またまた垣谷さん。
日本の社会課題を作品にする第一人者だな、この作家は。
同県内と規模は小さいが、地方政令都市部から郡部に4月から移住している。
朝6時には、おはようございます、と音楽と放送が流れてくる(でもわたしゃ起きないけど)。
村の放送が早ぇよ、と言ったら、地元育ちの相方に「村って言うな!」と怒られた。
隣の家が遠い。門から玄関までが遠い。店も病院もなにもかもが遠い。車がないと生活できない。
それなのに、バスはほとんどない。お年寄りはさぞ不便で不安で大変だろう。
が、この話は、高齢者の運転の話だけじゃない。
垣谷さんの作品は、社会課題から、「人間の暮らしとは、人生とは」を考えさせてくれる。
都会のエリートサラリーマンから、限界集落への移動販売車への起業。都会暮らしから、田舎暮らし。
田舎のしがらみ、男尊女卑とか古い考え、鬱陶しさは確かにあるけれど、都会の暮らしは人間にとって本当に理想なのか?
何をするにもお金が必要で、将来への希望よりもお金の心配。それは現代は田舎でもみんなそうなんだけど。
住宅ローンや学費のために、毎日の生活を犠牲にしなきゃならない生き方って、ホントはおかしいよね?
郡部に来て、私はすごく良かったと思えている。仕事ないよな、と思っていたけど、都市部より人口も人材も少ないせいで、ありがたいことに仕事がむしろある。野菜なんて、相方の実家や職場の同僚から「作りすぎて食べきれない」って、タダでもらえるし、農業高校の販売部で、めちゃ安で手に入る。ブランドトマトも大量でも200円とかで感動する。
50代という年齢もあるし、学生時代には東京に住めたし、都会への憧れが満たされているのもあるけど。自分は都会に向いていない、というのもあるし、かなり快適に過ごしている。で、田んぼの道を走りながら、「自然っていいなぁ」と思う。
娯楽施設(ライブハウスや映画館など)がほぼないので、学校の文化祭や、地方自治体でやる「収穫物販売」とか「祭り」とかが、地方住民のいい感じの集まりになっている。たいしたことないだろ、って、正直バカにしてた部分もあったけど、行ってみたら、そりゃ自然がいっぱいだし、「フェス感」があって、のどかで、平和で、楽しそうににぎやかに人々がいっぱいいて、「あ~、幸せってこういう風景だよね~」と思えたりして。逆に、高校の文化祭のお化け屋敷とか出し物に、小学生が見に来たり、遊びに来たりして、高校生がお世話してる、これって、どっちにもいい経験になるんじゃないの?って、むしろ豊かさを感じる。
作品に戻ろう。運転免許は、運転だけの問題じゃない。要は、コミュニケーションや行動力、社会参加の問題なのだ。
人間は、やっぱり、人間といたいのだ。面倒なこともあるけど、人間の気配を感じたいのだと思う。
いや、自分は一人が楽だ、孤独を愛している、一人が向いている、そういう人もいるだろう。
私もずっとそうだった。気の合わない人といるより、本を読んでいる方が、得るものもあっていい。
人がそばにいるのに(例えば家族や恋人でも)、理解しあえない哀しさと孤独を味わうくらいなら、いっそ一人の方がいい。
ず~っとそう思っていた。家族が何より煩わしかったので、解放されたい思いが強かったこともある。家族のあまりの重さに、家族なんていらない=1人で生きる、と思っていたところもある。(家族以外の仲間という概念もあるのに気づいていなかった)
しかし、だ。「人と暮らすと、私、具合が悪くなっちゃうの」と、言っていたAさんを思い出す。
Aさんは「人に気を使い過ぎちゃうの、だから疲れるの」とか「自分の言動も、とらえられ方でハラスメントになるのも怖いし」とか言っていて、その点の今の時代の難しさももちろんわかるんだけど、そんなの人間なんだから当たり前じゃん!と思うようになった自分がいた。そして、Aさんを幼稚な人だな、と思う自分がいた。
結局、昔の自分を振り返ったときに、1人でいることは、私の場合、「気を使いたくない」「誤解されたくない」=要は自分のペース、自分への評価を守りたい、という「気まま」「怠慢」だったんだな、と、気づいたからだ。そして、「人に気を使って疲れる」ということは、人といる時に自然にふるまえない、そのくらい常に自分ルールが過ぎる、ということだ。
そして、誤解されたとしたら、それを謝ったり、自分の気持ちを説明したりする手間を放棄しないことも大事だと思う。
面倒くさいが。でも便利な世の中が、煩わしくない世の中が、隣の人も知らない、頼れる人もいない都会の生活が、本当に人間らしくて幸せか?私も田舎や家や家族の因習に苦しめられた方なので、田舎礼賛をする気は全くないけど、「人間の幸せとは」を考えさせられた。