「好き」の対義語は「嫌い」ではなく「無関心」
無関心であるということは、興味が無いというだけでなく、そのことについて考える時間や心のスペースを持ち合わせない選択を自らしている、若しくはもはやその対象の存在を忘れてしまっているということ
嫌いという感情は、その対象について意識しているから発生する。
意識している時点で関心はある。
だが無関心は、意識することを選択しない。そこに感情は無い。
好きだ嫌いだと言っているうちはまだ序の口で、「どうでもいい」に変わったときが本当にお別れなのでしょうなぁ
とふと思いました。
誰かに助けて欲しいとか
何かに救われたいとか
誰かにあれをして欲しいとか
あの時ああして欲しかったのにとか
自分が自分であること、自分をやってるのは自分だということを忘れてしまうと、どうしようもなくしょうもないことで落ち込んだりする。何もかもから逃げたくなる。
立ち向かえと言われたいわけではない
励まして欲しいわけでもない
結局誰かに何かを求めているようで、それが何かわからない。
やっぱり自分でどうにかしたいのだ。
何かに救われたいとか
誰かにあれをして欲しいとか
あの時ああして欲しかったのにとか
自分が自分であること、自分をやってるのは自分だということを忘れてしまうと、どうしようもなくしょうもないことで落ち込んだりする。何もかもから逃げたくなる。
立ち向かえと言われたいわけではない
励まして欲しいわけでもない
結局誰かに何かを求めているようで、それが何かわからない。
やっぱり自分でどうにかしたいのだ。
・素敵だなと思った歌
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪冴えて 涼しかりけり
道元
四季それぞれに比べようのないすばらしさがあるということ。
あるがまま、当たり前のことを受け入れること。
・「いい人」ということば
「あの人はいい人だね」と言う時、たいていその本質は「あの人は自分にとって都合の良い人だ」と言っている。
「接していて気持ちの良い人だ」、「本当に心が善い人だ」という意味で使いたい。
・所作は心の鏡
行動や仕草が乱れ、他人を不愉快にするような人は、心が乱れていると考えて間違いない。
澄み切った心で余裕を持った人というのは決してそんなことはしない。
心は見えないが、所作を通してその有り様は見える。
今日も1日ありがとうございました。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪冴えて 涼しかりけり
道元
四季それぞれに比べようのないすばらしさがあるということ。
あるがまま、当たり前のことを受け入れること。
・「いい人」ということば
「あの人はいい人だね」と言う時、たいていその本質は「あの人は自分にとって都合の良い人だ」と言っている。
「接していて気持ちの良い人だ」、「本当に心が善い人だ」という意味で使いたい。
・所作は心の鏡
行動や仕草が乱れ、他人を不愉快にするような人は、心が乱れていると考えて間違いない。
澄み切った心で余裕を持った人というのは決してそんなことはしない。
心は見えないが、所作を通してその有り様は見える。
今日も1日ありがとうございました。
