皆さんは食事中のスマホはありですか?なしですか?
昨日私は、とある牛丼屋チェーン店で食事をしていました。
その時にスマホ片手に食べている方がいたのです。
その方は、右手で牛丼を食べ、左手で器用にスマホをいじっていました。
付添人等はおらず、その方は一人だったので、私は特段気にはなりませんでした。
かくいう私も自宅等で一人のときは、なにか動画を見ながら食事を摂ることがあります。
そして、この牛丼屋の方を見たときに一つ頭に過った本があります。
それは西部邁の「大衆への反逆」です。
この本の中の一文を紹介します。
「どんな衣食も礼節によって象られることによって、文化の構成要素となりうるのであり、両者は互いをたたみ込んでいる。」
この一文は、筆者の欲望段階発展説(人はまず物欲を満たし、その後に文化等の礼節に基づいた精神的欲求を満たす 衣食を足りて礼節を知る)対する意見です。
敷衍すると、人の衣食住は、物欲だけに駆られ無限に膨張するのではなく、文化に影響を受け、またそれが文化に影響を与える、ということです。
食への感謝が一つの例であると私は考えます。
原初は生きるために食べていたものが、生きるためにという理由が故に神格化され、感謝され、それが、次第に文化に昇華され、その文化に基づいて食に感謝する。
この文化のフィードバックこそが著者の言いたかったことではないかと考えます。
このことを頭に入れた上で、牛丼屋の件について考えてみます。
スマホをしながら食事という行為は、文化のフィードバックが無いのが理解できると思います。スマホをしながら食事すること自体が文化であり、そう変遷したのだと言えてしまいそうですが、そうではありません。
本来の文化の移り変わりは、内発的外発的問わず、なにかの影響を受け、それ自体(今回であれば食事)に対する思想が変わるものであると思います。しかし、今回の件はどうでしょう。情報化社会の権化であるスマホに、食事という行為が押し流されているのです。その結果生まれるのが、食に対する無思想です。これは到底、文化の変遷とは呼べないものでしょう。
長々と書きましたが、言いたいことは単純です。ここまで、身近になったスマホやPCを手放すのは不可能だと私は考えます。なので、たまにでいいから食事を楽しんでみませんか?ということです。