福岡展では、予期せぬ事態があって
急遽、わたしがライブペイントをすることになった。
なので、元々予定していなかったのだけど
兵庫展でもライブペイントをすることにした。
特にアナウンスもなく、静かに始めていて、
少しずつ増えるギャラリー。
音楽はないので、きっとみんな不思議な感覚だったのではないだろうか。
この世界は丸い、という話をした。
地球は丸い。
月も丸い。
季節のうつろいも春夏秋冬、そしてまた春夏秋冬
ぐるぐると円にまわる。
わたしたちもまるい。
生まれてくるはじめはまるい卵子。
血も心臓を通してぐるぐると体内をまわる。これも丸い円。
わたしたちが繋がる縁も「えん」、丸い円と同じ。
すべてはつながっている。
死んでもなお、縁は続く。
たとえばこうしてこの場にいるみなさんには
翠と会ったことのないかたもいる
それでも翠の死を通してわたしに会ってくれた
これもまた縁と円のまるいつながり
まんだらもまた丸い
でも、
今ここにある、わたしたちの幻想まんだらは、四角いのです
だから、これを破って、丸くしたい。
そうして破っていった。
丸いキャンドルを、ただ静かにみんなでぐるぐると回し合ってもらった。
そうして火を消して。
やぶったまんだらの切れ端を、それぞれに持って帰ってもらったんだ。
こうして「幻想まんだら」は終わった。
みんながどんどん蔵を出ていって、最後に残ってくれたひとがいるんだ。
「ビーノ」というあだ名のひとで
一番最初の、2016年の幻想まんだらConatusコナトゥス展で初めて会ったひと
2018年の福岡・幻想まんだら~満ち満ちて・光~にも来てくれて
今、2019年の兵庫・幻想まんだら~生命のうた~にも最後に来てくれた
どの会場も、ビーノの住んでいるところからはとても遠い。
幻想まんだらを通して、始まりからずっと見守ってくれていたひとで…
ビーノの顔を見たら、こう、
始まりから終わりまで
ずっといてくれるひとが一人でもいるというのは
すごく満たされて幸いなことなのだろうなと
友達、とかそういう呼び方を超えて
共に生きているひと。
最後の最後にビーノがいてくれてよかったと思ったんだ。
ひとりになったけど
ひとりではないと思えるから。
(撮影/フォトグラファー町野健)