東日本大震災に限らない話なのですが、「震災を忘れない」「風化させない」…これは間違いなく大事な事です。3月11日にみんなが記事にしたり、取り上げたり、それは本当に大切です。熊本、北海道胆振地震や台風の天災も同様です。




ただ…ちょっと思う事があります。若干辛辣な言葉ですが、「忘れないで、その後どうするのか?」という事でした。それをなにかに生かさなければ、忘れず風化させず、という事にはならない気がしてならないのです。では教訓にしなければならない事はなんなのか…




今ちょうど天災関連のまとめ記事を作っているところですが、まずはこの本…




東京都が都民に無料配布した、「東京防災」です。今日の1冊で取り上げたはずだったのですが…勘違い?ともかく今はAmazonで100円(Kindle)〜で販売されています。購入頂くのもいいかと。




ここは防災、という意味での「忘れない」だと思います。これは特に南海トラフ地震、北海道南部地震その他、可能性の高いところでは、津波襲来のハザードマップを参考にしつつ、逃げ場の確保その他、確認するという事は必須でしょう。それこそ津波の脅威を「忘れない」のは当然です。




さて、もっと大きな発想という意味で、私が伝えたい事があります。それは

ハードウェアで完全に
天災から身を守る事は不可能

という事です。今回世界最大の防潮堤に頼ったり、既存のシステム、交通網や一般的な建物などで身を守る、という発想で亡くなった方も大勢いらっしゃいます。防潮堤がいくら大きくても、それを上回る波に耐えられるわけがありません。ただし普通の津波なら十分防御できたわけで、それを無力というのも考え方としてはどうかと思うのです。




逆に今回役に立ったもの、それは「てんでんこ」です。歴史から得られていた教訓や、結果的にそうした人は、必ず生き残っています。つまりはソフトウェアという事ですね。基本的にハードウェア信仰は危険です。人間の柔軟な発想と行動がなにより必要でしょう。これを私はこう表現しています。

想定外を想定する!

あの東日本大震災は、その津波も範囲も地震波も、全てが想定していたものを上回っていました。だからこそあれだけの被害が出たわけです。




「想定外」というのは思いもよらない事。しかし人間の想像力や経験、知識には限界があります。だからこそ信じられない事は起こるもの…そうしておかないと、いざと言う時、新しい考えはでてきません。とにかく常識にとらわれず、その場に最も合うと思える行動をとれるようにする…




これこそ東日本大震災をはじめとして、その後の地震、火山噴火、台風、竜巻などの天災から我々が学ばなければならない事。「あの日を忘れない」「あの被害を無駄にしない」とはこういう事ではないか、私はそう思います。