挨拶について。
もう何回もブログに書いてきた、悶々とし続けている事の1つ。
犬の散歩をしていると、近所の人にも合うし、そうでもない人にも合う。
私から挨拶をしないと、してくれない人もいる。
大体はタイミングを計りながら、お互い様な感じで声を掛け合っている。
挨拶は、お互いが気持ちよくいられる為の、思いやりなんだと思う。
そうすると、したい人、したく無い人がいても良いと思える。
でも、私の中に”挨拶はしなければいけない”という思い(常識とは)がある。
しなければ嫌われる。
嫌な噂を立てられる。
本当に怖いくらいに”しなければいけない”と思っている。
近所の別のお宅の話。
1週間まえに、隣人が外壁の塗装を完了させた。
工事前、関係者の人が粗品をもって、挨拶にこられた。
騒音もするし、当たり前の対応だと思った。
昨日は別のお宅から(仮に加藤さん)、外壁の塗装工事に入ります。
という、連絡の紙がポストに投函されていた。
そのお宅の名前(加藤)は書いておらず、K宅とだけあり、粗品も無かった。
Kさんは以前
”母から、近所とは付かず離れず、何かあってもすぐには引っ越せないんだから”
と教わったと話していた。
近所とは仲も良いが、良すぎず、無駄な媚がない。
今回の投函での、お知らせのみもKさんらしい。
でも、私が一般的・常識的だと思うのは、隣人の対応の方だ。
挨拶と近所の話。
常識的にって、、何が正しいんだろう。
投函も気持ちよく工事を行う為の声掛けのようなもので、教えて貰えれば充分に思える。
私は私の選択をすれば良いのに。
そして、
他の人がした選択をジャジするのではなく、
ただ受け止めれば良い。
ジャジする事は抵抗する事で、
抵抗の波動が生まれる。
そうすると、
私の周りに抵抗したくなる事が引き寄せられて、益々生きにくくなる。
多分全ての答えがこれだ。