一日中そぼ降る雨でしたが、夕刻買い物に出かける
車のフロントを激しく叩きつけるように降り出す。
雨の神様何かお気に召さないことでもあったのか?
シグナス混声合唱団「ヤマトタケル」
以下はウイッキーぺディア百科辞典より
さて、3月25日大阪府立狭山池博物館ホールにて
演奏するオラトリオ「ヤマトタケル」
の「タケルは」記紀に72年~113年頃に登場する
第12代景行天皇の皇子、幼名小碓命
幼少のころから乱暴者として知られていた。
西征
- 古事記
- 父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の行き違いから、小碓命は素手で兄をつまみ殺してしまう。そのことで小碓命は父に恐れられ、疎まれて、九州の熊襲建兄弟の討伐を命じられる。わずかな従者しか与えられなかった小碓命は、まず叔母の倭姫命が斎王を勤めていた伊勢へ赴き女性の衣装を授けられる。このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃であった。
東征
- 古事記
- 西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。倭建命は再び倭姫命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く。倭姫命は倭建命に伊勢神宮にあった神剣天叢雲剣(草薙剣)と袋とを与え、「危急の時にはこれを開けなさい」と言う。
- 日本書紀
- 当初、大碓命が東征の将軍に選ばれたが、彼は怖気づいて逃げてしまい、かわりに日本武尊が名乗りを挙げる。天皇は最大の賛辞と皇位継承の約束を与え、吉備氏や大伴部氏をつけて出発させる。日本武尊は伊勢に寄って、倭姫命より天叢雲剣を賜る。
- 最も差異の大きい部分である。『日本書紀』では兄大碓命も存命で、意気地のない兄に代わって日本武尊が自発的に征討におもむく展開となっている。天皇の期待を一身に受けて、出発する日本武尊像は栄光に満ちており、『古事記』の涙にくれながら旅立つ倭建命像とは、イメージに大きな開きがある。
以上はGOOウイキーぺディア百科事典より転載。
シグナスが歌っている「タケル」は古事記より起稿
されています。
こうして対比して見ますと、現代の歴史認識にも
二通りあるように、1200年以前にもこうした二通りの
認識が有ったのかと驚きですね。
戦前派、私たちの習った歴史は「日本書紀」、
私が認識している「ヤマトタケル」は荒らrしく勇ましい
英雄として認識しています。
この曲を初めて歌った時は違和感が有りました。
泣き虫で弱音を吐く「タケル」が納得できません。
でも、古事記の説が人間らしさがあり、
真実かな、と思うようになってきました。