7栋,其中甲级以上6栋、专业特色楼宇5栋;有纳税企业5315家,其中世界500强企业62家,“四上”企业215家,限额以上社消零企业88家,全口径税收上千万元企业63家、上亿元企业8家。有群光百货、茂业百货、仁恒置地广场等商业综合体15个、国际品牌428个、首店98个,2021年实现社消零249.52亿元。

  春熙路(中国四川省成都市境内道路)_百度百科

○成都の春熙路は懐かしい場所である。最初に成都を訪れた2015年5月には春熙路の、成都正熙国際酒店に泊まっている。ここにはつい最近まで、伊勢丹と伊藤洋華堂が存在した。その地下のトンカツ屋さんで3回もトンカツをいただいている。

○また、通りのPRADAの屋上には、巨大なパンダが登っている。その姿が成都のシンボルともなっている。春熙路の通りに土産物店があって、此処で、何度もパンダのお土産を買っている。その店が今回無くなっていた。