白髭です。

私は右でも左でも有りません。中道です。

防衛省が庁の時には庁から省への会議も出ましたし共産党の集まりにも出ています。それは自分の勉強のためです。だから自民党の国会議員とも共産党の国会議員とも話をしました。今回は民主主義についてです。

  • 民主主義とは、市民が直接、もしくは自由選挙で選ばれた代表を通じて、権限を行使し、市民としての義務を遂行する統治形態である。 
  • この自由選挙が守られているのか?自由選挙であるが故に選挙に行かない放棄した国民がいる。また自由選挙だからこそ一時のパフォーマンス政党が生まれ流されて一票を投じる。比例区が必要か?比例復活などが必要か?ゾンビ議員を作り税金で豊かな暮らしを与えて行く必要があるだろうか?落選者ならもう議員として必要無し。
  • 民主主義とは、人間の自由を守る一連の原則と慣行である。つまり、自由を制度化したものと言ってもいい。
  • 自由を守る原則と慣行、原則とは何か?慣行するのはどの様な原則なのか?間違った原則なら慣行出来無い。自由の制度化とは国民の為の制度化では無く立法の制度化では無いのか?
  • 民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。
  • 数の力である。多数派の意思を尊重するでは無く多数派の意思を遂行するである。少数派の権利を擁護する。擁護すると言うのは口先だけであり多数派は少数派の意思も権利も数の力でないものとしている。



  • 民主主義国は、全権が集中する中央政府を警戒し、政府機能を地方や地域に分散させる。それは、地域レベルの政府・自治体が、市民にとって可能な限り身近で、対応が迅速でなければならないことを理解しているからである。
  • 民主主義国は、言論や信教の自由、法の下で平等な保護を受ける権利、そして政治的・経済的・文化的な生活を組織し、これらに全面的に参加する機会などの基本的人権を擁護することが、国の最も重要な機能のひとつであることを理解している。
  • 言論の自由が守られているか?身近な話で羽鳥慎一のモーニングショーで玉川が電通発言をした。間違いであった。だから消されてしまった。言論の自由には難しい問題だと思う。宗教の自由についても危険な問題であって政党に近づき議員を取り込み政教分離がなされていない。今ここにある問題で正さなければならない。基本的人権については人権が侵害されているから格差拡大している。庶民にとって人権など無い、ただ生活して行く上で必要不可欠な金銭をむしり取り自由も人権も奪われてしまっている。故に国にとってもっとも重要な機能が機能していない。
  • 民主主義国は、すべての市民に対して開かれた、自由で公正な選挙を定期的に実施する。民主主義における選挙は、独裁者や単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争でなければならない。
  • 選挙が真の競争であるならば先程にも述べたように比例復活は必要無い。戦後において自民党の一党独裁になり国民は民主主義、民主的だと信じ込んでいる。民主党が一時政権を担ったが舵取りをした事の無い政党であった為、国が滅んで行った。悪夢の民主党、悪魔の自民党である。今こそ自由で公正な選挙にする為に選挙制度を変えなければならない。
  • 民主主義は、政府を法の支配下に置き、すべての市民が法の下で平等な保護を受けること、そして市民の権利が法制度によって守られることを保障する。
  • あなたは平等な保護を受けていますか?保証されていますか?政府が法の支配下にではありません。法が政府の支配下にあるので間違っています。
  • 民主主義諸国のあり方は多様であり、それぞれの国の独自の政治・社会・文化生活を反映している。民主主義諸国の基盤は、画一的な慣行ではなく、基本的な諸原則の上に置かれている。
  • 基本的な原則とは何か?民主主義の国家のあり方は多様ではある。画一的に従うだけになっていないか?
  • 民主主義国の市民は、権利を持つだけでなく、政治制度に参加する責任を持つ。その代わり、その政治制度は市民の権利と自由を保護する。
  • 権利と自由を保護する。政治制度の参加は全ての国民に権利がある。政治制度の参加において放棄する者もいるし参加する者もいる。政治制度の参加責任、立候補して政治制度の中に入って行ける権利はあるが地盤、看板、鞄を持たない者には立候補するには難しい。よって世襲化し政治家から政治屋になる。選挙そのもの自体を放棄し政治参加をしていない。
  • 民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。マハトマ・ガンジーはこう述べている。「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」 



  • どうでしょうか?難しいですが民主主義ですが根底にあるのは国民に与えられた選挙が一番大切だと思いませんか?真の民主主義は国民によって守られる事であり国民が生み出して行く事なんです。国民は政治家の言いなりになり自由も権利も奪われて行く。増税と政治家の生活費しか考えていないのですから。政党や政治家に資金提供する為に私たち国民は生きている。あれが足りない、これが足りないと国民から摂取する。私たち国民が足りないばかりなんです。しかしこれが私たちが生み出した世界なんですよ。こんなはずじゃ無かった。後の祭りですね。政治家と官僚と一部の上流階級の方、大企業の為に有り独裁されているのに誰も何も言わないし言っても少数派の意見など通らないし擁護する。擁護されても何も変わらない。多数決が数の力であるから数の多い多数派の意思しかあらず、よって独裁化している。



    自由とはなんなのか?それすら分からなくなってしまった。自由で自分の権利を主張する力すら奪われて生活するのに生きて行く事に必死になって従う他に無い。メディアにおいても本当に言うべき事は言えないのか?触れる事は許されない闇があるのでしょう。しかし人には裏と表が有り政治家も同様に表裏一体なのです。裏の闇が怖いのです。真の政治家を志した人物が出て来ても、その人物が脅威になるとすれば出る杭は打たれるで消されるでしょう。また1人では数の力で無力になります。そんな人物が現れて国を正したい。この国の膿を出し切りするには多くの国民の支持や理念思想が同じで協力してくれる力のある人物。出る杭は打たれるが打たれない支持や力が必ず必要です。政治家は好きなようにいくらでも都合の良い法を作る事が出来ます。裏が動いて表が変える。何故コロナの復旧で観光業ばかり優先されているのでしょう。答えは簡単です。誰が観光業を牛耳っているのでしょうか?自ずと答えは出ます。何故これほど旧統一協会が問題になっているのに深く議論し間違いを正さないのか?まともな野党も無い、結局は自民党。旧統一協会は深く根を張り政教分離など出来ないし公明党も与党であり、そんな事いくら騒いでも何も変わらない。この国はもう後もどりも出来ないし変わる事も出来ない。金持ちはより金持ちに、貧困者はより貧困者にと二極化して行くでしょう。自由も権利も奪われているのだと気付いていても終わってしまっている。私は全て持論ですがそう思っています。そして選挙にもっと参加してもらいたい。それが一番変えて行ける一歩なんだと伝えて行きたい。若い方々にもっと政治に興味を持ち、この国の矛盾を考えてもらいたい。パフォーマンス的な立候補者もいらない。真の立候補者が出て来てもらいたいと考えます。

    こんな事は言ってはいけないのですが奈良で山上が安倍晋三を暗殺した。

    それによって色んな膿が出て来た。

    暴力は反対ですが実は暴力が変える為には必要で一番早いのかと考えさせられる時もあります。

    この国の国民は民主主義や資本主義に合わない民族なのかもしれません。

    そう感じませんか?国民性が民主的な感じが他国と見比べると違うなと思います。

    間違っていたらすいません。

    似非民主主義はいりません。ご理解頂ければ幸甚です。
長文になりましたがありがとうございました。
薄口コメンテーター白髭でした。