思い込みとは
自分や他人に対する
ジャッジのジャッジ重ね
相手に対しての「いけません!」は
自分に対してもブーメランだよ

相手に対して裁いていたことは
自分に対しても同じように裁いてるんだよ!
ということを教えてくれる
相手は気づかせてくれてるだけ
裁くべき存在というより、気づかせてくれることに感謝すべき存在なんだよ

相手を通して私を見
相手を通して感じることで気づく
私は私に愛されたかったと気づく
許されたかったと知る

相手は私の心の鏡
普通の鏡では見えない私の奥底を見るための鏡だった

相手を投影してたのは、お父さん、お母さんが最終地点ではなかったんよ
結局、最終的には、わたし
自分から愛されたいし、許されたいし、嫌われたくないし、ジャッジされたくなかったんよ

ジャッジの奥の恐れは
お父さんお母さんみんなから嫌われることだけでなく
私が私から嫌われることだったのさ

結局世界は私を中心に見えていたってことなんだ

自由になりたいということの意味をはき違えていた
お金持ちになって好きにあちこち行く、とかの「できていること」に対しての自由とかよりももっと奥
どんな自分の感じていることにもOKを出すこと、許すこと
その自由を欲していたんだね

ジャッジしていた自分をジャッジし続けていた、その選択をしてきた自分にも
その自由はすでにあったのだと気づくこと

自由でなければそのジャッジ相撲すら
「いけません!」とさせてもらえなかったわけだからね
どんなやらかしすら、やらかさせてもらえる自由をすでに与えられてる

それに気づいて自分に全ての選択の許可をすることが、自分を自由にする

全ては自分が作り出してるって、こういうことなんだね

思考のことを客観的に見れば見るほどに
自分ルールなんて、正しいも間違いもなく
ただの自分の選択しただけの偏った見方なだけ
滑稽滑稽、コケコッケイだね🐓🥚 



読んでくださりありがとうございます


いろんな気づきがあり、これまでの自分を客観的に見て納得できて

蛹がドロドロになって新しく再構築されているような気分


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大きな気づきのきっかけとなったフェリファブ哲学ありがとう😊