夏至

フランス全土で毎年 fete de la musiqueという音楽の祭典が開かれる

 

おふらんす「ここ」地方も 小さい街ではあるが

アチコチの広場で様々なグループが日頃の成果を披露していた

 

 

素人の奏でる音楽の場合

ノリよくボリューム大きく・・・・といったジャンルのほうが

その場の雰囲気で聞き流せる(失礼な奴!ごめんなさい)ので

足が止まる

 

私より10は年上だと思われる殿方が

声を轟かせ本当に楽しそう

そしてなかなか上手に歌う

 

ハードロックとかヘビメタとか

元気いっぱいに音楽を奏でているのがいずれも私より上の世代

バンド活動に力を入れていたのは

日本もフランスも50~60年代生まれの人々なんろうか?

 

この時代の人は

私の世代よりも人生を「楽しむ」ことが上手なような気がする

 

 

勿論 人生なんて面白おかしく・・・だけで過ごせる人なんて皆無なんだろうし

他人様から見れば 私はそこそこ面白おかしく生きているように見えてるんだろう・・・・と思う

 

 

夫のおかげで

私は働きもせずに

毎日 ほとんど何もせずに1日が始まり 1日が終わってゆく・・・・の繰り返しだ

 

別に悩みがあるわけではない

明日食べるに困るわけでもない

何かに追われているわけでもない

 

これを幸せと言わず何というのだろう・・・・

 

他者には幸せに映るのだとう・・・・とわかっている

 

 

でも いつも心と思われる部位に

こぶし大のツマリのようなものを感じていて

どんなに美しい景色をみても

心揺さぶる音楽に出会っても

楽しい場面で声を出して笑っても

そのツマリのようなものが

全力で心を震わせることにブレーキをかけてくる

 

ソレは

悲しみに埋没することにも

気が狂わんばかりに泣くことにも

ブレーキをかけてくるから

「心の均衡を保つ」ことには有効らしいのだが

 

できることなら

とことん気が狂ったほうが楽なような気がする

 

誰にも何もジャマされることなく

1人でいられる時間ばかりなのに

 

1人でも 私は「冷静」になるようにブレーキがかかってしまうし

死んだら楽なのにな・・・・と思っても

死ぬ気にはならない

 

もう3年半以上が経過したのに

私の時間はどこかで止まっている

 

 

「どこか」 というのは

確実に 見送ったときの頃は「過去」になっているのだから

そこからは時間は経過しているのだけれど

かといって

自分の生活を正すとか

新しい世界に入ってゆくとか

そういう変化がない という意味で

 

そして そういう変化をしたい という欲求もない という意味で

時間は止まっている

 

 

夏至

・・・・・ということは

 

また少しずつ日が短くなってゆくんだな・・・・

 

そう思うと 寂しい

悲しい

 

 

私は幸せだけれど

心が重い