曇天だ 雨天だ 雷鳴だ・・・・

そんな日が続き

おふらんす「ここ」の今年の夏は

まだ始まった・・・・と手放しで喜べぬまま

日が1年で1番長い時季を享受せぬまま

いつの間にか夏至を過ぎてしまった・・・・。

 

昨夜は久々に空に雨雲が認められなかったので

夫婦で10か月ぶりになるか? な 徒歩圏内にある大きな公園へ食後の

夜散歩に出かけた

 

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ここは大きな池に木が鬱蒼と覆い被り

何とも幻想的な 森のような公園だ

 

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大きく成長したトウヒが

重い荷を下ろしたそうに腕(枝)をダラン・・・・と下げている

 

「いいよ いいよ 休憩していいんだよ・・・・」

 

なんて 心で声をかけながら

 

 

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葉裏の葉脈や

池に映る様を愛でながら

歩く

 

その時々に相応しい・・・・と思う曲が

自然と脳内に流れる

 

だから 夫婦で共に歩いていても

会話は基本ない。

 

双方が別のものに心を奪われている

 

それでも 一緒にいる のが 私「は」心地よい

(「は」を用いるのは 夫がどうだか知らないから(笑))

 

 

 

一昨日 夫が日本映画のチケットを予約入れておいてくれた

このフランスの決して大きいと言えない街にも

時折日本映画が上陸して拝見する機会がある

 

「見る?」 と聞かれたので

「見る」 と応えた記憶はあるが

 

それが 誰の何という作品だったか

まるっきり記憶にもなく

時間が来たから 夫について近所の映画館に足を運んだ

 

何とも自主性のない(呆)

 

ここのところ良質の睡眠がとれず

ずーっと脳内がぼやけているような状態が続いている

 

だもの

 

映画が始まってもあえて 題名も気にしなかった

 

 

映画冒頭 誰かが見上げているのだろう

森の木の映像がずーっと続く

 

その「様」は 私の日常の風景に頻繁に現れる絵だから

いつものように んぼ~・・・・と一緒に見上げている

 

 

枝の広がりが

やがて毛細血管のようにも見え

美しくも ちょっと不安を煽るような音楽が

私の鼓動にも作用してくる

 

モノクロではあるが

葉の残る枝と 葉が既に落ち切った枝の混在が

生きるもの と 朽ちて逝くもの が

入り組んでいるように感じ

 

さらに鼓動は速まる

 

とてつもない長回しだが

私はそこに哲学的命題まで重ねて

自身に起こった悲劇にも重ねて

 

映画をみている私と

それぞれ思考する私と脳内は幾重にも分割されていくように感じた・・・・

 

「ただものじゃない」 映画なんだ・・・・

 

 

そのとき ようやく気付いて

 

夫にボソっと

 

「これ 誰の映画」 と問うた

 

 

「ヴェネチアで銀獅子とった・・・・・」

 

 

「あ あとでいい」

 

 

 

ぬぼ~・・・としていた私はいつしか完全に覚醒させられ

映画のほとんどの時間を全身硬直に近い緊張感をもってみる

 

見知った顔の俳優は誰1人でておらず

映画・・・・・・というより

実際に事象を覗き見ているようなリアルさ

 

 

音楽とカメラワークによって作り出される不穏な空気感

 

絶対何か起きるよね・・・・・ という

恐怖感がよけい全身の筋肉を縛ってゆく

 

だが その予測を裏切り続け

彼らの日常が続いていくように 見せかけて・・・・・

 

 

から の独特のラスト

 

 

起承転結の「結」が行方不明・・・・・とでもいおうか

 

いわゆる結末は見る者へ委ねる系ではあるが

それにしても

 

え?

 

 

その後 エンディングロール流れる中

私は今見た映画の記憶を必死に逆回転させる

 

私の性質上

細部の表現まで拾いにゆく人間であるが

 

それにしても

 

「え?」

 

 

素直な伏線回収だと認識していたシーンまで

自分の理解力に自信がなくなり

「あれ メタファーだった?」 

と 夫に確認を入れるほど

 

 

その帰路

珍しく 夫婦でかなり語り合った

 

 

ああでもない こうでもない

 

所謂 委ねる系が好きな夫婦だというのに

それでも 何かの解を求めて・・・・・

 

 

 

可能なら2度3度

確認作業のために映画館に出向きたいほどだ

 

 

「結」は人の数だけあってもよいと思う

が 冒頭の長回しと

ラストの女の子と鹿の神々しさ

凍った空気の「白」の風景

あまりにも美しい映像で

それだけでも 見た甲斐があった

 

 

 

まだ日本でも公開中ですよね

 

お薦めです