ヘルパーとの関係について

多かれ少なかれ悩んだり、「ん?」と思う場面がある。

 

たとえば、友達でもないのに

やたらとタメ口が多い人。

 

付き合いが長くなり、

ついつい何でもかんでも言う人、

 

心配しているふりで実は、根掘り葉掘りいろいろ聞いてくる人、

大した知識や技術もないのに上から目線の人、

 

ヘルパーも利用者も人間だから、いろんな人がいて当たり前だし、

こちらは一応、お世話になっている身だから

嫌な顔もできないし、それなりにうまく付き合おうと努力する。

 

それでも…

 

「それは、ちょっと違うんじゃない?」とか、

「それってあなたが訊くべきこと?言うべきこと?」と

時々、首を傾げたくなる。

 

友人の中には

「そういうことがあるから極論は障害者に生まれた自分を恨むしかないね」と

苦笑して諦めて生きている人もいる。

 

無論、そういう考え方も一つの考え方として

決して否定はしない。

 

否定はしないが、

あまりにも淋しい。あまりにも切ない。

 

私は、その言葉を聞いたときに

どう返答したのか覚えていないが、

少なくとも個人的には、そんな考え方で一生を終えたくないと思ったのは確かだ。

 

障害があること、

不自由があること、

日常的に多くの人の手がなければ生きて行けないこと、

 

これは、まぎれもない事実だ。

 

この事実と現実を今更、どうこうしようなどとは

微塵も思っていない。

 

私が言いたいのは、

 

障害があろうがなかろうが、自分という存在を

自分自身も、周りで支援する人も

そのまま受け入れる、認めるということだ。

 

ヘルパーの中には、自身の無意識下において

 

「障害者なんだから、おとなしくしていればいいのに」

「どうせ何もできないんだから…」と

 

見下している人もいるだろう。

 

恐いのは、ヘルパー自身が、

自分の無意識下の、それらの意識に

全く気付いていないことだ。

 

そして、日常のいつもの支援の場面の際に

 

一気に噴出することもあれば、

何気ない言動に綻びが出ることもある。

 

そんなときは、

こちらが一歩引いて対処するようにしているが、

相当、堪忍袋の容量が大きくなければやっていられないなぁ…と思うことが

たまにある。

 

堪忍袋の緒が切れる前に

ヘルパーさんたちには時々でいいから、研修などに出向き、

 

障害当事者の立場、

目線について

繰り返し、繰り返し

学習していただきたい。

 

それが、白妙の限りなくグレーに近い本音でございます。

 

今日もお読み戴きましてありがとうございます(*˘︶˘*).。.:*♡