数日前にフランスの自宅に戻ってきた

 

危惧された 進行性のすこぶる速い癌 の疑いは

何度かの検査の結果「無い」と診断された

 

まだ私は当分「生きる」らしい。

憎まれっ子世に憚る

私もまさにそのクチである

 

 

…病かも?・・・・

 

という本来ならすこぶる不安になるであろう検査結果も

子に再会できるのであれば・・・・と

本人は一切狼狽えることはなかったつもりだったけれど

フランスを離れる前日

いつも目にしている風景が突如色を失ったように感じた

 

・・・・・否 フランスは元来冬は色が失せているので

あくまで心情的なものなのだけれど

 

 

 

 

夫が車で送ってくれた早朝 日の出前のTGV専用駅(岐阜羽島のような)の

ボワン・・・・と遠慮がちに灯が点灯する静寂しきったプラットホームから

続く線路の先は闇に消えていた

 

その様が何となく「生」と「死」の境目のように感じ

その時だけは少々センチメンタルになった。

 

 

 

今回 無事に死に至る病無し・・・・の私を

駅のホームで向かえる夫

 

「いた!」

 

電車の扉が開くや否や

私を見つけると

嬉しそうな声をあげる夫

 

鼻腔の奥がツンとする

 

帰宅した自宅の娘のお祈りスペースの線香立てには

線香の燃え滓が無数に残り

日々 夫が手を合わせていてくれたことを物語っていた

(普段は私が声をかけないと線香をあげない人が・・・・・)

 

 

もしかしたら・・・・・・の今回の検査結果

私より夫のほうがはるかに不安に思っていたのかもしれない

 

 

遺される側の辛さを「また」 彼に味わせずに済んで

本当によかった・・・・

 

 

imageimage

 

 

留守にしていた1か月の間に

フランスはすっかり季節が「春」へと移行していた

 

「爛漫」

 

そんな言葉がぴったりなほど

街の中の街路樹も

草むらも

花々で彩られている

 

そんな花を愛でながら

自然の心は浮足だってくる

 

重いコートを脱いだ後の解放感のような

目先の危惧からの解放と

 

色失せた鉛色の空が

再び光が射して 青色を取り戻したような

「生きている」喜びを

享受している

 

 

子を慈しみ

育て

共に見送った同士(夫)と

これからの人生を

もっと彩のある豊かな風景に変えるべく

私ももっと人生を楽しむべく

この春 リ・スタートを切る為の

「身近」に死を感じる機会だったように思う

 

愛しい人と慈しめるような生活を続けてゆこう・・・・。