1週間ほど前の話

 

何を思ったのか?

少なくとも冷静に考えると

ここのところで1番!暑かった日

私はわざわざ電車に乗って大きな街へ出かけた

それも熱を吸収する「黒」の袖なしワンピを着て

 

スマホの天気画面では35℃程度ではある

(上海で多湿の42℃2週間ぶっ続けを経験すると屁・・・ではある)

が、欧州の日差しの強さっと言ったら!

アジアの夏に私が居たらゆで豚になるが

欧州のソレだと 豚のグリルが出来上がる

(ん。我ながらうまい表現だ・・・・)

アジアのそれに比べれば不快ではないが暑いものは暑い

ンニャ熱いのだ

 

兎に角ジリジリと暑い日に

そのジリジリを一気に吸収する黒い布地(麻100ではあるが)を身にまとい

ジリジリを厭わずにぶっとい腕を出す

 

やはり「怖いもの知らず」最強だな!私・・・・

と 当日思うわけもなく

 

ただただ

国鉄のチケットをアプリでポチッた己を呪いながら

歩いた歩数1万9千強!

 

こういう時

貧乏「性」(夫の手前一応「性」の文字は加えておく)は

折角デカイ街に来たのだから・・・・・と

歩かねばならぬ!と歩く

カフェで休むことも極力控え

冷凍庫で凍らせた自家製茶も即座に溶けて飲み干しても

歩く・・・・

 

本来 2度目の値下げがなされた街中の商店のsoldes(バーゲンね)を

見に来たはずなのに

物は欲しいがデブに合うもの既に無し

 

毎年 soldes時季になると

次のソルドまでに痩せたる!と その日だけは思うものの

何故か デブであること に固執してるだろう!?なくらい痩せない

痩せようとしていない

 

この日の結局何も買わず

電車代とおひとり様ランチ代(欧州は外食が高い いや日本が安すぎるのだが)と

結局熱中症対策で入ったスタバ代を無駄にして

「疲労」を買ってきたようなもんだ(呆)

 

 

それでも大きな街はいるだけで楽しい

 

 

この時季 テラスが美しい建造物は珍しくないが

ここまで見事に花を咲かせている建造物は珍しい

見事だし 涼し気だ

 

 

 

観光客でごった返す一見オサレエリアのカフェの前に置かれた靴

ご丁寧に靴下も一緒

 

その主をキョロキョロと探す

 

 

噴水で水遊びをする子多数

 

そんな子を見守りながらカフェでくつろぐ親

 

 

微笑ましい

 

羨ましい・・・・

 

 

我が娘が乳幼児期に過ごした東京の江東区には

「親水公園」なるものがいくつかあって

文字通り プール未満ではあるが

とても幼い子が水に慣れ親しむための広場があった

 

最初は水に怖がっていた娘も

次第に行くことを乞うようになったっけ

 

そういえば

富岡八幡宮の本祭りは

今年コロナ過以降初めて再開するらしい

 

ビショビショになりながら子供神輿を背負っていた

幼い頃も懐かしい

 

永代橋を何十基もの神輿が降りてくる様が圧巻だったっけ

 

 

唇が

口内が

 

急激に乾いたのは

この陽ざしの強さだけではない

 

でも 涙は流さずに

空を見つめて無目的に歩く

 

 

 

・・・・無駄にサービス精神が旺盛なので

楽しそう 幸せそう と表現をされる

 

ま、それも私

 

 

最近は「強い」 と誉められた

 

その文字の奥には

一人しかいない子を亡くしたのに・・・・・という言葉が

存在しているのは わかっている

 

 

人前で

泣き言をいい続けても何もならない

泣かられたところで他人様も困るだろう

 

だから 私は口内を枯らして

唇をギュっと噛む日々を1人で籠って過ごしている

 

こんな思い

誰かと共有できるはずもないし

共感できるはずもない

 

それは私が特別ということではなく

似た経験をしたとしても

私とその人が別個の人間なのだから

「わかります」 なんて言葉を言われたくないし

言いたくもないから

 

 

ただ

私は知っている

 

 

暑い日の水の心地よさ

ずぶぬれで遊ぶ楽しさ

それを見守る側になったときの幸せ

そしてそれが二度と経験できない時間だということを

 

 

ジリジリと肌に感じる痛いほどの太陽も

濡れて干された靴の存在も

幸せと寂しさを運んでくるということを