SWINGのささや記つぶや記 話題、1 家内の月命日。
今日は中国から飛来した黄砂が空を覆って
黄色に染まっています。
話題、1
家内が旅立ってから8カ月が経ちました。
49年間毎日側にいて、家事一切を取り
仕切ってくれ、家族の中心となっていた。
いるのが当たり前、の存在があの日を境に
目の前から消えてしまった。
人生の流れの一つの区切りと割り切っても
予定していた私の区切りをあまりにも早く
実現するとは予想していなかった?
子供や孫もなんとか独立し親元を離れて行った。
これからが二人の青春の復活と思っていた!!
家庭第一の家内が我慢していた、やりたいことを
この3~4年前から少しずつ実行するように勧め
老人大学やパソコンの講習会、歴史の場をめぐる
講習会、高齢者の介護等に積極的に参加、
家族からの独立を果たし生き生きとしていた。
2年前の健康診断で異常を発見、再検査の
結果子宮癌であることが発覚、余命半月から
1年であると告げられる。
でも、自覚症状もなく、山登りも出来るほどの
健康体で、例え癌であっても治してみせると
あまりショックは無かった様子?
再々検査で子宮全摘出を宣言されても
手術を拒否、
自分の力で治すと自然療法を選ぶ。
それから1年を経過、別に弱った様子もなく、
元気に飛び回っていた。
しかし癌は静かに進行していた。
死の前年、私の3歳下の実弟が事故死、
それを追うように
2か月後に弟の嫁が心筋梗塞で旅立つ。
この頃から家内が腹痛を訴えるようになる、
私の勧めで最後の望みを託し病院を訪ねるも
午前9時の開院から予約なしと言うことで
午後3時まで放置される、私が付いていれば
よかったのですが、病院へ付いたと言う安心感から
「終われば電話するから帰って、」と言われ
迂闊にも自宅待機をしていた。
病院から近い娘には電話を入れて病院へ行くよう
依頼する。
それにしても、受付が目の前にあり
家内の苦しむ様が見えている筈?
それなのに出てきて様子を見ることも
無く放置されていたらしい。
これにはある事情がある、初診の時手術を
拒否したことが、子宮癌の名医と言われている
主治医のプライドを傷つけたようです。
その際に「悪化してきても知らないから」と
念を押されたそうです。
まさかそれを本当に実行するとは?
それから6か月後、弱っているのが目に見えてくる。
それでも死の1週間前には食事の支度から買い物
迄こなしていました。
私がすると言うのに「爺には出来ない」の一言
洗いものだけしていました。
当日午前中は歩いて自力で移動して
いたのですが午後からは立てなくなり
ました。
でも気はしっかりしていてあれこれと寝床から私に
指示していました、異変を感じ午後3時娘を呼び
駆けつけてきました、それで安心したのか
眠っています。
午後4時急に「胸が苦しい息が出来ない」と
訴える、私は体を抱き上げて背中をさするが
苦しそう。慌てて救急を手配10分位で到着
しかし受け入れ病院が決まらない。
20分以上かかり病院へ、私はまさか
今日がその日になるとは思わず
病院が決まったことに安心し、
入院の必要なものを探し、持ってゆく。
しかし時すでに遅く、皆が必死に
マッサージを繰り返している。
ふと心電図を見ると脳波は直線を示している。
脳死である、でも私が足をマッサージすると心電図が
波形を示す、心肺の方も上昇やめると
スッと元に落ちてしまう。
やがて後方で見守っていた女医さんが
脈をとり死亡確認を告げられる。
死顔は昔の若かった頃の奇麗な顔に戻っている。
不思議ですね74歳の顔ではない、
あれだけ苦しんで救急車内では「じージー」
と叫んでいたそうで、最後は私が側に
いてやれなかったことが悔やまれる。
でも、あの心電図は私を確認した証しだと
信じている。
その後に続く葬式当日の「助けてー」メールも!!