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昨日・3月3日


久々に 志々島へ行ってきましたぁ~ 海と島ふね



志々島への 定期船は 詫間港から出ていて

島まで 約15分の船旅  です (片道・330円)


船に乗り込むと 

明らかに 島の人ではない方が 2名いらっしゃって。



一人は 三脚付のビデオカメラ ビデオ を持ち

   出港前から到着まで カメラを回していました

      ※ KSB瀬戸内海放送の ディレクターさんでした

         3月7日・スーパーJ にて放映予定


もう一人の方は カメラ カメラ も持たず

   コンビニで購入したであろうパンサンドイッチを食していました

      ※ NHK高松放送局の方で 来週末から撮影だそうです



島に着き 大楠の上の道辺りに

「 休憩所 」 を作ったというのを聞き

カメラ片手に 大楠まで 歩く



「 休憩所 」 というから どんな建物かと思いきや

予想外に とても立派な 休憩所が鎮座していて

       

       ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ


この日は お天気も良く

島々を渡る 瀬戸大橋 レインボーブリッジ もきれいに見えて ・・・・・




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 この休憩所 『 楠ん倉 』 といいます


 「楠ん倉」 とは この辺りの名称。







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 暖かくなったら 志々島へ行き

     是非・是非 ここで休憩してください

   もう少し 整っているはずですよ おんぷうぃんく


















志々島盆踊唄・5


『 花の御手洗 格子の内で


           女郎が文書く 巷の筆 』


 


  ランプ ランプ ランプ ・・・ 夜なべする 秋の夜長の ホヤみがく ・・・


                            ※ ホヤ とは、ランプの硝子の部分




島では ランプのことを 「 ランポ 」 と言い


戦前から戦中にかけて 電灯がなかったので 夜の灯は ランプでした

      

        ※ 電灯がついたのは 昭和23年頃だったようです



        

     ・・・・・・・・・・ この 「 ランプ 」 なるもの ・・・・・・・・・

     

      厄介で 一晩使うと ススで ホヤ が真っ黒になり 

           

      次の日には 汚れて用をなさないまでになっていて (w_-;

 

      当時・この汚れたランプの そうじをするのが

                        たいてい子供の役目男の子



「 ホヤみがき 」 ・・・・・・・・・ かなり難しかったようです ガーン


   ホヤ は、紙より薄いガラスで出来ていて

  

 ちょっとした衝撃にも耐えられず 割れてしまう代物だったそうな (´_`。)



           
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     私は この 「 ランプ 」 を見たことはあるものの


             残念ながら 使った 記憶はありません あせる


   只、夜釣りに行く時の灯が

      石灰石を水に浸し 発生ガスに火をつける

             「 ガス灯 」 なるもので

    まあ、その臭いといったら・・・・・鼻が歪みそうでしたビックリマーク






注意 志々島へ行かれる方へのお願い 注意


  島へ来て下さるのは、島の方 とても喜んでいます

    ただ 悲しいことに

  島に居るはずのない ウサギウサギさんが・・・・・・

   

      飼っているぶんには 可愛くて良いのですが

    

  このウサギさん・・・・・

  島のお年寄りたちが 一生懸命に育てている

  野菜や花の 芽 を食べ荒らしています

  何度も種を植えては食べられを 繰り返しているのです

   

  誰かが、いらなくなった ウサギさんを 放置していったのでしょう プンプン


  ゴミは勿論ですが

  島の植物を勝手に採ったり、植えたりしないで下さい お願い

   

  さりげな行為が 島の生活を 壊していること ・・・・・ わかって下さい


      












































志々島盆踊唄・4


『 安芸の宮島 回れば七里  


            七里七浦 七蛭子 』


     ※ 島の網本の船に 「蛭子丸」 という船名の船があった



 金のなる島 』 って言うと

「 金塊 」 でも埋まっているのでは・・・・・にひひ


なんて思われる方もいたりしてあせる


~~~~~かくいう 私も 意味不明 でした~~~~~



    

江戸時代の終わり頃から 志々島は

『 金のなる島 』 と言われ 縛り網で活況を呈していたとの事。



島の周辺に 鯛や鰆の産卵に適した 「藻場」 が多くあったことや


当時の丸亀藩の財政窮乏の折、

島の某網本の拠出金により 立て直しがはかられ

「 志々島御供所共有網代場境界 」 が設けられたそうな・・・・・


一説では 島の水主(かこ)の腕前が 相当なものだったからだ とも聞いています ヾ(@°▽°@)ノ



当時の 島の人口は750人程、漁の雇人を入れると1000人を超えていたようです


     


志々島に行ったことのある方は おわかりかと思うのですが


あの島に 1000人も ((((((ノ゚⊿゚)ノ !?



今や 人口30人足らず・・・・・・・  

 もう一度 あの頃の 活気を と願うばかりです右上矢印右上矢印右上矢印



             
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