なぜにそのかたち。 | しるそばのうそ日記

なぜにそのかたち。

  このくそ暑いなか、道端にパトカーが止っている。 その前に、2台の車が止まっているところを見ると、どうやら、接触事故でもあったらしい。 ご苦労なことである。
 
  人の良さそうなおまわりさんが、書類になにやら書き込みながら、話を聞いている。 別に大きな事故だとは思えないし、滞りなく処理されていくのであろう。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ぼくはどうしても

気になってしまうのだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


このパトカー
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


悪者っぽくない?
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  これは、単純に見た目の問題なわけだが、この手の、ヘッドライトがつり上がった眼のように見える車は、パトカーには向かないように思えるのである。
 
  たとえば、どんなに人の良さそうなおまわりさんであっても、
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  こんなだったら、なにも相談する気にはならないだろう。

  そうであるならば、
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


このパトカーどうよ?
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  と、なるわけだ。 こんなパトカーは絶対に制限速度を守らないし(偏見)、一時停止もしない(間違い)。 それどころか、ボーリングのピンのように人をはねても、「ストラーイク!!」とかいって、げらげら笑っているに違いないのである(暴言)
 
  ぼくは、デザインというのは、すべて目的や、意味があるものだと思っている。 そんなぼくがデザインの話をする時に決まっていうのが、2丁のハサミの話だ。 目の前に、まったく同じ金属で作られた2丁のハサミがあるとする。 これらは、まったく同じ製法で作られているのに、片方はとてもよく切れて、もう片方は全然 切れない。 さて、この2丁のハサミの違いはなんであろうか? それは……
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


形が違う。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  その一点なのである。 『きちんと切れる形をしているかどうか?』これがデザインなのだ。 だからぼくは、機能美以外のデザインを、デザインとは認めない。 『かっこいいけど使いにくい』は、デザインが悪い商品の典型である。 その形をしているのに理由がないものを、デザインとは呼んではいけないのだ。 すべてのデザインには意味がある。 要は……
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


このパトカーから

降りてきたおまわりさんと
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


このパトカーから

降りてきたおまわりさん。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どちらがきちんと

話を聞いてくれそうか?
 

 

 

 

 

 


  …… というのが、パトカーに求められるデザインだと思うのである。 とどのつまり、ぼくがなにを言いたいのかというと
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


このパトカー嫌い。
 

 

 

 

 

 


  …… ということにはなってしまうわけだが。
 

 

 

 

 

 


ぼくの人生につづく。
 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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