いつもブログを読んでくださいましてありがとうございます
今日はとても風が強くて
庭の物が倒れたり吹っ飛ばされていて
恥ずかしいのでそそくさと直しました
皆様のところは大丈夫でしたか
そして
先日の母の日は
毎年同じですが赤のカーネーションを贈り
照れくさいけど感謝の気持ちを伝えました
毎年何もいらないよって…言うけど
実際渡すと喜んでくれてうれしいです
それと
私も一応母なのでプレゼントをもらいました
長男は律儀に小学生ぐらいから何かしらくれます(ありがとう)
今年はソーイングボックスでした
甘いものが好きな長女はスイーツをくれました
次女には「何がいい?」って訊かれ
物でなくて体験型がいいとリクエストしたので
そのうち連れていってくれると期待していますたのしみっ
次男は…ラインもなかった
やはりGWのアレだったらしいな
そして今回は
つまんないかもしれませんが
母との懐かしい思い出を書きたいと思います
私は自分の母は世界で一番の母親だと思っています
誰しも自分の母親は世界で一番だと思いますが…
理由は尊敬するところがたくさんあるからです
若い頃、子育てしている頃は働き者で
農家の娘らしく朝早く起き、家族のご飯を作り送り出す
当たり前のことかもしれないけれど
毎日愚痴を言わず淡々とこなす母をすごいと思うようになったのは
自分が結婚し子どもを産み仕事に行くようになった頃から…
ずいぶん遅いけれど大人になってからです
毎日同じことを家族の為に
繰り返し続けることは容易いことではないと身をもって知りました
私が保育園の頃
母はヤクルトの配達をしていました
私は生まれつき腸が弱くて食べ物を吐いたり食べなかったりで、よく病院で注射していたらしく
それでヤクルトの仕事を選んだそうです
朝早くに
「配達してくる間に服を着替えて保育園に行く準備しとくんよ」って言う元気な母の姿と声を今も覚えています
幼少期からヤクルトを今もずっと毎朝飲み続けていて
おかげさまで元気モリモリマリコです
小学生になると必然的に『鍵っこ』になりましたが寂しく思ったことはありませんでした
母も仕事をがんばっているんだから
私が寂しいとか思ったらいかんて…
そんなある日のこと
学校の帰り道に鍵を落とし失くしてしまったのです
落としたら気がつくようにと
鈴のついた大きなレモンのキーホルダーをつけてくれてたのに…
私は叱られると思い
何度も帰り道を折り返し、探しましたが見つかりませんでした
そして
案の定ものすごーく叱られました
今考えると
小1、小2ぐらいなら
そんなドジもするでしょ…って思うけれど
母は容赦なく𠮟りました
(それはそれは怖かったよおー今も鮮明に覚えてるよぉ)
そのおかげで
それからは鍵を失くすことはありませんでした(他のものは失くしたョ)
幼い頃はこんなドジばっかりして
いつも叱られていたような気がします
厳しい反面
情に厚くて太陽のようにあったかい母
私は学校の帰り道で
猫とか犬とか拾ってくる(困った)子どもでしたが
父は飼うのはダメだと反対しても
ぐすぐすと駄々をこねると最後に折れてくれるのはいつもやさしい母でした
まだまだたくさん泣いたり笑ったり
母との思い出は尽きません…
それから時が経ち
夫が亡くなり今年の9月でまる3年がきますが
去年ぐらいまで、めそめそ泣いていた私に
「泣くな、そんなに泣いたらいかんよ」って
母も一緒になって涙を流すので
母を泣かすことはいけないと思い
めそめそするのはやめようと心に決めました
どんなに苦しいときも明るく前向きで
「コツコツ生きないかんよ、お天道さんが見よるんよ」って
教えてくれる母のように強くてやさしい人になりたい…
まだまだ父と母が誇りに思えるような娘にはなれてないし
おっちょこちょいで頼りない私だけど
世界で一番大好きな母と
これからも支え合いながら一緒に居たいと思っています
母との思い出を読んでくださって
ありがとうございました
日々、気温の差がありますので
くれぐれもお体大切にされてくださいね
まりこ