皆さんこんにちはコート君です

本日もどうぞよろしくお願いいたします

 

今日は亡くなった後によく行われる「人生の振り返り」に関してのご紹介になります

 

臨死体験者の報告では必ずこの話が聞かれますが、今日はその内容をより詳細に、より具体的に書かれていることをご紹介します。かなり強烈なのでぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しく思います

 

「生きがいの創造」飯田史彦さんの中からの抜粋になります

 

では!

 

 

地獄とは人生回顧の時間

 

 

「だめです、お亡くなりになりました」

 

 

レイモンドムーディー博士が典型的な臨死体験として認定する1部をご紹介しましょう。

雷に打たれて心臓が停止したある男性は指導役の意識体たちの事を「光の存在」と表現しながら、次のように証言しています。

「ダメです、お亡くなりになりました」と医者が妻のサンディに言った。

俺は死だんだ、と思った。体から離れていたし、正直なところもう体には戻りたくなかった。頭にあったのは救急隊員たちがたった今シーツをかぶせたあの遺体とも関係がないのなら、この私はいったい誰なんだろうということだけだった。

 

サンディはしゃくりあげながら、私の遺体の足を優しく叩いていた。

同僚のトミーは呆然としており、救急隊員たちは自分たちの失敗を感じていた。 「そんなに自分を責めないでくれよ、君らのせいじゃないんだから」と、私は思った。

 

その時、救急車の前方に目を向けると、私の遺体の上に点が見えた。

そこからトンネルのようなものが姿を現し、まるでハリケーンのように目の前に迫ってきた。面白そうな場所に思えたので、私はトンネルのほうに向かった。実際には、私が動いたわけではなくトンネルの方がこちら近づいてきて、私を包み込み、間もなく何も見えなくなった。

 

暗闇の先に目を向けると、光が見えた。その光に向かって、私は精一杯の速さで進んでいった。やがて暗闇が消え去り、いつの間にか私は、光輝く楽園の中に立っていた。

私は自分の手を見てみた。それは半透明でキラキラと揺らめき海面のように流動性のある動きをしていた。

胸を見下ろしてみると、胸も半透明になっており、そよ風にたなびく細い絹糸のように揺れていた。私は、あたりをみまわしてみた。下には私と同じような他の存在たちがいた。とまどっているようなその存在たちは、私よりもずっと遅い速度でゆらめいていた。彼らを見ていると、こちらのゆらめく速度も落ちてきた。

 

自分の振動が減っていくのは不愉快だったので、私は彼らから目をそらした。今度は上に目を向けた。そこには、もっと多くの存在達がいた。彼らは私よりも明るく、より多くの光を発していた。彼らを見ていると私のゆらめく速度が上がっていった」

 

 

人生の回想を促される

 

 

この男性は、その後、彼のすぐ目の前に近づいてきた「光の存在」をまっすぐに見つめます。彼によると、どの「光の存在」にも性別が感じられなかったそうです(例えば仏像には性別がありません。

仏像とは本書で言う「光の存在」や「指導役の意識体」たちのことをわかりやすく表現したものだとも考えられます。そして彼は次のように終えてきたばかりの人生を回想し反省するようなよう促されます。

 

回想が始まった・・

「光の存在が私を包み込むと、私の全人生の回想が始まった。ダムが崩壊し、脳裏に仕舞いこまれていた記憶が全部溢れ出したような感じだった。この人生の回想は、楽しいものとは言えなかった。初めから終わりまで、私は胸の悪くなるような現実を突きつけられることになった。私は実に嫌な人間だったのだ。利己的で意地の悪い男だった」

 

この男性は、心臓が停止した状態のまま、子供時代から中年を迎えるまでの人生を、事細かに回想しました。他人や両親に対して自分がとった言動を再体験し、同時に自分が傷つけた相手の気持ちになって、自分の行動を客観的に評価していったのです。

 

他人と喧嘩した事を一つ一つ再体験していたが、思い返している時の私は、なんと被害者の立場に立っていたのである

「まず最初に目にしたのは、荒れた子供時代だった。そこには、意地悪な自分の姿があった。他の子の自転車を盗んだり、彼らを学校でいじめていた。

 

中でも小学校で、身体に障害のある生徒をいじめた時の場面が最も鮮明だった。クラスの他の生徒たちも彼をいじめていたが、私のいじめ方がいちばん酷かった。当時の私は、からかっているだけの気持ちだったが、その一件を思い出しているとき、私はその生徒の体に入り込み自分が与えた彼の苦しみを感じ取っていた。

光の存在に包まれて自分の人生を振り返りながら、私は自分が他人と喧嘩した事を一つ一つ再体験していたが、思い返している時の私は、なんと被害者の立場に立っていたのである」

 

彼は、他人をいじめる自分の姿を徹底的に見せつけられると同時に、両親に対して自分がとった、ひどい仕打ちも思い知らされます。

 

こんな悪童を持った両親の心の痛みが手に取るようにわかった

「私が両親に与えた悲しみ、痛みも感じ取った。私は手に負えない子供だった。両親が私に説教したり、私を叱ったりしても私は両親のしつけを全く相手にしていなかった。両親は私を説得しようとしては、私に裏切られていた。人生を回想したその時になって、こんな悪童を持った両親の心の痛みが手に取るようにわかった」

 

頭が吹き飛ばされた時の彼の混乱と、体を離れ、もう二度と家には帰れないのだと気付いた時の、彼の悲しみを感じ取った。

さらに、ベトナム戦争に参加して、敵兵を射殺した場面を次々と思い出した彼は、その時の心境をこう語っています。

「私は引き金を引き、ライフルの反動を身体に受けた。一瞬、間をおいてから、彼の頭が吹き飛び、その体ががっくりと倒れ込んだ。当時、私が実際に目にした光景はそういうものだった。

ところが回想したときは、私はその北ベトナム軍の大佐の視点から、この事件を体験していた。彼が受けたはずの体の痛みは感じなかったが、自分の頭が吹き飛ばされた時の彼の混乱と、体を離れ、もう二度と家には帰れないのだと気付いた時の、彼の悲しみを感じ取った。そして感情の連鎖反応が起こり、一家の働き手を失ったと知った時の、彼の家族の悲痛までもが伝わってきたのだ」

 

しかも、自分が直接に手を下したわけではなくても、自分が輸送した武器によって、多くのベトナム人が殺される光景や、父親が殺されたと知って泣き叫ぶ子供たちの姿を、徹底的に光の存在から見せられます。そしてこの男性は猛烈な反省を促されました。

「そこで人生の回想は終わった。人生を回想し終えると、今度は、今見たことを振り返り、反省し、結論を出す時になった。

私は、すっかり恥じ入っていた。自分が送ってきた人生が、実に利己的なもので、他人に救いの手を差し伸べることなど、まずなかったという事実を思い知らされたのだ。人生の中心は自分だけだった。そう、自分1人のための人生だった。周りの人間のことなど眼中になかったのだ。光の存在を見つめた私は、悲痛と恥を深く感じていた。非難は免れられないと思った。私の魂を打ち震わせるような、すさまじい非難を受けるだろうと覚悟した。人生を振り返って目にした自分は、全く価値のない人間だった。非難以外には考えられなかった」

 

 

基本的に人生は自己評価である

 

ここで興味深いのは、あくまでも人生を評価するのは自分自身だということです。指導役の「光」が「あなたは合格」とか「あなたは30点」などと採点する訳では無いのです。指導役の光はあくまでもアドバイスを与えてくれるだけであり、直接的に出題や採点を行って、人間を審判したり処罰したりする存在ではありません。出題も採点も意識体達(つまり人生を終えた私たちが自分自身で行うわけです。

このように、基本的に人生は自己評価であるということが実は重要な意味を持っています。それは後に述べるように人生は自分で計画するものであり、人生で出会う様々な試練問題を出題するのは自分自身であるという仕組みがあるからこそ、その採点や評価も自分で行うべきなのだということになるからです。

 

しかしホイット博士の被験者たちも証言するように、指導役の意識体達は、罪を悔いる私たちをみやみに非難したりはせずに、自分自身で十分に反省するよう、見守ってくれています。

 

 

どのくらい愛情を与え、愛情を受け取ってきたか

 

「光の存在をじっと見つめていると、私に触れているように感じた。その接触から、私は愛と喜びを感じ取った。それは、おじいさんが孫に与えるような、無条件の思いやりに等しいものだった。そしもう一度、私は反省の時間を与えられた。私は人にどのくらいの愛情与えてきたか?そして人からどのくらいの愛情受け取ってきたか?

その時目にしたばかりの回想から考えると、善が一に対して、悪が20という割合だった」

 

そして十分に反省したことを見届けると、指導役の意識体達は、一見してむしろ暖かいメッセージを贈り激励してくれるのです。

 

 

地上に善を創造するために生まれていく

 

「反省したことによって、確かに痛みや苦悶を感じたが、そのおかげで、人生を正しく歩んでいくための知識が身についた。光の存在からのメッセージが、頭の中に響いた。『あなた方人類は、力あるスピリチュアルな存在で、地上に善を創造するために生まれていくのです。善は不遜な行為からは成し遂げられません。人々の間で交わされる、優しさの一つ一つから成し遂げられるのです。小さな事が積み重ねられた結果なのです。なぜならそれは無意識の行為であり、あなたの真の姿を映し出しているのです」

私は元気付けられた。単純明快な秘訣が分かったのだ。つまり人生の終りに私がもらえる愛情の深さと善意は、人生の中で私が人に与えてきた愛情と善意に匹敵するということ。それがわかれば、これから自分の人生をより良いものにできるでしょう!と私は光の存在に言った。しかしその時自分はもう戻れないのだ・・ ということに気づいた。私は雷に打たれて死んでしまったんだ!」

 

 

やり残したことを果たすように!

 

 

その後この男性は、「光の存在」から再びこの世に戻って、やり残した事を果たすよう指示され、奇跡的に息を吹き返します。

「私はいつの間にか廊下の上に浮かんでいた。下には人を乗せた車輪付きの担架が置かれていた。シーツで覆われたその人は身動きすることもなく、じっと横たわっていた。死んでいたのだ。白い服を着た2人の係員がエレベーターから現れ、その遺体の方やってきた。2人は煙草ふかしながら私が漂っていた天井に向けて、煙の塊を吐き出していた。あの遺体を安置所まで運んでいくんだな、と私は思った。彼らが遺体のところへ到着する前に、私の同僚のトミーが戸口から現れ、担架のわきにたたずんだ。その時に私は、シーツの下の人間は自分なんだということに気づいた。私は死んでいた。今まさに遺体安置所へ運ばれようとしてるのは私なのだ。というよりも私の亡骸なのだ」

 

 

再び肉体へ

 

彼は家族と医者が到達するのを上空から観察し、家族が自分の生き返りを願う祈りの気持ちに包まれるようにして、全身に火傷を負った自分の肉体に再び入っていきました。

 

「肉体に戻った途端、そこに宿っていた苦痛が押し寄せてきた。再び火あぶりにされたようだった。表も裏も焼き尽くされた体は激痛に襲われていた。体を動かすことができなかった。係員が遺体安置所に運ぼうとしているというのに、体が動かせないというのは最悪の事態だ。残る手段はたった1つしかなかった。私はシーツに息を吹きかけた。『おい!生きてるぞ、奴はまだ生きてるぞ!』とトミーが叫んだ」

 

 

妹の失望や悔しさを、まるで自分のことのように感じました。

 

 

メルヴィンモース博士の調査によると、23歳で臨死体験をしたある女性はこのように回想します。「光の存在は私を包み込み私の人生を見せてくれました。これまでしてきたことを全て見て、反省するわけです。なかには見たくないこともありますが、終わった事だと思えばかえってほっとします。特に覚えているのは、子供の頃に、妹のイースターバスケットを横取りしてしまったことです。その中のおもちゃが欲しかったものですから。でもあの回想のときには、妹の失望や悔しさを、まるで自分のことのように感じました。私が傷つけていたのは自分自身であり、喜ばせてあげていたのもまた自分自身だったのです」

 

 

自業自得の原則

 

「そこには、人を傷つけてばかりの私の姿がありました。そして私が傷つけた人たちが、今度は別の人を同じように傷つけている姿がありました。この被害者の連鎖は、ドミノ倒しのように続いていって、また振り出しに戻ってくるのです。そして最後のドミノはもともとの加害者である私だったのです。ドミノの波は向こうへ行ったかと思うとまた戻ってきます。思わぬところで、思わぬ人を私は苦しめていました。心の傷が耐えられないほど大きくなっていました

 

 

 

5年間という短い人生が目の前に再現された

中には、自らが臨死体験を経験し、それを公言してる医師もいます。スウェーデンの大きな大学病院の講師であり医師である、ゴーレングリップ博士はその人です。グリップ博士は、 5歳の時に外科手術を受け、その最中に呼吸困難起こしました。手術台の上に横たわったままで、彼は目の前に広がる道と、そこにいる光の存在を発見します。その存在から強い愛が発せられてるのを感じ、それまでの5年間という短い人生が目の前に再現されたのだそうです。その時のことをグリップ博士はこのように証言しています。

 

 

弟の感情を知る

 

「それまでの人生で起こったことをすべて再体験し、光の存在と一緒に見ていたのです。ほとんど私は、私と、私の嫉妬の的だった弟に関する出来事でした。私たち2人の感情のやりとり、例えば弟への嫉妬、私が弟を殴ったときの私の得意げな気持ちや、理由もなく殴られた弟の驚きと怒り、そし私を殴り返したときの弟の勝利感などでした。また私が親切なことをしてあげた場面では、弟に対する愛情、弟の驚きと幸福感なども感じました。そして自分の行動がもたらす結果を、思い知りました。それまでの人生を、都合よく解釈したり悪い方に考えたりしないで、ありのままに直視することのできる強さをくれたのは、光の存在から発する愛だったのです」

 

なんと、たった5歳の子供であっても、終えかけていた5年間の人生を、すべて見せられて反省を求められたのです。そしてこの時に光の存在が与えてくれた「愛」と「与える心」こそが大切だというメッセージが、当時のグリップ少年に医者になろうと決心させたのだそうです。クリック博士はこのような自分の臨死体験について次のように語っています。

「大切なのは私はこの経験を通じて、生きていくことの意味を理解したということです」

 

 

さてさていかがだったでしょうか みなさん

 

自分がしたことをすべて相手の側に立って受け取る時間だったんですね

喜びも悲しみもすべて・・・

 

もちろん無理ですけど、出来れば出来ればこの内容をプーチンにも聞いてほしい 生きている間に

 

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました