志村けんが亡くなってしまった。(志村けんさんって、なんからしくないから、敬称略で書かせてもらいます)
私は、結構加藤茶派だったけど、子供の頃の楽しかった事を思い返した時には、やはり志村けんのことを避けては通れない。

面白かったなあ。

下品だとか、不謹慎だとか、PTA に随分目の敵にされてきたけども、楽しかったなあ。

もう見れなくなってしまうと思うと、悲しい。


新型コロナは、年齢が高いほど致死率が高いって分かってはいたのに、志村けんが亡くなるなんて、まさか思わなかった。

人工心肺を使っているとは聞いたけど、きっとよくなるだろうって。

亡くなるだなんて思わなかった。

志村けんのコントの中で、後ろから幽霊が迫ってくるんだけども志村けんは気がつかない。
客席も子供たちから「シムラー!うしろー!」の合唱。
でも、志村けんが後ろを向くと、幽霊は隠れてしまう。
何も見つけることができなかった志村けんは、不審がりながらも前を向いてまた歩いて行く。
するとまた幽霊が現れる。子供達はまた「シムラー!うしろー!」連呼する。
その繰り返し。

たわいもないものだったけれども、その場の空気と言うか、臨場感とでもいうか、とにかく面白かった。


今回、後ろから迫ってきた病魔に、気が付いていなかったのは、志村けんのようでいて、実は日本人全員だった。

新型コロナによる死の恐怖は、知っているようで、見ないふりをしていたというのが、彼の死によって日本人全員の目の前に突きつけられた。

新型コロナの恐ろしさを認識させたというのが彼の功績であると言った、東京都知事の発言が、ひどいであるとか人の心がないであるとか、すぐの揚げ足を取りたがる人がいる。(どこのだれかとまでは言わないが)

確かに言葉足らずならばそう取られるやもしれないが、実際のところ、まさか亡くなられるとは思っていなかった、そしてその死に対してコロナの恐ろしさを身近に感じているならば、功績という表現はどうかとも思うが、それでもすぐ後ろに迫った身近に死をもたらす病の存在を認識させてくれたという点においては、彼の喜劇王としての功績とは別に、畏敬の念とか感謝の念とかといったものは確かにあると思う。

いや、後ろに迫った病魔に、コントのように気がつかずにまた前を向いてしまったのでは、彼の死に対して申し訳が立たない。

志村けんのご冥福を祈ると共に、この恐ろしい病が、まさに自分のすぐ後ろまで迫ってきているということを、真に、真に、思い知らせてくれたことを絶対に無駄にしてはいけない。

けんちゃん、最後の最後にものすごいものを見せてくれてどうもありがとう。

絶対に、無駄にしないよ。