大きな大きな倉庫に搬入された我が家のパンドラの箱群

 

ダンボールの中に入っていた

お菓子の空き缶の中には

 

大人にとってはガラクタだけれど

子供にとっては キラキラと

きっと宝石のように感じていたんだろう・・・・・・な

「これ 何よ?」 な物体がたっくさん・・・・(笑)

 

 

親は知育という目論見で

子供は 単に「そういう」作業が大好きで

指先を使う作業を淡々とこなした

成果・・・・・・も

 

 

(このアイロンビーズは 糸でぶら下げて

モビールのような キッチュな飾りにしましょう・・・・)

 

 

よく「ハーフちゃんですか?」 と 問われて

私は 「ハイ そうです」 と シレーっと応えていた(笑)

心の中で 関東と関西のなっ!と こたえながら・・・・(笑)

 

 

 

親ばかだけれど ホントに 賢そう・・・・・な子供だった。

いや 実際に賢かった(笑) 

 

兎に角 彼女は 私の誇りであり 自慢である。

・・・・・・と 埃塗れ 涙と鼻水塗れになりながら

毎日 確認作業をしているのだ

 

 

 

マックのハッピーセットのおまけ・・・・

 

この子の名は「ピティちゃん」(娘が名付けた)

 

 

ピティーちゃんは 右手にステッキを持っていて わかりやすかったので

「お受験」の 地図上の移動・・・・・・・ の勉強をするのに

もってこいのお仲間であった。

 

「ピティーちゃん 右に曲がりまーす

左に曲がりまーす

また右にまがって 2つ目を 左にまがりまーす

 

今ピティーちゃん どこにいる?」 

 

 

そんな問いのあと

回答合わせの段で

私が ピティーちゃんになりきって

このピティーちゃんを動かすと

眼を輝かせ

キャッキャ喜んでいた(笑)

 

お受験 お勉強・・・・・

 

「幼児虐待か!?」 なんて 何も知らないひとはいうけれど・・・・(一部 キ印入った母親もいるだろうが)

 

母子で遊ぶ延長線上に 知育があるのだから

何を嫌悪することがあろうか? と私「は」 今も思ってる。

 

 

 

 

 

娘に読み聞かせした絵本は

最初の数百冊分は

全て 書名 作家名 その時の子供の反応や感想を記してあった

(その後 間に合わなくなり やめた・・・・・(呆))

 

絵本で 賃貸物件と 我が家の家計を傾けてもしょうもないので

読んで聞かせて エラク気に入り 繰り返し読みたがる本は

「永久保存版」として購入したが

他は 深川図書館に毎週通って

一緒に借りる本を選んだ

古い建造物である同図書館が 私も娘も大好きだった

 

 

 

七五三・・・・・

 

銀座の歩行者天国にて。

 

 

 

何事にも 早熟傾向にあったので

(親ばかだけれど) 3歳にしては 立派な絵を描いていると思う。

 

 

 

当時 おじゃまじょドレミというアニメが流行していて

類に洩れず 我が子も その関連のグッズを欲しがった。

 

欲しい・・・を何でもかんでも与えるほど

甘い親でもなかったし

お金が湯水のように湧いてくる家庭でもないので

無いならつくる! も徹底していた

 

写真は 妹が娘につくってくれた

変身に使う(?)コンパクト。

 

私も段ボールでお家をつくってあげて

かなり喜んでいたっけ。

 

 

どこをどうみても 「同じ」に見える

トーマスも

この年代の子供は 全て違いを把握して

名前を憶える。

 

この「才能」は 

如何なる3歳児も 同じく有しているはず。

 

それを活かすか 活かさないか・・・・・という意味では

私は 「三歳児神話」 は 否定する気はない。

 

 

活かされなかった結果が 今の私(笑)とほほほほ。

 

 

 

 

私にとって 赤ちゃんの頃の娘も

幼い頃の娘も 大事な娘で変わりないのだし

 

「ちっちゃい頃 ほんとーに可愛かったんだよなあ」 という私に

娘は

「小さい頃だけなのか!?」

と 成長してからも過去の自分にヤキモチを妬くという(笑)

そんな時間も 変わりなく大事なのだけれど

 

不思議なもので

彼女の幼少期は

もう「過去」の思い出になって久しいせいか?

 

パンドラの箱から 次々に出てくる懐かしい品々をきっかけに

蘇る思い出は さほど苦しくはない。

自分でも拍子抜けするほど

素直に かわいかったなー

おもしろかったなー

今もわらっちゃうなー・・・・・・・ という反応しかない

 

それに

過去の品々を10年ぶりに目にすることで

娘がより近くになる・・・・・

 

というか 成長して 親のもとを巣立っていっていた娘が

里帰りしてくれるような? 

そんな錯覚を覚えるのだと思う。

 

亡くなってからの

苦しさが ひとまずお留守になって

笑顔で 娘の物と対峙できている

 

過去の 娘に 話しかけることもできるし

近くで 一緒にのぞきこんでいるであろう

娘に 話しかけることもできる

 

 

娘の「お手紙」を入れた大きなファイルには

私がお留守番をする娘のために

「おかえり

うがい手洗いすること

Tシャツ着替えること

おやつは パンと飲み物を(冷蔵庫?)手の届くところに入れてある

ゆっくりしたら 宿題と日記終わらせておいて

 

なんていう 些細なメモ書きまで

日付と ママから・・・・・という 添え書きをして

ちゃんと保管されていた(笑)

 

自分でもすっかり忘れているけれど

私は かなり娘宛てにお手紙を書いていたようで

それを 大事に大事に保管しておいてくれた

「幼少期」の 娘の優しさ(幼子は誰でも優しいのだろうが)と几帳面さを目の当たりにして

心が キュン・・・・とする

 

 

娘からも ひんぱんに「ありがとう」の手紙が出てくる出てくる

 

 

大きくなってから

感謝の言葉なんて 言われた記憶は そんなにはないけれど(笑)

 

 

子供は 3歳までに十分親孝行を終える・・・・・というけれど

私は21年も ずっと幸せだけを与えてもらってきたのだから

ホントに母親冥利につきる女なのだな・・・・・と思う。

 

 

何せ どう思い返しても

娘が いつでも 大好きで!(アホな親でございます)

イヤイヤ期に お前は麻原彰晃かっ!?というほど

正座した膝から飛び跳ねていても(笑)

あまりの「すさまじさ」に 爆笑していたし

反抗期特有の生意気な態度を示されても

「きゃっ!反抗期♡」 と 成長した我が子をみて

うるうる感動していた バカ親ですからね・・・・・・(呆)

 

アイドルをおいかける熱烈なファンのごとく

私はずーっと娘の大大大ファンだったので

親の自覚 あんまり芽生えてなかったかもしれませんわ^^;

 

 

あまりにも 親っぽくないので

その内 呆れて反抗する気も失せたでしょうし

ケンブリッジの友人達は

娘の死後

お母さんが 帰ると

「仕事が終わった!台風が去った」 と

苦笑していた と 報告されましたわ・・・・

 

子供にも 夫にも

(親にも姉妹にも)

うざがられる性質ですから

慣れたもんですわ・・・・・

 

 

 

何をどう切り取っても

私の娘は 私には上出来な娘であり

ほんと 神様が 期間限定でお預けくださった

宝ものだったんだろうなー・・・・・・・と

 

 

パンドラの箱を開ける作業は

思った以上に 楽しめています

 

 

「表面上は」(笑)

 

 

 

夜になると 眩暈がひどいので

きっと どこか 無理もしてるんだろうけれど・・・・・・

 

もう 心の奥底は 見つめる必要はないわ

 

生きるって 意味も理由も考える必要はないのよ

 

ただ 生命活動を維持すればいいの。

 

 

 

その内

嫌でも 誰でも お迎えはくるからね。

 

 

 

不幸や 辛い を注視せず

「恵まれている」 ことだけ 見つめて 生きていきましょう・・・・・・