まさに「不意打ちをくらう」 そんな感じだった・・・・。

 

ここ最近 何故かスマホのLineのアプリにしつこく「電話番号を登録せよ」のメッセージが出てきていた

登録時(スマホが故障しうまく新機種に移行できずに再登録したはず)

の電話番号と今住む「ここ」の国情報?とリンクしていないせいなのか?

ただ使うだけの素人にはそのロジックは定かではないが

兎に角アプリを開ける度に「電話番号登録」の文字が鬱陶しかった

 

ようやく体調も平常に戻り

精神的余裕も出たので

たかだか1分もかからない作業だし・・・と

昨日番号の登録をした

 

すると最近電話番号を交換したばかりの方からLineにメッセージ

 

あ・・・・・・

自分の携帯の登録している連絡先と勝手に同期してしまったらしい

 

私は実際に会う機会のある近しい人くらいしか登録しないようにしていた

が 今回はウッカリ携帯の連絡先と同期してしまったようだ

 

誰と<登録上>の友達関係を結んでしまったのだろう!?

 

確認のために自分のタイムラインをのぞいてみると

ダダダダダ・・・・と 携帯に連絡先が登録されていた人々が

「お友達になりまし<た>」 と連なって出てきた

 

失敗した・・・・ 

名前を拝見しても

プロフの顔写真を拝見しても

それが最早誰だったのか?わからない人までいる

私の連絡先恐るべし・・・・

 

そして次の瞬間 私は固まった・・・・・

 

 

その名の中に

〇〇〇(イギリス) というものが混じってきている

 

 

そう。 

 

もう二度と声を聞くことも

 

メッセージを交換することもできぬ相手の名

 

娘の名であった。

 

 

その名を見た途端

私はきっとこれが「奈落」なる場なのだろう・・・・と思う

深い深い場に急降下した

 

精神が落ちた

否 心臓にブラックホール?の存在を認めるほどの

己の内の深い深い闇に落ちた

 

 

そして次の瞬間

大声を出して泣いた

 

 

階下の庭からアペロをしているであろう人の歓談の声か聞こえているのだから

きっと私の声も彼らに届いているだろうが

構わずに泣いた

 

泣かせてもらった・・・・

 

 

しばらくして

 

何故 頻繁に連絡をしていた彼女が

今更「友達になりました・・・・・・」と挙がってくるのだろう?と

不思議になったが

考えれてみれば

私のスマホが故障し起動しなくなって

Lineの同期が出来なかった頃は

既に娘は他界していたことを思い出した

 

当時未だ中国にいたためLineは使えぬため

娘との連絡はwechatでしていたのが最後だった

 

自分のLineに彼女の名が無くても

致し方ないと当時受け入れたはずのこと・・・・をすっかり忘れ

今回「お友達」として 娘の名が挙がってきたことに

一瞬目の前が明るくなり

次の瞬間

永遠に連絡がつかないのだと悟り絶望する

 

一人しかおらぬ子を亡くしたのだから

落ちるのは致し方ないこと

当たり前のこと

当たり前の感情に陥ることを責める必要はない

そこを責めたら鬱を発症する

 

 

客観的に己を観察し

己をちゃんと甘やかす自分が存在するけれど

当の肉体を伴う「私」 は ソファーに座り宙をみつめ

これ以上ない虚脱感に襲われていた

 

日がな一日家に籠り何をするでもないのに

落ちて夫を迎えるのはあまりにも申し訳ない・・・・と

どうにか最低限の夕餉の用意をするけれど

全身の力はまるで入っていなかった

 

 

いつものように

夫婦で食卓を囲み

テレビを眺める

 

気付けない人なら

いつも通りの私に映るであろう 程度の元気さは装った

 

気付かないフリもし続けることもできるだろう

 

 

でも

 

私は 1人でブラックホールを抱え込むほど

器がデカくはなく

成熟もしていない

 

 

夫に Lineの話をした

 

 

いつも夕食後に夫婦揃って近所のジムに出向くのだが

「私は行かない その気力は残っていない 今日はムリ」

そういう私に

 

「そういう状態だから 家から出た方がいいんじゃん!」と

夫が外出を促した

 

そして ジムへ向かう準備をして外に出たというのに

 

「うーちゃん 元気がないなら 散歩にする?」

と提案してくれた

 

 

夏至を過ぎて徐々に日が短くなってゆくだろう・・・

今の夏の日の長さを満喫しないでどうする・・・・

 

己を鼓舞して 夫の提案にのった

 

 

 

わが家から徒歩圏内には葡萄畑が広がっている

 

 

すでに小さな葡萄の赤ちゃんにほっこり・・・とする

 

 

 

 

大木の下を通ればブラックホールを抱えた私全てを包み込んでくれるような気分になる

 

 

 

娘も大好きだった「緑」が

私を包み込み 文字通り「癒し」てくれる

 

 

娘と生きる場を分けて

3年半以上が経過し

24時間起きている間彼女を忘れることはないが

それでも 会えない 否 姿が見えないこと だけは

十分受け入れることが出来てきたように自負していた

 

でも 些細な出来事さえこんなにいとも簡単に

私を絶望させるのだ・・・と 驚いてしまう時がある

 

そう夫に伝えた

 

そして

 

そういう時が あなたにもあるのか?

閉めたはずの蓋が開いてしまうこともあるのか?と

問うと

 

 

「あ・・・・・」 

 

と 思うことは頻繁にあるけれど

それ以上何かを感じないようにしている と応えた

 

 

私は呼吸をするように 

もう口癖の域で

娘の名を口にし

会いたいと口にする

 

日に何十、何百と彼女の名を

一人でいても声に出して呼んでいる

 

 

対し夫は

彼女の死後

彼女の名を口にすることはほとんどない

 

 

それが 彼なりの自衛だということは十分わかっている

夫婦で一緒に思い出話をするには

私達にはまだまだ時間を要するのだろう・・・・・ということも

わかっている

 

 

 

それでも

 

 

泣き言ではなく

娘を思い出し思い出を共有できる人が身近にいないことが

寂しくて 辛い

 

 

 

勿論

 

その辛さを理解しているから

夫は私を散歩に連れだしてくれるのだとわかっていても・・・・

 

それでも 私は寂しくて 辛い