みなさんこんにちは
自分にとって「メリット」がある!
人間が行動するときの目的。原動力。
どんなことも、
メリットがあると判断して行動をとっているそうです。
じーっとみてみると、
必ず「メリット」がある!
子どもが不登校になって、苦しくて、悲しくて、八つ当たりしてる。
こんな時も、私にはメリットがあるんですよ
それは、
「私はちゃんと考えてますよ!」
「旦那みたいに知らんぷりんじゃないですよ!」
「親として苦しいぞ、悲しいぞ、息子よ見ろよ!」
「もしかしたらそれで改心するかも!」
ってアピールできるメリットでした。。
びっくりぽん!
それと。。
ものすごく自分を責めて自信がなくて。
「私は傷ついてるねん。。これ以上傷つけないでね。。わたしを責めないで。」
予防線アピール。
こんなに可哀想な私は、疲れて家事が完璧になんてできないよ。
「私をもっと気遣ってほしい。もっと手伝ってよ。」
協力が足りないんだよアピール。
アピールが成功してるのか…
息子が不登校になってしばらくして…
旦那が家事を手伝うようになりました
私にビビりながら
でも、それが更に腹立たしい
いつまでも、いたちごっこ。
あれ?もっとエグいメリットあるわ…
自分と向き合うと見えてきました。
「あ!私は怖いんだな!!」
「役に立たない自分を知られるのが。」
「子どもを不登校にした母親と思われるのが。」
「旦那や娘や世間に知られたくない。」
ホントは、そのために「一生懸命やってる」「怒ってる」「傷ついて可哀想」と見せる必要があったんです。
「自分の恐怖から逃れたい!って欲求を満たすため」のメリットは、最強かもしれません
その事に気がつくまで、
半年くらい消費しました
突き詰めてみると。。
今までの人生の縮図のように感じました。
いつも、他人からの評価が怖くて、
まるで、仮面を被っているかのように振る舞って生きてきたって気がついたんですね
言いたいことを我慢して。
その人に合わせて考えを変え。行動を変え。
犠牲になるのが偉くて。
限界なんてない。
もっとやらなきゃ。
疲れていないと、一生懸命やってないって思われる。
余裕そうに笑っていたら怠けていると思われる。
苦しくても笑顔で周りに気遣いを。
エヘヘオホホとただ幸せじゃダメ!
苦労は買ってでもしろ!
…。
こんな仮面をつけているメリットが、大きかったんですね。。
その仮面が私の価値だと思いこんでいました
ウソみたいなホントの私。
こうやって生きてきました。
もちろん、
子どもが不登校になったら誰でも悩むし、辛いです。
ホントのホントに
そこだけだったら、偶然かもね。
だけど。私の人生。
ずーっとこんなだったんですよね!?
自分事の時は、
力ずくで乗り切って、更にパワーアップした仮面をつけてきてしまいました
仮面をつけたメリットが、また上乗せされたってこと
きりがないし。ムリなんです。
だから。
もう、その仮面を外す勇気を持ちなさいな
って現象が不登校。
人間は、無意識にメリットのある行動をとるんですから
私には、仮面は必要ないって、ありのままの私でいい!って思えていかないと。いつまでも、仮面をつけていることのメリットが勝ってしまいます
旦那も、娘たちも、息子も。
役に立たない私でも良いみたい
家事がおろそかでも。
不登校のことが分からなくても。
迷惑かけちゃっても。
大丈夫みたい
最初は、恐る恐るだったけど。
「私は仮面をつけなくても価値がある存在だー」
って信じてみました!
そしたら、
屁理屈こねて怒っていなくても良くなりました!
辛い時は休めるようになりました!
手伝ってほしいと頼めるようになりました!
自分に正直に、素直に生きてみると、
歪みがなくなって、無理がなくなりました!
私が行動するときのメリットが、
シンプルになったんです!
私が!
怒る姿を見せたいから怒る!
疲れたから休むためにサボる!
ケンカして悪かったところは謝る!
そんな我慢しない、理想とは程遠い私でも、家族は受け入れてくれました。
今まで必要だと思っていた仮面は、
私の思い込みだったんですね!
そうやって、仮面が外れていくと。
自然に家族関係や、子育てがシンプルになっていきました
それこそが、
不登校の回復にむけての土台になりました
不登校は苦しいです。
でも、根本的な苦しさのもとは、
それぞれの人の内側にあります!
自分らしく、仮面をかぶらずに生きていますか〜?
あなたの中の。
不登校の苦しみを感じ続けるメリットはなんでしょうか?
見つめてみてくださいね
どうか、
不登校の親御さんたちが元気になりますように🙏