「今 銃声のような音がした」

 

同じパリに住まう友人のSNSの一言を皮切りに

私のパリ同時多発テロが始まった。

 

無論 パリの面積は「広くはない」とはいえ

パリの東側で起こったテロの恐怖を

西側の私は「間接的」に経験したに過ぎないが・・・・・。

 

テロの起こった まさに「そのRUE(路地)」を ちょうど一週間前の週末

私たち夫婦は投資用不動産を探すために歩き回っていたし

テロ当日 夫は他国へ出張中で 国境閉鎖ギリギリでフランス国内に滑り込んだ。

 

当時テロの標的国に名を連ねられた「英国」所属の学校であるため

娘の学校も対応に非常にセンシティヴになっていたし

彼女を通して 他国(英国や米国)の大使館による情報も逐一我が耳に到達。

 

在仏日本大使館は 在仏日本人のパニックを回避するための思いやりがあってだろうが

他国からの情報より よくも悪しくも抽象的であった。

対し 他国の大使館情報は 詳細ではあるが

その情報量の取捨選択は各々に任されていた感がある。

どちらが良いのか 今でもわからぬが・・・・。

 

それまでの我が人生の「ほとんど」を外的要因による「死」を間近に感じたことがない

平和下で暮らしてきた私は とてつもない不安と恐怖に陥れられた。

 

文字通り テロの発生した日は 震えたし、うろたえたし 無事に戻った夫を抱きしめ

涙した。

 

会社や学校に向かう家族が存在するため 否応なく「日常」が連続していったが

その 到来する「日常」に抗えない状況に順応するための時間は少なからず要した。

緊急事態下に「在る」私 を受け入れ、順応させる過去の情報が我が脳に存在していなかったのだから致し方ない。

 

パリの人々は「日常を送ること」 がテロに対する最大の「抗い」であり

「非日常」体制に入ることが テロに屈することだと考えた。

 

さすがに テロ直後のパリのカフェに くつろぐ人の数は大分減っていたし

街中を警戒して歩くライフルを手にした軍人・ポリスの数だけが異様に増し

それと反比例すかのように セルフィーを手にした観光客の数は減ってはいったが・・・・。

それでも 日常を送る「努力」を彼らにハッキリと見た。

 

今シャンゼリゼは 再びセルフィーを手にする観光客であふれているが

同時に ライフルを手にする軍人の姿は 既に風景に溶け込み

「日常」となっている。

 

テロを境に オスマン形式の美しいアパルトモンの窓に

「トリコロール」を掲げる家が一気に増えた。

元々 仏人は国旗に誇りを持っているし 詩の内容はさておき・・・

国歌も大好きだ。 若者のフェット(パーティー)の盛り上がりで

サッカー中継の観戦で 夜中に心地よく酔った人間が大声で歌い・・・・と

これほどまでに 街に、人々の生活に国歌が溢れている国を知らないが

(君が代がここまで歌われぬことも ??だけれど)

そんな彼らが 「あえて」 国旗を掲揚する姿に

 

オスマン形式のアパルトモンに映えるな・・・という思いが

いつしか じわりじわり右傾化していく「様」に感じるようになり

明文化できぬ 恐れも抱くようになったのも事実だ。

 

今回 続いて起こっている

英国でのテロ。

 

今日とあるサイトで 英国国民がテロに抗うための彼ら独自のユーモアが記載されていた

サイト→☆彡

 

ご存知の方も多いと思うが 彼ら(英国人)は独特の美意識というものを有している。

 

如何に「知」を隠し一見「毒」に見えるかが勝負!?とまでの

その者の「知」を総動員した上質な「ジョーク」をかましてくる。

フランス人の「エスプリ」とは 少々違うようで

その「ズレ」は 英仏海峡以上のものがあるらしく

互いに揶揄しあう文化(?)もあるのだろうけれど・・・・。

 

現代の日本じゃ

「不謹慎だ!」 のたたき合いで終始しそうで

含蓄あるブラック・ユーモアは生まれそうにない。

 

仏のエスプリ、英のアイロニカルなユーモアは

文化の成熟という背景を伴って成立するものなんだろう。

 

無論 哀しいかな

そんな英国でさえ 先のEU離脱を決定させた投票結果をご覧になればわかるように

右傾化、排他主義への道をたどり始めたように見受けられるが・・・・。

 

(いつものことだが)前置きが長くなった。

 

さて よもや 英国はロンドンで そのような事態に陥っているは思わず

私は一昨日の夜 1人留守番を良いことに とある映画たちに夢中になっていた。

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たまたま手にしたDVDが2本とも ナチス関連だった。

誤解しないでほしい

私はナチス賛美者なんかじゃない。

 

欧州に住まい容易く訪問できること

化学を本格的に志す子を持つ親として「人の尊厳、命の尊厳」を学ぶ機会をつくらせたかったこと 等を理由に

ポーランドやドイツを訪問する機会に

アウシュビッツやユダヤ博物館、ゲシュタポ博物館等々を訪問し

ポーランド人の第二次世界大戦「観」に触れたことに起因し

私自身も 誤解を招く表現かもしれぬが

「興味」を抱くようになったからだ。

 

いずれも 「作品」として 魅惑的であり 上質であり

非常に「怖い」 ものであった。

 

特に

日本では2016年に公開されたという

 

 

「帰ってきたヒトラー」

 

 

お恥ずかしいことに こちら「原作本」の存在も この作品の存在も

ビデオ屋で手にするまで知らず 情報がないまま家に持ち帰ったのだが

 

この映画鑑賞中

おおいに笑い その笑った己を含め

後半は 身震いするほどの恐怖感に襲われる。

 

この映画

限りなくリアリティを追究するため

「半」ドキュメンタリー形式でつくられ

多くの場面が 街中に突撃しての撮影やアドリブにゆだねられているという。

 

画面に登場する市民の表情が「活きて」いるし

とうてい演技とは思えぬ 表情の変化に グイグイ ストーリーに引き込まれ

 

私は映画(つくられたストーリー)をみているのか

リアルな報道番組をみているのか? 時折 己の内での「確認作業」が必要になるほどだった。

全てにおいて 「見事」である。

 

 

人心掌握に非常に長けていたとされるヒトラー

見る者によっては 「魅惑的」だったとさえ言われる。

 

この映画の内の「現代社会にタイムトラベルしてきてしまった」ヒトラーも

決して 一般市民を誘導もせぬし 扇動しているわけではない。

 

彼は 人々の(セリフの有無はさておき) 心の内にある「本音」に気づかせ

その本音を 「意志」に変えていく・・・・・。

その変わっていく「様」が 見事であり 恐怖でもある。

 

 

私は 期間限定の住人として 

選挙権を持たぬエトランジェ(異国の民)として

「偶然」にシャルリ・エブド社襲撃を皮切りにした

パリのテロ 及び 数々の「過激な」デモを肌で感じてきた。

 

爆竹の音を聞いても 即座に「銃声では」と

身体が固まるようにもなった。

 

シャルリ・エブド社襲撃わずか2日後には

パリ市内のあらゆる場所に黒地に白抜き文字の

「JE SUIS CHARLIE」と掲げたポスターを目にするようになったし

 

数万人という人のデモが自然(?)発生し

その「団結力」と人の思想の潮流化をまざまざと見せつけられた。

 

あくまで 「客観的」な立場で見るしかなかった私にとって

 

それらの すさまじい「潮流」は 抗い難いものだろうし

呑み込まれることの恐怖さえ感じたものだ。

 

 

私のような 明確な「考え」「知識」を有さぬ 迷える子羊は

我が心の声を代弁してくれると思う 心を掌握することに長けている人間に

即座に洗脳されてしまうのではなかろうか・・・・

 

違和感を感じても「異」を唱えることができないのではなかろうか・・・・。

 

 

声高に正義を唱える 心強い(と思う)政治家に

身をゆだねる前に 誰もが1歩立ち止まる ことができぬと

その先に待っているものは・・・・・・・・・・。

 

人の心の建前と本音。「本音」を巧く引き出してくれる相手に

人間は弱いものだ。

 

そして この映画は ヒトラーを表象としてつかってはいるが

人間の危うさを 如実に物語っている。

そして 旨い具合に操られた「市民」の行きつく先を・・・・・

見事なまでに 示唆している。

 

この映画は「色」遣いも見事である。

 

ご覧になった方は気づくと思うが

 

「黒色」に塗れる 不安感(テレビ局の経済的打撃シーンや悪魔崇拝をする家族のシーン、

市井のドイツ人が「本音」を語る色を抑えたシーン等々)と同時に

真っ白な部屋に閉じ込められることも とてつもない恐怖(異を唱える恐怖)であると知る。

 

映画の中でも 「平穏な日常」には色が混在しているように

私たちの「平穏な日常」 には 様々な意見の混在

人種の混在が 必要不可欠なのだという示唆も含まれていると感じた。

 

自国内にテロが波及してきてはいない「今」からこそ

冷静かつ客観的に判断する余力がある「今」だからこそ

 

是非 見てほしい1本だと思う。

 

おおいに笑って

おおいに 怯えてほしい。