吾妻先生がお亡くなりになられた。69歳、食道がん。

ツイッターでもこの頃では絵の話もあまり出てこなくて、オタマジャクシを定点観察、お加減悪いのかなとはおもっていたが…。

 

吾妻先生はある意味私の青春だったし、おかげさまで道を踏み誤った(笑)。

 

私はななこSOSでもコロコロポロンでもなく(両方ともアニメ化されたが)、また、吾妻先生を紹介する新聞によく使われる「失踪日記」や「アル中病棟」よりもっと、アンダーグラウンドでSFで楽屋落ちな感じの作品が好きだったし、そこが吾妻先生の作品との初めての出会いだった。(だから、かなり年季が入っている。たっぷり40年、小学生だった。)

日本の美少女漫画(少女漫画でなくて)というカテゴリーを開拓したという点で、少なくとも私の中では手塚先生と高橋留美子先生とならび、私の人格を今のものに足らしめた巨人であり、正直に言うと、その美少女たちはヰタ・セクスアリスであった。

ロリータコンプレックスなんていう、初期の「オタク」をくくる方向づけをしたのも、それが不条理なSF的な世界感もたぶん吾妻先生が主導的な役割を果たしたのだと思う。

※ 念のため、私はロリコン(少女趣味)でないぞ。ほら、シガニーさんおっきいし。

  あ、やめて、石をなげないで。

 

そんな吾妻先生は、仕事からのプレッシャーから失踪、さらに飲酒によりアルコール中毒になり、しばらくお目にかかれなくなってしまった。

(そのあたりの経緯は「失踪日記」に描かれている)

そしてその「失踪日記」での復活。正直うれしかったが、でもアルコールに害されていく(そしてそれに至る過酷で無茶な執筆活動)過程は生々しく、吾妻先生のそれまでとは別の一面を見せつけられた。

つらい。

あの、脳天気で可愛らしく、不条理で、センシティブな作品を生み出すのにどれほど無理をしてきたか。

 

先生、お疲れさまでした。

そちらで、ゆっくり、好きなものを描いて、のんびりしていてください。

 


あまり知られていないかもしれないが、私は「スクラップ学園」だった。

 

久しぶりに、落書きしてみた。マジック一発描きのミャアちゃん。

ルーズソックスを最も最初に描いたのはこのミャアちゃんじゃないかなとおもう。

 

これ、古い版の装丁だ。再版されたのか。

入手困難でねえ。

 

 

そうか、電子書籍の時代になってたんだね。

隔世の感がありますね、先生。

 

物語には暗喩と明喩があって…

 

 

 

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