「ご存知かもしれないけれど うちは『相席のみ』なんだけれど

それで良いならお待ちしているわ!」

 

<たまたま>昼時に立ち寄った小さな町でふと目に留まったレストランに夫が連絡をすると

電話口の婦人はそう口にしたという。

 

どうする?と問う夫に

「いや いいよそこで」 と私。

 

小さな小さな町での週末

開いている店自体そんなにあるわけではないであろうし

タイミングを逸して食べそこなうことは避けたい。

それくらい私は空腹だった。

 

店の入り口に到着し

メニューを確認し

再び「どうする?」と夫。

 

どうも こんなに凍れる日だというのに

メニューに温かなものが出てくる気配がない。

それどころかメニューの選択肢もない

 

店の入り口に大量の古本が積まれ売られていることがやけに気になり

「ここにしようよ!」」 と再び私。

何やら楽しいことがありそうな店だ!と勘が働いたのだ。

 

入店してみて驚く。

 

そこは「店」 というより

誰か個人宅のダイニングでしかなかった

 

 

 

・・・・いや ちっちゃな図書館・・・・・の方がしっくりくるだろうか?

 

 

 

「こんにちは」 と入ってゆくと

先に着席していた男女3名が「こんにちはー」と返してくる。

 

「好きな席にどうぞ・・・・・」 と 穏やかにその内の1人の紳士が応える。

 

紳士の前には 1組の若い そう娘の自分だろうか?学生と思われるカップルが座って

席を薦めてくれた紳士と何やら話し込んでいる。

 

まるで大学の教授と生徒たち・・・・という雰囲気だ。

 

「言語学について なかなか難しい話をしてるよ」

レストランとは異質な雰囲気に夫も嬉し気だ。

 

しばらくして ここのシェフであろうマダムが

大きな身体を持て余しながらゆっくりとダイニングに入ってくる。

 

その身体の動作とは対照的に

自分の発する言葉にどれだけ情報を入れるべきか!に重きをおくかのごとく

彼女の1センテンスが人と比べ相当に長い。

 

明るいおばちゃんだな

でも やけにインテリだな・・・・

 

彼女を一言で表で表すなら そんな感じ。

 

夫のキノコの知識は学者並で・・・・・

 

夫に教わったのよ・・・・と言いながら

もう本を綴じるのに使われた糸は切れ

ボロボロになったキノコ図鑑をめくりながら

婦人は今日の料理に入れたキノコについて説明をしてくれた

 

その後の彼らの話っぷりと

大量の書籍類(ごく一部だという)のどの分野がどこに入っているのか?

把握できているくらい

彼ら夫妻の脳内は知識が「秩序だてられ」収納されていることが理解できた。

 

その後 長い食事時間での会話で

彼らが長くパリで弁護士業を営んでいたと知る。

・・・・・・納得。

 

 

私は娘の遺骨を入れた十字架型のペンダントに

パリの奇跡のメダイ教会の御メダイを添えて身に着けているのだけれど

この御メダイ 見る人にはすぐにわかる特別なもの・・・・らしい。

 

フランスに来て 何度か

「特別なメダイ」だね・・・・・・と 話しかけられることがあったのだが

(お恥ずかしながら 他の教会で売る御メダイとの差異に気づいてなかった)

 

ここのマダムも

私の胸元をみて

「パリのあの教会のものね・・・・

あの教会は・・・・」

 

その教会の歴史的背景まで語り始めたのだから驚く。

 

 

 

彼女の語り……中心で

昼の宴(?)が進められてゆくのだが

不思議と嫌な感じがしない

 

 

 

わが家では(店といわずに) 食材を無駄にしない工夫をしている

できるだけ自然のものを使っている

パンは 〇〇さんのところの △△というパンで・・・・・

 

兎に角滋味な種子類を多用したパンや蕎麦粉のパンなど

噛めば噛むほど味わい深い 本当に美味なパンが大量に

大きなテーブルに置かれていて

客は好きなだけたべることができる

 

料理も正直 一切手のこんだものではない

家族に出すようなもの・・・・・

 

でも 彼女の腕によるものなのか?

食材の良さなのか?

何より食材への慈しみあってなのか?

 

全てが 「やさしく」

ふらんすのおふくろの味ってこんななんだろうな・・・・・と思わせてくれるものであった

 

 

 

ちょうど3世帯の年代が集っている部屋・・・・

 

 

順調に時を重ねる人の多くが

こんな風に

親子3世代で食卓を囲むんだろう・・・・・

 

もはや 私以降ソレが出来ない(わたしで幕を閉じる)ことを

考えると

鼻腔の奥はツンといたんだけれど

それにも増して

その時間が愛おしくて

私の口角は終止あがったままであった

 

 

次の客が表れる

 

私達夫婦も 自然と迎える側になって

「こんにちは」と口にする。

 

一期一会・・・・・

 

 

ご飯時に 大きなテーブルを囲って同じものを喰らうのも

多生の縁というやつだろうか?

 

 

 

 

地場のフロマージュがふるまわれる頃

空になったワイングラスに「おかわり」をオーダーする私に

「あらあら? 大丈夫なの?」と婦人。

 

「昼から2杯飲める人の顔じゃないよ。真っ赤」 と夫(苦笑)

 

それでも いいから!と心地よい空気にかこつけて

私は2杯目のワインを咽頭に流し込む

 

 

(通常のレストランより少量のワインしかつがれてません この日の体調が

顔を赤めるのを早めただけ(笑))

 

 

 

楽しい宴は

あっという間のように感じたが

かなりその店に長居していた

 

マダムは

「また来て!いつでも。

店が閉まっている日でも 電話をくれれば いつでも開けるから」」

 

きっと人懐っこい 人恋しい人なのだろう・・・・

 

 

見ず知らずの人からの「待ってる」 が

心底嬉しい私も

人が恋しい人なのだろう・・・・

 

 

車で100㌔超を 近いととるか

遠いととるか・・・・は 人それぞれだろうけれど

そう遠くないうちに

また行きたいね・・・・ 夫婦共に口に出る程

なんだかステキな空間と ステキな人々と出会えた嬉しい日だった。

 

 

 

 

さて

 

そんな愛しい時間を運んできてくれたのは

とある時間を重ねた「もの」を迎えにいったおかげだった。

 

 

名を聞いたことさえない小さな村へ

この子を迎えにいったのだ

 

わが家からは ゆうに100㌔を超える先にある村で

時間を重ねてきた

 

この子

 

 

 

 

座面のcocorico(ひなげし)だろうか? の美しいレリーフに心底ほれ込み

わが家に来てもらうことにしたのだ

 

持ち主は 1940年代かな~?と言っていたけれど

調べたところ どうやらもっと前の時代のものらしい。

 

曲げ木細工も こちらの経年による色艶も

先に我が家に向かえた家具類との相性も〇

 

また1つ愛しい家族が増えた。

 

 

代替家族を増やしながら

私の「恋しい」 を紛らわせていけるのかな・・・・・。